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相互銀行の無尽業務について確認させてください。

おそらく金融に関連した人でないと難しい質問ですが,
今はない相互銀行は無尽業務から始まっていたそうですね。

Wikipediaを見ても全く理解できず,
別のサイトで聞いたら「相互銀行の業務なんて幼稚園の児童に教える内容で, 小学生でも分かる。」との
回答だけが来ましたから, 友人である都立商業高校の教諭に恥を覚悟で尋ねてみました。
「無尽は一定の者が各加入者からまとまった金を集め,
定期的に入札やくじ引きを行いその当選者に集まった金を順番に融資していく商売で,これを発展させたのが無尽会社, 後の相互銀行だ。

ただこれを相互銀行がどういう形で業務に発展させていたかは分からない。
融資先はほとんど中小企業で, 営業区域は各相互銀行の本店のある県ぐらいだった。東京の平和相互銀行などは有名だ。」
という事までは教えてくれました。

そこでもう一度ここで聞きますが,

・相互銀行についてはこの上記の認識でまず正しいのか?
・無尽業務をどう各相互銀行で発展させて行なっていたのか?

教えてください!

A 回答 (4件)

無尽会社としての元々の仕組は、預金ではなく掛金が主体で、掛金を無尽の給付に当てるという形でした。


掛金には積立金としてそれなりの利回りもあり、日掛けなり月掛けで集金してくれるので積立貯蓄として人気があり、資金の必要時には給付も受けられるという誰でも加入できる庶民的な商品でした。

無尽会社にもその後、預金業務が認められ資金量の増加に貢献するようになってきましたが、当時はまだまだ掛金のウェイトが高かったようです。

そして発展しだすのは、以前書きましたように昭和24年に無尽の自由化(みなす無尽)以後で、それが相互銀行となってから残債式という合理性の高い相互掛金給付の開発と、預金を主な原資とする普通銀行同様の貸出・手形割引の取扱いによって更に発展していったということになります。

したがって、追加質問への回答は、
相互掛金として集めた掛金を主として掛金の「給付業務(以前の無尽業務)」に回し、一般預金は主として貸出・手形割引のいわゆる普通銀行業務と同じ「貸出業務」に回した。
ということになるでしょう。

なお、「無尽の会員」とお書きですが、みなす無尽への移行以後、会員というものは無くなっており、掛金も預金も同じ一般の客ということになっていました。
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この回答へのお礼

よく分かりました。有難うございます。

今の地方銀行ではさすがに無尽はやっていないですよね?

お礼日時:2008/08/29 07:23

>今の地方銀行ではさすがに無尽はやっていないですよね?



今はかっての相互銀行もすべて地方銀行に転換しており、従来からの地方銀行や信用金庫など、相互銀行でないところでは無尽や相互掛金の営業は認められないのでをこれをやっている所はありません。
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この回答へのお礼

有難うございました!

お礼日時:2008/08/31 10:08

相互銀行の特徴的な業務として「相互掛金」という業務がありました。


この相互掛金は相互銀行の前身である無尽会社の「無尽」の発展したものです。
無尽には更に「頼母子」という前身があります。

まずこの「頼母子」とか「無尽」とはどういうものかと言いますと、
何人かの人が集まって組を作り定期的に一定の金額を出し合い、抽選とか入札で当選した人に集まった金額を融通しあうというものでした。
例えば10人が組を作って毎月1万円出し合うとすれば、毎月掛金が10万円となり、これを誰かが使い、10人の人が毎月1人ずつ使っていけば10ヶ月で期間満了となるいったような仕組みです。

しかしこれを営業として行う時はこのままでは成り立たないので、会社としては給付(融通)を受けた人からは翌月から利息に相当する掛け増し金(給付利益金)を余分に徴求することにして無尽会社の営業基礎が出来てきました。
例えば給付を受けた人は翌月から掛金1万円に掛け増し金を例えば1千円付加して、毎月1万1千円ずつ支払うといった具合です。

ところが、無尽のように組を作り毎月1組ずつ抽選といった仕組では必要な時に資金が使えない、また組が満口にならなければ発会することが出来ないといったことから、組を廃止し、給付の方法をもっと自由にするために無尽業法を改正し「みなす無尽」というものが制定されました(昭和24年)。

これは、組がなく、給付の方法も会社と加入者の合意によって行われるもので本質的には無尽でないところから付けられた名称で、この構想が昭和26年の相互銀行法の制定によって「相互掛金」に発展し、更に昭和38年「残債式相互掛金」の創設によって一段と近代的な金融方式になっていきます。

これは従来の相互掛金の給付後の掛金は、給付後も債務の返済とは見ないで掛金の積立と考え、満期時に相殺するいわゆる「両建式」だった所を給付後の掛金を給付金の返済とする「残債式」で計算するように改正されたもので、いまでこそ当然のようですが当時は画期的な変更で、相互銀行法の制定によって認可された一般の貸出業務の開始とともにその後の業績進展に役立ったものと思われます。

とりあえず以上です。ご質問があれば判る範囲で返答しましょう。
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この回答へのお礼

成程, 昔からあったやり方だったんですか--。
それを金融機関形式にしたのが相互銀行なんだ--。

追加質問ですが, これは一般の人から集めた各預金を無尽業務の金に回していたのか, それとも各相互銀行で持っていた無尽の会員から集めた金を一般預金とは別に無尽業務の金に回していたのでしょうか?

お礼日時:2008/08/28 15:35

>相互銀行についてはこの上記の認識でまず正しいのか?



その通りです。
皆で持ち合ったお金を、一番条件の良い人に貸し出す事です。
貸す方も借りる方も、無尽講の会員である必要があります。
鎌倉時代は無尽講、江戸時代は頼母子講と呼んでいました。

>無尽業務をどう各相互銀行で発展させて行なっていたのか?

無尽講・頼母子講は、法的な組織ではありません。
あくまで、会員間の金融業務でした。
明治政府の富国強兵では、金融機関の法整化及び銀行の設立は避ける事が出来ない政策です。
かといって、直ぐに銀行を設立し業務を行い無尽講・頼母子講を廃止する事は出来ません。
そこで、無尽講・頼母子講は「相互無尽会社」として存続を認めたのです。
戦後、財閥解体などにともない金融関係の法改正が行なわれます。
無尽会社に対しては、1951年の相互銀行法を強制適用し相互銀行となります。
人情的な事柄で融資・金利を決めず、法に従った契約で客観的な融資を行なう事を求めたのです。
本音としては、政府・日銀の「国内の資金流通の管理・把握をする」という強い意思です。
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この回答へのお礼

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

本当に幼稚園児で分かるのか, 疑問を持ちながら精読させていただきました。別サイトで上記の回答があっただけに, 疑問が増えていた相互銀行のシステムが少しながら分かりました。
有難うございました。

追加の質問になりますが, 他の普通銀行には出来たが, 相互銀行には出来なかったという業務とはいうのはあったのでしょうか?

お礼日時:2008/08/28 15:42

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