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現代において、一般に「野蛮で、根絶すべき悪習」とされる風習が世界には多く残っています(割礼など)。一方、それらはあくまでも民族独自の「文化」であり、文化に優劣の差がない以上、介入・根絶は許されるものではないという考え方もできると思います。この点に関しての皆さんの意見を聞かせてください。

A 回答 (6件)

女性への割礼とかについていろいろ言う人もいうけど、本当にその部族の女性自体が反対しているのかもわからないし、なので一般にそういうことを言うのはバカげていると思っています。


おそらく、その部族では女性も賛成して、尻の軽い女は存在しない方がいいと考えているのではないでしょうか?個人的に女性は常に加害者ではないという視点には疑問を感じます。例えば、日本で女性の社会進出を一番良く思っていないのもまた、専業主婦といった女性なのです。娼婦を快く思わないのもほとんど女性ですよね。

単に衛生面や平均寿命から風習を捨てるならばそれもいいと思いますが、文化への誇りを優先して絶滅するのも、それはその人種の勝手だと思います。
あと、男児割礼は性感染症に対する耐性を高め、HIV感染率も非手術者と比べると10倍程度有利のようです。一見すると残酷でも、文化には何らかの理由がある場合が多いのも事実です。

100年前、特に先進国ではあやふやな生物学の知識をもとに優生保護法というものが殆どの国で施行されており、何らかの障害を持つ人間は生まれてくる権利さえ確保されていませんでした、そのなれの果てがナチスによる民族浄化です、60年代にはロボトミー手術とよばれる脳の前頭葉を強制除去する手術が精神病治療に優れていると考えられ(開発者は事実ノーベル賞を受賞しましたが)、ちょっとでも性格が常人と異なっているだけで積極的に行われました。結果、殆どの術後経過は悪く、廃人同様になった人間が殆どです。

何事もそうですが個人的に野蛮で根絶すべき悪習と客観的に判断することはほぼ不可能だと思いますし、主観的意見で根絶した風習は二度と復活しません。
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なにをもって悪習、野蛮とするかが問題でしょう。


中国に阿片吸引や纏足という風習がありました。
現代でもイスラム教徒女性のスカーフや肌を公衆に曝さない風習もあります。
それぞれに理由があります。
悪習と思われるものも何らかの必然性があって始まったと思われます。
カニバリズムも野蛮な悪習とされますが、現代でもアンデスでの冬季、旅客機が不時着した事故の生存者が行った疑いがあります。
なにより優先された生存本能によるものとして不問になりました。

これらは自然に教育などで改めるべきは消滅させるべきではないでしょうか・・・
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さきほど回答したNo2の者です。


ブラジル奥地には外界との接触のない首狩族とかまだいますね。
パプアニュ-ギニアには俗に人食い人種と呼ばれるカニバリズムが存在する訳ですけど、仮に生きた人間を食する風習が残っていても基本的には根絶の必要は無いと思います。ただ、国際社会的に見れば如何なる理由であろうとも生きた人間を殺すのは人殺しになりますし、、ましてや食するとなると猟奇殺人になりますからね。かといって文明人の解釈で人食いは野蛮だから危険と判断しても、その部族にとっては食人風習とはいえ古来から行われてきた文化ですから、それを食人など残忍だからその風習を根絶させるという事は文明人の身勝手という言い方も出来ます。

根絶させた方か良いか否かの判断の基準ですが、私は根絶させた方が良いと思える基準は他の村から拉致して生贄にするという風習や実際には何の意味のない風習によって嫌がる他人の命を奪う風習です。あくまで自分たちの部族の範囲内で行われ、部族の間柄にその行為を受ける側の信仰などから生贄になっていいという了承があれば残虐な風習でもあくまでその部族内での了承の間柄ですから根絶の必要はないと思いますが、その風習の無い場所から人を無理矢理連れてきて巻き込んだり、嫌がる人間を生きたまま食すのは許せるものではありません。

特に子供を殺すというのはもはや文化とか風習と言えるものではないですからただの殺人なので人道的な意味でも根絶させるべきです。死人であればそれは既に肉塊ですから本人の意志もないですし日本では火葬があるようにその部族の文化では食べるという風習なんですから特に問題はないと思いますけど。

それに根絶せずとも特に食人風習はそれなりの報いがあります。死んだ人の脳を食べる事でク-ル-病という伝染病に罹り、部族が滅亡してしまった事例もある事から、そういう残虐な風習を持った部族はこれからどんどん減っていくでしょう。滅びるのであれば部族もそれは精霊や神のご意志と判断して甘んじて受けると思います。それに時代は変化していますからこれから100年200年経てばいくら外界接触を絶っていても今のような世界のままいられる訳ないと思います。

また、彼らの敷地内に知らずに入った観光客が敵の侵入とみなされ、捕まえて儀式の生贄にされるという危険な部族も実際にいますからね。通常、奥地に行く場合観光客には今ガイドがついていますから襲われる事はあまり無いらしいですが昔は本当に犠牲者がいましたからね。

長くなりましたが以上の事をまとめると、基本的に生きた人間を食する風習その他残虐な風習はあくまでその部族内にのみ行われ、贄にされる側に心の了承があればその国の法律の適用範囲外であれば文明人が介入する必要はないと考えます。逆に他の村から人を拉致して無理矢理生贄にしたり、嫌がる本人を神の言葉とか根拠のない理由で殺したり、昔の日本でも時の権力者が死ぬと殉死といってあの世のお供をしろと嫌がる人々を無理やり生き埋めにしていた意味のない風習がありましたがこういうのは根絶させるべきだと思います。
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はじめましてhalといいます。


とても難しい問題ですね。
わたしが覚えているのは
アフリカの部族の割礼の儀式の対象は女性でした。
クリトリスの部分を抉り取るというものです。
その割礼を受けていない女性は結婚が出来ず、
村八分のような目にあうそうです。
しかしそんなデリケートな部分を何の処置もなく抉り取ったまましておくことで傷口がふさがってもとんでもないことになっていたりすることが大いにあるそうです。
これは男性上位の部族らしく、
女性に性的な喜びを与えさせないためのもののようです。
わたし個人の意見はこれに関しては
あまりにひどい事だと思います。
どうも部族の人も村八分にされるのがいやで
しぶしぶ(確か赤ちゃんの時期にしたんだと思います)
それを実行するようです。
そんなのは「文化」ではないような・・・・。
例えばこれを部族の人たちが賛同喜んでしていたのならそれでいいのですがそうでないのなら部族の人たちの中に「これはやめよう!」なんていえる勇気のある人が
いなければ外から助けてあげるのもひとつの手段ではあるような気がします。
長々すみません^^;
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野蛮な風習の一つにカニバリズム(食人風習)がパプアニュ-ギニアなどにありますけどこれはやはりその民族の文化であり、古来から行われてきた風習なので今では死人を食するので映画みたいに生きた人間を食べるという事はないので根絶させる必要はないのではないかとは思います。



未開人種は特に昔のような精霊や神を崇め奉る儀式などがあり、文明人には理解しがたいものもあると思いますが、昔はその文明人も同じような事をやっていた訳ですから根絶はむしろその民族に死ねという事に等しいですから反対だと考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 今では死人を食するので……根絶させる必要はないのではないかとは思います。

生きた人間を食べる習慣が残っていた場合は、根絶もやむなしとのお考えでしょうか。もしそうだとすれば、判断の分かれる基準はどこにありますか?

お礼日時:2002/11/07 08:15

野蛮な習慣は、見る人により違います。



太平洋戦争中日本はフィリピンを占領したら、戦死者を葬う為火葬にしたところ、現地人は野蛮な行為として、反発を受けたそうです。
 フィリピンはキリスト教の為土葬→最後の審判を信じているので。
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