

20です。未だに厨二病のようです・・・
最近になってやっと、自分がただの根暗の凡庸な人間だということに気づきました。きっとずっと現実逃避をしてごまかしていたのだと思われます。まだ本気だしてないし云々というお決まりの台詞で何の結果に対しても自分を正当化していました。そして特別だと勘違いしていました。なぜか自分はやればできる子だ、でもいまはやらないだけという無根拠な自信がありました。
おそばせながら徐々に現実が見え始め、よく言われる理想と現実とのギャップに苦悩しています。
みなさんはこういうとき、どうされましたか?
A 回答 (11件中1~10件)
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No.11
- 回答日時:
「凡庸」というのは、人との比較から生まれる判断だと思います。
でも、本当の問題は自分が「凡庸であるかどうか」ではなく、「自分が今かかえている問題・課題を解決できるかどうか」だと思います。
「凡庸かどうか」にこだわると、自分の足元の本当の問題・課題が見えなくなります。
その自分の足元の本当の問題・課題は、自分に固有のもので、自分で解決するしかありません。他の誰かに代わってもらうことは不可能です。
そこに「凡庸かどうか」とは関係なく「各人の存在価値」があると思います。
No.10
- 回答日時:
No.5です。
>青い鳥、初耳ですw
え? ダブリューがあるってことは、ジョークでしょうか? 笑
棒巨大掲示板に書かれたものをフラッシュ動画にした人がいました。
タイトルが さようなら青い鳥 。
ここの掲示板はMADは駄目ということで、歌付の動画は貼れませんので、 検索してみてください。
ちなみに動画じゃない方ならガミガミ怒られないと思うので、、、
↓
http://mentai.2ch.net/mukashi/dame/kako/944/9444 …
↑
これがフラッシュ動画になったんです。
あなたがここに書いた言葉。
それがフラッシュになっています。
ということは、あなただけじゃない。
本気出していないだけ と思うが、本気出せない人たち、こんなにいます。
今は本気にならないだけ、いずれは・・・ でも 今の暮らしも捨てられない と思っている人がこんなにいます。
動画では心の中の青い鳥が死んでくれた。
青い鳥が死んだから、救われたのか?
救われてはいない。
ただ、青い鳥が死んだだけ。
もがきは続くわけですが、そのもがきも人生の一部。
まっ、何かやれそうなことから始めて、1つ1つやって、小さな成功を積み重ね、自信を取り戻すのがよいか と。
No.9
- 回答日時:
まあ、そんな自分でもいいや。
自分では認めてやろう。とにかく、自分がどうであれできることは、今ここからの一歩しかないんだよな。
…としばらくして思いました。
ところで、「自分に対する自信」というのは、何かができるとか、何かを成し遂げたということからくるものではないと私は考えています。
自分に対する自信は、まったく「無根拠」でいいんです。
それが本当の自分に対する自信です。
だから、無根拠の自信は、何が出来るとかやらないとかとは関係なく、持ち続けていいものです。
No.8
- 回答日時:
いや、その認識は間違っていると思います。
質問者さんは「やってないん」んですね?
「やれば」と仮定的に書いてあるので。それとも「やってみた」んですか?もしそうだとしても「やってみた」つもりになっているだけだというほうがずっと強いでしょう。
つまり、無理に「優等生」ぶっているんではないか。20過ぎればただの人なんていう聞き古された言葉にヘンに納得しようとしていい子ぶっているんじゃないでしょうか?
普通じゃないですよ。人がやらないことをやればよい。そうすれば人になし得ないことができます。その可能性をそんな「優等生」「物分りのよい聖人」もっと言えば「相田みつお的」角もエネルギーもない書生術的凡庸な言辞でごまかすんでしょうか?
やめた方がいいと思いますよ。
自分は特殊だ!やればできることはできるのが当たり前だし、それをなしえるのがただの凡庸人の人生の殻を破る鍵なのだ!
そう思い返してくださいよ。世の中腐るほど偉人変人がいるでしょ?それに並びたいと思っているのだったら、変な諦念は辞めるべきです。
回答ありがとうございます。
はい、全力投球していないです。でも過去の成功経験からのものでしょうか、それがふてぶてしい自信に繋がっているようです。
少し心に響きました。
No.7
- 回答日時:
>最近になってやっと、自分がただの根暗の凡庸な人間だということに気づきました。
質問者さんは人類まれに見る天才のようですね。あの孔子様ですら、「五十にして天命を知る」、すなわち五十になってやっと「 先(自己の限界)が見えた」といったのですが、質問者さんは二十歳で既にそれに気がついたと言うのですから。
人間だれでも自分が可愛いので、ついつい自己中心的に見てしまい、自分だけが特別だと思うのは、至って自然だと思います。ところが、同じDNAを持ち、同じ文化で育つと、人間て以外にみんな同じようなことを考えているようです。私は日本の男ですので、男性についてだけ述べますが、日本人の男性は自分に取って最も興味あると言うものが、各年代ごとに皆驚く程共通しているようです。
20代の人が最も重要だと思っていることは、「夢」なんですね。みんな夢を描いています。
30代の人は最早夢どころじゃない、皆「仕事」のことを考えている。
40代の人は、ほとんど例外無く「健康」のことを気にしている。
昔の人が男の厄年(42才)と言ったのは、見事な経験則の認識だったのですね。
そして、
50代の人は大抵の場合、数年ないし十年ぐらいでやって来る「引退」のことで頭がいっぱいになっている。
ですから、自分だけが特別だと思っているのは、正に青二才(今様に言うと厨二病)の証拠で、実は皆同じことを考えているのですよ。一見逆説的ですが、二十歳の人間が「自分がただの根暗の凡庸な人間」と考えるのは、「自分だけが特別だと思っている」証拠で、だだ単にその思いが臍を曲げて出て来ただけのような気がしまう。
上で述べた皆の共通性を認識すると、貴方の人生に大変有利なことが起こり得ます。先ず、自分より10才以上年上の方で、貴方がとことん付け合える友人を見つけることです。そうすれば、貴方が十年後に何を考えているかが、その友人より十年前にすでに見えて来ますから。
また、人生40になっても50になっても夢を描くことは大切なことだと言うことをときどき聞きますが、そのことの意味を若い方が誤解しないようになれることも有利なことです。上でも分かりますように、30代では、自分の与えられた仕事に夢中になって、時を忘れてしまうくらい没頭していなくてはならない時期なのです。この年代では最早夢なんて言っている余裕が無いのです。そのように仕事に没頭した時期を過ごせれば、その過程を経て来た先輩の方が40代や50代になって改めて語る夢には、聞くに値する重みがあるのだと言うことが、判ってきますから。
二十歳の貴方には、まだ天命を知るには早すぎると思います。今後の十年間は自分の将来の夢を描いて、その実現の準備をし始める時期だと思います。
No.5
- 回答日時:
信仰と同じで、他人の期待を得るってことを信仰していたら、他人から期待されなくなった時、他人の期待という神を失うことになっちゃうんです。
お金という神を信仰していたら、お金を失った時、死にほどのダメージを受けますよね。
地位を神様にして信仰していたら、地位を失った時、死ぬほどのダメージ受けますよね。
それによりかかって生きたものは、神の消滅で、精神的に崩れ去ることになる。
あなたの信仰する神は何?
名誉? 地位? 財産? 他人からの賞賛? 栄光? 優越感?
>まだ本気だしてないし云々というお決まりの台詞で何の結果に対しても自分を正当化していました。そして特別だと勘違いしていました。なぜか自分はやればできる子だ、でもいまはやらないだけという無根拠な自信がありました。
あの、、、それって、、、
<さようなら青い鳥>のファンでしょうか?
さようなら青い鳥の中の台詞なんですけど それ。
>まだ本気だしてないし
本気出して失敗した時の恐怖が、ブレーキになっているんじゃないか と。
ということは、失敗の恐ろしさを体験しているから、予測できて、ブレーキがかかるんじゃないか と。
自己防衛機能が働いている。
>何の結果に対しても自分を正当化していました
それも自己防衛機能ですよね。
>なぜか自分はやればできる子だ、
ええ、できると思いますよ。
経験があるから、そう思えるわけですよね。
>みなさんはこういうとき、どうされましたか?
なるようにしか ならない。
ほんと ジタバタやっても やらなくても なるようにしかならなかった。
http://artlights.exblog.jp/i9/
って詩があるんですね。
時がまずいと 懸命にやってもうまくいかないし、今チャンスってときも、それを知らないでやらないと、乗りそこなう。
でも 今がその時って人はわからない。
後から「あの時だったんだ」って気づくのかも。
ひとまず、期限決めて もがいてもてはどうでしょう?
例えば大学行ってないなら、大学に行くとか。
今 就職は大卒が応募条件なとこ多いです。
給料においても違ってくるので、大学は行っておいたほうがいいです。
回答ありがとうございます。
緻密な精神分析で自分の心理がどう構成されているかがわかりました。
ちなみに青い鳥、初耳ですw今度見てみようかと思います。
参考になりました。
No.4
- 回答日時:
もしもあなたが凡庸な人間なら、その悩みも凡庸なものでしょう。
なぜそのような凡庸なことで悩む必要がありましょうか。
理想:可能でないことでもやればできる。
現実:可能なことをするしかない。
こんなギャップだとしたら、どちらに与した方がいいかですよね。
凡人でもこのくらいなことは本気を出せば結論が出ることだと思います。
(まあ他人に頼るのもまた凡人臭いことではあるでしょうが)
厨二病というのは20でまだという感じのものではありません。
続く人はもっと続くと思います。
でも厨二病であることに怯えても仕方ありません。
あるがままを受け入れるしかないのです。
No.3
- 回答日時:
自分の「理想」と「現実」に気が付いて苦しんでおられるとのこと、きっと質問者さんは真面目な方なのでしょう。
私もまだ20代前半の若造に過ぎませんが、数年前に病気によって聴覚に障害を負ってしまい、「聴覚障害を負う前の自分」と「(聴覚障害を負った)自分の現状」とのギャップに苦しんだ経験を思い返して、アドバイスさせていただきます。まず、「理想」と「現実」のギャップに苦しむことは人間性の成長の表れである、と考えてみてください。そのギャップに目を留められたことは、それだけで人間性の成長の一側面です。そして、そのギャップの分が、自分の人間性の「伸び幅」だと考えてみてはいかがでしょうか?
そして、「理想」と「現実」のギャップへの苦悩をプラス方向への原動力に変えて、実際に努力してみてください。自分の「理想」に近づくためには何が欠けているのかを考えてみて、それを補うように自分の人間性を向上させる努力をしてみましょう。周囲の他の人と比べて自分にできていないところに目を向けて落胆するのではなく、かつての自分と比べて今の自分はこれだけ変化できた、というところに目を向けられれば、小さな変化であっても満足できるものです。自分を良くも悪くも正当に評価できる「客観視」が必要になってきますが、努力してみる価値はあると思いますよ。
自尊心を保つのが難しく思うこともあるかもしれませんが、是非「正当な自己評価」ができるようにがんばってください。応援しています。
No.2
- 回答日時:
こんにちは、HADES165と申す者です。
私も20の人間ですが、自己愛が欠けていると思っていたらとんでもない自惚れだった・・・、というのが私でした。
やっと20を越えて成人になり、そして大人になったと現実が見え始めます。10代の頃の自信が次々と崩れていきます・・・。それで私は思うのです、「今まで私は何をしてきた?」と。自分は相当な未熟者であること、そして人間という種族の中で意義ある生活ができているのか、ということも考えさせられました。
ronrio様、あなたもそのように考えられた、ということは私にとっては非常に素敵なことだと思います。人生は「達成」と「妥協」だと思います・・・。大統領にはなれなくとも、企業を起こすという範囲は可能です。子供の頃の夢の続きをしてないか、今の生活で一体何が足りないのか、見据えてみませんか・・・?
紙にいざ書いてみると、私の場合書ききれませんでした。意外と書けるものです。頭の中で整理がつかなくなったら紙に書いて、実現可能な夢に赤丸を描いてそれを達成するように努力しているつもりです。
最後に余談ですが、そのように考えられただけでも立派だと思います。中にはそれを考えることなく一生を過ごしてしまう人もいるのですから・・・。
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