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立憲同志会は桂太郎が作り、官僚や藩閥を擁護したのですよね。それなら立憲同志会が発展した憲政会は、なぜ護憲運動をしていたのですか。不思議に思っていろいろ調べたのですが、どの参考書や事典などにも理由は載っていませんでした。ご存じの方教えて下さい。

A 回答 (1件)

10年たったから。



立憲同志会は桂太郎が作り、官僚や藩閥を擁護したのですよね
→ これの理解がちょっとずれている。
官僚や藩閥の力だけでは政治運営ができないと考えた桂太郎が作ったのが立憲同志会。桂の構想としては 官僚+藩閥+政党の連合体を作ろうとした(1913年)。この構想としては 1900年に立憲政友会を作った伊藤博文と似ている。
議会内に、親政府勢力を作ろうとしたのが1900年の立憲政友会であり、その政友会が主導したのが、1913年の第一次護憲運動。
桂太郎が伊藤同様に親政府勢力を作ろうとしたのが1913年の立憲同志会で、1923年には第二次護憲運動を起こす。

つまり 十年たつと、政党が作った人間の意図とは別に、民選の政党として自立すると言うことです。
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この回答へのお礼

なるほど~。大変よくわかりました。別に試験に出るようなことではないと思いますが、とても気になっていたので。ありがとうございました。

お礼日時:2008/06/25 10:52

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