No.1
- 回答日時:
よく間違っている人が多いのですが、ロベスピエールは独裁を行ってません。
基本的なことが全然違います。
恐怖政治は、別にロベスピエールが始めたことではなくて、
共和国の危機において内憂外患に対応するために国民公会の議決によって自ら始めたことです。
内戦と戦争が、外国の深い陰謀によってつながっているという自らで生み出した妄想を信じていたので、
面白いことに、民衆も議会も自ら進んで恐怖政治を求め、共和国も守ろうとしたのです。
恐怖政治によってのみ、革命は守られるという考えは、隔世の感がありますが、それが事実でした。
ロベスピエール本人は昔から独裁を嫌っていて、
権力を独占するようなことは決してしませんでした。
ロベスピエール独裁というイメージは、完全に的外れなものです。
テルミドールのクーデタでロベスピエールが処刑されて同時に恐怖政治が終焉したと宣言されたので、
誤った単純化の図式で、きっとロベスピエールが恐怖政治に主催者で民主勢力によって打倒されたんだろうと、間違う人が非常に多いですが、
全く違います。
現実的には、当時の共和国は、公安委員会と保安委員会、そして革命裁判所という三つの権力があって、
それぞれ9~12人という大所帯で構成される集団統治体制だったのです。
しかも各機関をそれぞれが分割して管轄したので、司法以外では、
権限があるのは自分の担当分野だけ、すべてにまたがるような権力はそもそも存在しなかったのです。
そしてロベスピエール派は常に少数派で、多数派になったことは一度もなく、
彼が主導した公安委員会ですら、反対派や中立の数の方が常に多かった。
ロベスピエールはその明晰な頭脳と、論理的演説によって、強い影響力あはもっていましたが、
強制的な権限や命令するような立場には全く無かったのが実際です。
それどろか、彼の公安委員会での仕事は、
地方に派遣されて無制限の権限を行使していた派遣議員を監査することであって、
地方で頻発した無軌道な虐殺や、不正な所得を、調べることでした。
そしてロベスピエールを打倒した、バラスやフレロン、タリアン、フーシェ等々は
当時、テロリストと呼ばれていた苛烈な派遣議員そのものだったのです。
ロベスピエールは彼らを処罰しようとしてパリに召還していて、
粛清を恐れてバラスやフーシェらが、先手をうってロベスピエールを落としいれ、
恐怖政治の罪をいっしょに彼にかぶせて葬ったわけです。
テルミドールのクーデタでは、ビヨー・ヴァレンヌのような公安委員会でもっとも過激な分子などが、
保身のために反ロベスピエール派に同調するなど、要するに恐怖政治の担い手たちが、
180度転向して、自分の罪をロベスピエールにかぶせてスケープゴートにしたという現象があります。
だからテルミドール後の反動も苛烈で、金ぴか青年隊のような愚連隊が
左派の暴力的弾圧を行ったりしてます。
テルミドールのクーデタ自体も、議会での陰謀から始まって、最後は武力行使に及んでおり、ロベスピエール派の暗殺とたいして違いありません。実際には自殺に追いやられたわけですが、処刑される不名誉を逃れようとしただけ。
ロベスピエール派は、アンラージェやエベール派といった極端な左派の弾圧、
そして恐怖政治の中止を訴えたダントン派の粛清は行いましたが、
それは政局において左右のバランスを考慮した苦渋の決断であり、
マラーの死後に流動化した政局の流れに従わざる得なかったという面が大きく、
情勢のなせる業でした。
恣意的にライバルを排除したというわけではむしろなくて、
それによってロベスピエールは逆に攻撃をうけやすくなって、立場を悪くしまいた。
最高存在の祭典の失敗やテオ事件などはその典型です。
ロベスピエールの行動をつぶさにみると、彼本人が政局手の安定化には限界があって
分裂した委員会ではなく、独裁的な確固たる政府の存在が不可欠と認識しつつも、
自分自身が独裁者につかねばらないという運命を固辞していたというのがよくわかります。
それは結局のところ、ナポレオンの軍事独裁という形につながるわけですが、
民主主義者のロベスピエールには決して受け入れられないものだったわけです。
そしてそこにこそ反対派の付け入る隙があった。
テミドリアンが成立させた総裁政府は、かつてない腐敗した悪徳政府であり、
民衆もロベスピエール派の打倒が間違いだったことにすぐに気づきます。
しかし政府は軍隊の力をつかって、民衆を弾圧し、度重なるクーデタやその未遂事件を武力鎮圧していくわけです。
それが結局は軍の影響力を強めて、軍事独裁の道をひらいたわけで、そういうのが正しい歴史の流れ。
ロベスピエールが恐怖政治・独裁を行ったと間違っていたら、たどり着けない道ですね。
この回答への補足
caesar-x2 さんは専門家とのことですがこのご回答は通説なのでしょうか?だとすれば教科書も複雑なフランス革命を簡単に理解させるためにロベスピエールを悪者にしている、ということなのでしょうか?
補足日時:2008/09/01 20:49No.2ベストアンサー
- 回答日時:
ラフに書いたので、細かくは説明してませんが、大体において
私の書いたことは19世紀-20世紀に確立されたフランス革命研究を
なぞっているので、定説にほぼ沿っているといえると思います。
テルミドール9日前後の状況はかなりはっきりしていて、
誰がどう動いて、結果どうなったかというのはほとんどなぞはありません。
しかし全体的にどういう背景からこうなったのかというような
意味づけについては学者によって観点がさまざまなんで、
時代というか世代によって、学んできたことがかなりことなります。
例えば、古い山川の教科書あたりだと、テルミドールのクーデタの背景を
新たに誕生した小土地所有農民や中工業市民の保守化によって
恐怖政治にブレーキがかかったというような解釈をしていましたが、
そもそもロベスピエール派が目指していた小土地所有農民の形成が
封建的特権の無償廃止という前からの政策では実現しておらず、
ロベスピエールやサン=ジュストがまさにそれに着手していた段階だったことがわかっているので
この説明は間違いです。
テルミドールのクーデタの背景には、粛清を恐れた派遣議員の個人的暗躍が強く、
それに中立的立場だった平原派などの多数は議員団がのっかった格好で、
ブルジョワ層を代表する平原派は、そもそも小土地農民の育成という
資産の均等分配につながりかねない貧困対策に不満で、
サン=ジュストらの主張していた”人民の純粋化”に狂気を見ていたので、
恐怖政治の終焉という取引によって、腐敗議員の集団であったテミドリアンと結託し、
腐敗しない人といわれたロベスピエールとその派閥を葬りさることに同意したわけです。
この顛末は、ジャコバン独裁下においてもブルジョワジーの動向が、
政権に決定的な影響を与えたということで重要で、
その後の総裁政府やナポレオンの帝政、復古王朝や七月王政でも
ブルジョワジーの支持が政権の命運を決めたというがいえます。
ちなみにですが、私が習った頃の山川の教科書には、
ロベスピエールの独裁というような書き方はされておらず、
「ジャコバン独裁」という用語が使われていました。
ロベスピエール派はジャコバン派のなかのもっとも小さなグループなわけで、
ジャコバン独裁がロベスピエール独裁ではないことは一目瞭然です。
しかしこの点の説明は教科書にはないと思いますが。
あとテルミドールのクーデタの内容について詳しく教える教科書はないと思いますが、教科書のその部分を引用すると、
「・・・ジャコバン独裁への不満はしだいに高まった。そのうえジャコバン派の指導者内部に対立が生じ、ロベスピエールはダントンら政敵を粛清して独裁を強化したが、まもなく孤立し、1794年7月27日(革命暦テルミドール9日)ついに政敵に捕らえられ断頭台で処刑された、ここにジャコバン派は勢力を失い、恐怖政治は終わった」
とあります。
途中に出てくる独裁は、個人独裁であるかのように誤解しやすいですが、書いた方はそういうつもりで書かれたのではないと思います。
ジャコバン派の内ゲバがあって、孤立化して、政敵にやられるというのは、基本的な流れです。
政敵が二回でてきますが、バラスやフレロン、あと保安委員会の面々も、
ダントン派の分子で、ダントンが処刑されたときに見向きもされなかった小物の政治家たちですが、
ダントン派の報復という見方は当然ありえます。
そしてロベスピエールの死で、ジャコバン派つまり左派が完全に弱体化して、
以後政権をとれなくなって、王党派ではない右派が、ブルジョジーの支持を得て、
非民主的な政府を以後つくっていくことになります。
教科書に書いてあることは基本的に間違ってはいませんが、
たいがいにおいて省略によって誤解を与えているとは言えるでしょう。
また暗記のために単純化しようとする教師らがこれに拍車をかけてます。
私は山川の教科書しか読んだことはありませんが、
別にロベスピエールが悪者としては書かれているとは思いません。
そこは誤った拡大解釈もあるのではないでしょうか。
簡素にまとまっているだけですね。
私の使った教科書も山川でしたが昔のことですので少々うろ覚えです。ジャコバンの主流=ロベスピエール派ではなかったのですね。端折って書かれたような記憶があり、Wikiなどで調べてももう一つそのあたりが理解しにくかったので質問いたしました。再度の回答ありがとうございます。
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