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本地垂迹の意味がわかりません。仏のが古来からの神より上とする考えはどうもよく理解できません。神は本来は形のないもの?仮の姿とするのなら姿(仏像)がある仏の方では??

A 回答 (6件)

 多くの方がもうすでにお答えになっていますが、そのお答えに触発されました。

私が思うに仏教界では「神仏習合(本地垂迹説)」の問題はあまり議論されないように感じています。ですから私も、
>>本地垂迹の意味がわかりません。仏のが古来からの神より上とする考えはどうもよく理解できません。
 という疑問には共感を覚えます。
 これに関して私は歴史的なもので説明ができると思います。まず、仏教伝来の時期についてですが、いくつか説ありますが538年か552年ということで落ち着いているようです。そして、日本の古来の説話等をまとめて現在神道と呼ばれる体系の基本になる書物である『古事記』はその序文によれば712年に成立したそうで、また『日本書紀』は720年ということになっているようです。こう見てみますと仏教伝来のほうが日本古来の信仰の体系化よりも早いことになります。(もちろん民間伝承として、古事記に書かれている物語は語り部などによって伝えられていたでしょうが。)
 つまり、日本古来の信仰を神道として体系化していく草創期において、すでに仏教の影響下にあったと考えらるわけです。
 たとえば、「山川草木悉有仏性」という言葉がありますが、中国では本来「主体である衆生(有情)が成仏し仏様になると、その周りの環境として存在する植物や山や川などの無情のものも成仏した仏のように光り輝いて見える」というような意味で捉えられてたようです。ところが、日本においては「山川草木のような無情のものであっても、仏になる意思を起こして(発心)仏となることができる」という解釈になります。これは仏教が日本化しているのと同時に、仏教思想が自然に神という有情が存在するという神道の根拠となっているということがいえます。
 あくまで今挙げたのは一例ですがこう考えますと、日本土着の信仰を神道として体系化していく手助けを仏教がしていたということがいえます。しかし仏教が神道の体系化を手助けしていく中で、やはりインド・西域・中国・朝鮮半島で体系的に整えられた仏教のほうが、体系的にまだ未熟な神道よりも優位に働いたと考えれば、本地垂迹説がとなえられたのも歴史的な必然であったのかもしれません。
 ただ、ここで言いたいの本地垂迹説は多くの場合仏教が外来の強力な文化を背景に、土着の神々を征服し服従させたものと見られがちです。確かにそういった側面もありますが、単純に仏教に神々が服従させられたというわけではなく、神々も仏教を受容することで次第に力をつけていったということがいえるでしょう。つまり、仏教という強力なモデルでありライバルがあったからこそ、日本土着の信仰が神道という体系化に成功できたともいえると思います。


>>神は本来は形のないもの?仮の姿とするのなら姿(仏像)がある仏の方では??
 確かに神道はアミニズムの流れを汲んでいますから、石や木をご神体にしている神社も数多くあり、神は自然そのものであり本来形のないものということもできるかもしれません。しかし、『古事記』や『日本書紀』などに記されている神の姿は具体的で固定的です。
 それに比べますと日本に伝わった大乗仏教の仏・菩薩は、相手によって姿を自在に変化させます。これはお釈迦様が「対機説法」という相手によって仏教の説き方を変えていたことが起源と思われますが、代表的なのは「観音菩薩」ですね。観音菩薩は千手観音、如意輪観音、馬頭観音等々と数々の姿を持っています。
 つまり、どちらかといえば神道の神々は個性というものを持って存在しています。それに対して仏教の仏・菩薩達は、仏教で言えば「執着を離れる」ということになるのでしょう、本来は無個性で教化する相手に合わせて姿を変化させるという特徴を持っています。ということは、神道の神々が仏となるよりも、仏教の仏達が神となって現れるというほうが自然だったのではないでしょうか。たしかに、追々逆(反)本地垂迹説というものも現れますが、ちょっと無理があったのか定着という所まではいっていませんからね。


 長々独断と偏見で書き連ねましたが、急ごしらえの文章ですので誤字脱字乱文はどうぞご容赦ください。最後に、参考文献を挙げさせていただきますと、
●『日本人と仏教』阿満利麿 筑摩書房
●『仏教VS倫理』末木文美士 筑摩書房
なんかに、神仏習合についてわかりやすく(特に前者)書かれていたかと思います。
 合掌 南無阿弥陀佛
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。やっと少し書いてあることが理解できるようになりました。
(まだまだ未熟で勉強中ですが・・・)
長い間、返事が遅れすいませんでした。

お礼日時:2010/06/12 10:07

>本地垂迹 の意味



難しく考え過ぎなのではないでしょうか。
宗教が拡大するとき、拡大先で在来の宗教との関係が問題になります。完全に否定する場合もありますが、多くは融合していきます。キリスト教におけるクリスマスの導入などはその例ではないでしょうか。仏教においても、本来偶像禁止のはずが、ギリシャ社会に接触して、仏像を製作したといわれています。また、仏教が中国に入ったときには道教―老荘思想の考えや用語を大幅に取り入れています。
日本でも仏教と神道の融合が図られた一つの形態として、本地垂迹説があっただけであると思います。この後には反本地垂迹説も出てきます。特に神道は、まとまった思想体系を持っておらず、原始的宗教のままであって、仏教との関係の中で、思考的に昇華されたとされています。
本地垂迹説は、仏が本地(本来の姿)で、神という仮の姿をとって日本に現れるという垂迹は、仏教の布教・勢力拡大のための説ではないでしょうか。

以上、参考までに。
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神=形の無いもの、仏=形の有るもの、と認識されているようですがこれはむしろ逆です。



「古事記」を読んでもらえば分かると思いますが、日本の神は食事もしますし睡眠をとったりもします。また、子供を産む事も出来ますし致命傷を負えば死んでしまうこともあるでしょう。つまり神というのは、過去に実在した超人的な英雄という扱いに近く、人間と同じ形而下の存在でした。(実際に当時の貴族や豪族は、自分の家系は神の子孫だと公言していました)
一方、仏というのは悟りを開き、輪廻の枠から解脱して苦しみに満ちた現世から解放された者を指しますから、すでに現実の世界から姿を消してしまっているわけですね。

ということで、本地垂迹説ではこう解釈されているはずです。
「仏になって解脱した人はもう現世にいないから、苦しむ人々を救済することが出来ない。だから現世に存在できる神という姿をとって降りて来る必要がある」という感じに。



では、そもそもなぜ仏の方が神より格上なのかというと、仏教の方が先手を取って神道の神の格付けを行い、仏と神の地位を明確にしたからです。
元々日本古来の宗教とは、それぞれの氏族が独自の神を祭っていたので大系化するのが困難でした。そこへ勝手に仏教側が日本の神々は衆生(要するに仏より格下の存在)であると決めてしまい、バラバラだった神々をひとつの仏教的ヒエラルキーの中にまとめてしまいます。当時の豪族の中には自分の氏神信仰より仏教に熱を入れる者も多く、天皇でさえも例外ではありませんでした。その結果、神道側に反発する者も少なく、理論上は仏が格上ということになりました。
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本地垂迹の説は、私も#1さんの言うように仏教徒による「布教上のテクニック」だと思います。



ただし、#1さんと違う点は、キリスト教のカソリックではイエス様のおっしゃっている「私の父以外のものを拝むな」、「偶像を拝むな」という戒めを一切無視して、マリヤ様や聖者たちの偶像を拝んでいる事実に対する認識です。私は、これも「布教上のテクニック」だと思います。

私は若い頃新約聖書を読んでこの事実に気付き、カソリックはプロテスタントより劣っている。カソリックはイエスの言葉を無視しているが、プロテスタントは、「イエスに帰り、イエスの言葉を実行しよう」と主張しているから、と考えていました。

ところが、歳を取って行くうちに、プロテスタントが如何に子供じみており、カソリックが大人として如何に人間を理解しているかが分るようになってきました。

私にとって宗教とは本質的に馬鹿で無力な我々人間を救うことに、その最も重要な役割があると思っております。その最も重要な役割と比べると、イエス様のおっしゃることに論理的に整合性があるかどうかは、どうでも良いことです。我々無力で馬鹿な人間を救うためには、イエス様の言葉に反してでも、神に帰依する切っ掛けをこの馬鹿な人間に与えよう、偶像でも何でも駆使してこの第一使命を達成しようとしているのが、カソリックだと思うようになりました。

私はキリスト教徒ではありませんが、キリスト教にも仏教と同じレベルの「理詰めで説明しても判らない馬鹿な我々を救うことを第一使命にした方便」があるのだと言う、この実在する人間についての高度な認識がカソリックにはあるのだと考えるようになりました。その点、プロテスタントは子供じみた理屈に酔っているように思えるようになったのです。

聖書に帰れと主張するプロテスタントの方々の成熟を願っている、日本神道の一信者より。
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逆本地垂迹 (日本の神が 天竺で仏を具現した)とも言える説もありますよ



また 仏は八百万の神の一部 唐(韓)国の神 との受取り方も(仏教伝来当初から)されていました
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経典的にどうとかこうとか考えるより「布教上のテクニック」と考えた


方が、多分分かりやすいですよ。教典を厳密に考えると「無理筋」に
見えますものね。

なまじ仏教には「方便」という思想があるうえ、経典も少なく抽象的で
分かりづらいので、厄介なんです。経典に具体的な記述が多く「聖書」
などの分かりやすいテキストがある「キリスト教」などだと、こんな
発想は出てこないと思いますもの。
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