『方法序説』に限って 批判しますが――《wikipedia:方法序説=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E6%B3%95% …》――
(1) 《わたしは考える。ゆえにわたしは存在する》は けっきょく 理性信仰であるのではないか?
パスカルは その文句が アウグスティヌスの《われは あやまつならば 存在する》に源を持つけれども 独創性があると言っていたと思いますが そのかれが そのような理性による合理的・論理的な思考としての《幾何学の精神》とともに 人びとの情感の現実性をとうとぶ《繊細の精神》をも 同時にかかげた。というのに デカルトは 結局 幾何学の精神のみを 説いた恰好となったのではないか。
(2) 上の文句とともに 神の存在証明のような議論を その完全性という主題のもとに おこなっているが そのことによっても 同じく 理性信仰を強めたのではないか。
方法序説における神の存在証明は すべて 観念の観念による構築であると思われる。ゆえに (1)の文句が 余計に 変なかたちで 強められたのではないか。
このように 鬼っ子であると考えますが もしそうではなく 良さがあるとすれば おしえてください。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
鬼っ子?
1 両親に似ない子。
2 歯が生えて生まれた子。
3 荒々しい子。
まあいいや。
私も詳しくはないけど、デカルトの歴史的意義を考えればおのずとよさが見つかるのではないかなと思います。
デカルトは幾何学の精神のみを説いた・・・だとすればそれってすごいことだと思いますけれどもね。
デカルト以前はどうなっていたか。スコラ学ですよね。東洋的に言えば訓詁学。
実際に考えて見つけていくというプロセスはそこにはなく、「ここにこうこうと書いてあることはこうこうということだ」という解説に終始して終わってしまうようないわゆる「お勉強」な内容。
それに対して、デカルトが近代哲学の突破口となったのは、自分で考えるということをはじめたからではないでしょうか。
幾何学は形式ばかりのものだったのに、そこに精神を吹き込んだとしたら、それは鬼っ子なんていうもんじゃありません。革命児ですよ。
そんなことを思いながら、「わたしは考える」という言葉を噛み締めてみるとまた違った味わいが出てくる。
どうも「今まで考えてなかったスコラの連中は存在などしていないも同然なのだ。しかし私は存在する。考えているから」という挑発的な響きもしてくるのです。
(まあこれはこじつけ的な深読み。文脈から抜き出してそういう風に読むのは卑怯でしょうが・・・でももしかしたらデカルトさんの深層心理には・・いやこじつけだろうな)
私は別段デカルトを「よい/悪い」で考えません。
しかし、その時代にとってすごいことをやった人だということを認めるものです。
もちろん、松果腺などについてヘンテコなことを言ってる人ではありますが。
nabayoshさん ご回答をありがとうございます。
★ もちろん、松果腺などについてヘンテコなことを言ってる人ではありますが。
☆ ということは知らないのですが
★ しかし、その時代にとってすごいことをやった人だということを認めるものです。
☆ という受け止めでは だめだと知りました。
なにやら 当時 ガリレイの説が異端だと裁かれた事件が絡んでいて デカルトは つつしむ姿勢で書いているようなのですが そんなことは 別だと言えるようです。なぜなら ほのめかしによってでも 自説をもっと打ち出していても よいと考えられるからです。
方法序説で言っていることは きわめて 退屈なことです。そう読みました。
★ 幾何学は形式ばかりのものだったのに、そこに精神を吹き込んだとしたら・・・
☆ などという方向とは別なように受け止めています。
要するに あれこれ世界の真実というものを きちんと疑いつつ 探究するわけですが これもちがう あれも不確かだといって進めているとき その疑っている精神ないしわたしは 疑いの余地なく存在していると きわめて当たり前のことを言っているだけです。
しかも その傍らで 神の存在証明というものをおこなっていて 上の精神ないし自己ないし理性は 神の完全性のもとにつつまれて 疑いのない存在なのであると言っているようです。
幾何学の精神を 観念の城で 固めた。ただそれだけの文章です。理論もへちまも ありません。退屈きわまるしろものです。
これは 思想史の中で どうしても《両親に似ない子》であると言わざるを得ません。
というわけで わたしは あきれています。いかがでしょうか?
* すなわち こんな理性尊重もしくは理性信仰では ニーチェが神は死んだと言うのも もっともだと うなづかれます。
* あるいは片寄っているかも知れませんが 覚書としてでも 一度 問うてみたいと思いました。
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