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八丈島の歴史を見ると鎌倉期からすでに日本本土と支配関係があったようですが、
少なくとも複数回、八丈島にいくつもりでの渡航が成功してるということになりますよね。
当時そのような航海技術が発達していたんでしょうか。

羅針盤なんかがない時代でも、星による位置の確認などが行われていたんでしょうか?
それとも、太陽からだいたいの方角がわかっていれば、肉眼で島を見つけるのは困難なことではないのですか?

A 回答 (4件)

当時の航海技術は正直よくわかりません。



遣唐使時代には、直接中国本土に行った歴史もあります。
(朝鮮半島との関係が悪化したため)
八丈富士は標高854mですから、島伝いに渡れば有視界航行でいけるので、天候に恵まれれば朝鮮半島に渡るのとそうはかわりません。当然航行可能でしょう。
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この回答へのお礼

中国との渡航=方角さえあっていればどこかにあたる
島=とても小さい
というイメージでこんな質問をしましたが
島づたい、という発想が抜けおちていました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/14 15:08

昔の人々は、現代人よりはるかに優れた視力がありましたから、肉眼でかなり遠くまで見ることができたでしょう。


今でも、気象条件がよければ、八丈島から270km離れた富士山が見えるそうです。
当時は陸地を見ながらの航海が主流でしたから、八丈島からは伊豆諸島の島々を伝って、本土へ来たと思います。
どのような船で航海したのかは、具体的には知りませんが、中世の船は、帆走と櫓走を共用していたそうですから(添付URL)、風向きの悪い日や夜間は島で休んだことでしょう。
遠くの視界が悪くなったときは、捕まえたカモメを放すと陸地を目指して飛んでいくということを聞いたことがあります。

彼らの航海技術は、羅針盤がなくともかなり高度なものであったろうと、状況証拠から推測できます。
静岡県熱海の大越遺跡から出土した黒曜石は、伊豆諸島の神津島産で、2万年前まで遡れるのではないかと言われています。
この頃からこのような「大航海」が行われていたのですね。
ですから中世には、まちがいのないルートができていたと思います。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/tabi/oogosi.html

また、慶長元年(1606年)、宇喜多秀家とその一族が、八丈島に流人として送られていますが、この事実から幕府は、八丈島への渡航ルートを確保していたと言えます。

参考URL:http://www.mizu.gr.jp/people/ppl_06b.html
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この回答へのお礼

八丈島から富士山が見えるとは驚きです!

2万年前なんてまだ土器もないような時代だろうに
当時から交易が行われていたんでしょうか…それとも神津島まで採取しにいったのかな。
不思議ですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/14 15:16

全く専門外なので、参考程度に読んでください。


発達した航海用具が普及するはるか以前から
人類による航海の歴史は存在していましたよね。

これは日本の例ではありませんが、
オーストロネシア語族の祖先(諸説あるでしょうが、もっとも一般的な言い方でいきます)は、
紀元前から遠洋航海で大規模な移住を達成しており、
太平洋の広範囲の島々に広がっています。
インド洋南西のマダガスカルにまで定住しています。
彼らも発達した航海用具をもっていたわけではありません。

古代の航海でも、目視による陸地発見だけが頼りだったわけではないでしょう。
緯度・経度の概念はなくとも、星による方角確認はしていたと思われます。
また、海鳥の群から島の方角を推測することもできるようです。
鳥によっては拠点とする島から100km以上飛行してエサを集めたりするので、
(極端な例ですが)直径が1km程度の小さい島でも、直径200kmの範囲に入れば、
鳥の群を見つけて、そこから島の存在を知る可能性も高くなるわけです。

ご質問の八丈島は、そこまでの離島でもありませんし、
上に書いたような方法も必要なかったと思われます。
本州から島伝いに行けば、十分行けるのではないでしょうか?
さらに一度航路が確立されれば、距離と方角は分かっているわけで、
嵐に遭遇して流されなければ、問題はなかったでしょう。
(当然、天候良好の日を選んで出航していたでしょう。)
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この回答へのお礼

小さいころに読んだ「コンチキ号漂流記」を懐かしく思い出しました。
航海用具もなしに海に乗り出した人類の祖先、ロマンあふれまくりですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/14 15:12

羅針盤 星 太陽がわからなければ、航海できないのは、


コロンブス バスコダガマらの大航海のことです、
大島に近ずけば、航海術がなくても利島 神津島 三宅島 新島 御蔵島 八丈島 それぞれ島と島の間が非常に近くにあり順に現れ有視界だけで充分航海できます、あとは天気と風との相談だけです、平安期より帆船で往来が結構あったようです
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この回答へのお礼

八丈島は遠い、というイメージばかり先行していました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/14 15:09

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