推しミネラルウォーターはありますか?

私はつい最近まで「100匹目の猿」の話は本当だと信じていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%8C%B9% …
今は考えませんが、子供のころは地球を破壊するレベルの争いが起こるのは、人間がいるからだ。
人間なんていなければいい。と思っていました。
だから、世の中で何か悪いことが起こるたびに「自分のせいだ」「自分が99番目までの猿だったのだ」と思い、
そのたびに激しい自己嫌悪に陥っていました。
けれども、人の思いが重なって、現実になるということは実際にはありませんか?

A 回答 (8件)

はい、根拠はありません、船井氏が使い始めた頃から動物行動学などからは批判が出ていました。

少なくとも、100匹のサルがやったとして違う群れ伝播したという事実はありません。マスヒステリーの話として拡大解釈される例もありますが、機序が全く違います。

似たような話だと、ルパート・シェルドレイクの形態形成場(これも船井氏ご推薦)の説明に双璧として使われるグリセリンの結晶化の話、これについても、ワトソンが触れていますが根拠が無いことが明らかになっています。
http://www.geocities.jp/wakashimu/yota/guriserin …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
正直、いろいろな意味で根拠がないと聞いて安心しています。
どんなことを思っても、自分としての幸せは許されるということで良いのですよね。
いい事を思わない人間は不幸にならなければならないとか、
一度悪い考えを持ってしまった人間は、誰かの犠牲にならなければ幸せにはなれないとか、
そんなこと考えなくていいんですよね。

お礼日時:2008/10/29 12:52

No.06


>けれども、プラスの影にはマイナスがついて回ります。

おっしゃるとおりです。
マイナスに対してプラスをあてがっても問題は解決しないと思います。
しかし、もとより何も考えない思考停止状態では先に進めないのではないでしょうか。

私はマイナス思考は自己憐憫だといいましたが、これはマイナス思考に対する理解を深めればそれはおのずと消えるのではないかという意図で書きました。
自分自身を哀れんでいることを自覚してその無意味さに気付き、それを止めることが出来れば結果的にマイナス思考も消えるのではないでしょうか。
これはプラス思考ではなく、マイナス思考に対する理解です。
言ってみれば「愛」ですかね。

昔こんな質問をしました。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3345789.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2777086.html

これも私なりにプラスでもマイナスでもない「理解」によって自分と世界のあり方(関係)を構築しようとしているわけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
自分を中心に考えるので、プラスかマイナスになるのであって、
周りを観察すること、そして自分がそれに対しどういう反応を示すかという確認をすること、
少なくとも感情に振り回されるよりは、周りを理解できるのではないかと思いました。
そこに至るまでに、
URLにあった「中庸」という言葉が、非常に参考になりました。

お礼日時:2008/11/01 23:40

河合さんの「遊び起源説」からの盗作だろうか?


それが飛び火して変なの作ったんだろうね
これ一時期シンクロにシティーやモルフォジェネティク・フィールドしか原因はないと妙に騒がれたけど
まあ盗作した人もなにか自己輝きを求めたかったんじゃないかな?
遊び起源説にそんなこと書いてあったのかな?(笑)
遊び起源説は実は遊びの中から進化を遂げたというなんとも革命的なんですよね
 ネオフロイト派やネオダーウィン派は「労働起源説」押しだったんで
これは画期的だよね、考えてみればそうだよね楽しくなかったらやめちゃうよね、人間も「労働は苦労しんだ、だから働く人は偉いんだ!」とかいて訳の分からない威厳示してる人いるけどなんだかんだ言って結構心地好いんだろうね、まあ心地好くなきゃやらないよ
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
遊び起源説は納得しますね。
どこかの漫画にも「一流を目指すものは、極めて単純な好奇心を持っている」と書いてあった気がしますが。
これには納得しましたから。
いずれにせよ。100匹目の猿に関しては根拠がなさそうですね。

お礼日時:2008/11/01 23:33

>闇に引っ張られても、闇の中心には光が存在しています。


>幸か不幸か、私はそこから再生するのです。

それが自己嫌悪の理由でしょうか。
光を求めるがゆえに自分を嫌悪するのでしょうか。
そのために「100匹目の猿」を使うのですか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
自己嫌悪の理由は、先にも述べたとおり、闇のせいであり、光のせいではありませんよ。
光はあくまで結果に過ぎないのです。

>いわゆるマイナス思考は自己憐憫なんですよ。
という回答を前回いただきました。

確かにそうだと思います。
この場合、マイナス思考を消す一番いい方法は何か?
簡単に考えられる方法は、プラス思考になるという方法でしょう。
けれども、プラスの影にはマイナスがついて回ります。

だからこそこの質問をさせていただきました。
自分の思いが現実になることがないのであれば、
何も考えなくていいのではないでしょうか。
何も考えなければ、プラスにもマイナスにもならない。
もちろん毎日それではいけませんが、そういう時があってもいいのではないでしょうか。

よく、何も考えずにぼーっとしている状態も人には必要だと聞きます。
私には、なかなかそれが出来ないのです。病気のため特にそれが必要なようです。
常に、善か悪かを考える、癖ですね。
そこに「100匹の猿」の観念が常に付きまとっていますので尚更です。
それを手放したい思いで、この質問をしました。
思考から自由になりたいのかも知れませんね。

それにしても回答者様、補足の仕方が見事ですね。
こういうのをアクティブフェーズというのでしょうか。
思わず、疲れた頭で思考をめぐらせてしまいました。
疲れているので、また書き足りない部分もあるかもしれません。
不足がありましたら、また補足要求願います。

お礼日時:2008/10/30 10:24

>人の思いが重なって、現実になるということ


と、「100匹目の猿現象」は、直接的には関係ありません。
質問者様は、「100匹目の猿現象」の意味を、「99匹の猿が同じ思いを重ねると、それは100匹目で現実になる」と、考えておられるのではないでしょうか。
そうではなく、「100匹目の猿現象」というのは、「100匹の猿が同じ思いを重ねると、それは全く別の猿集団でも同じ思いが起こる」という意味です。
例えば、「核兵器をもっと増やすべきだ」と考える集団の数が、日本国内で一定数以上になると、それは遠く離れた別の国の人々に、何も介さず(思いが)伝染した、とういう事になると思います。(「現実」になる、のではありません)
「思いが重なる」段階で、「100匹目の猿現象」は起こるのかもしれませんが、それらの「思い」が「現実」になるのは、厳密に言えばまた違った段階だと言えます。

それでも、「100匹目の猿現象」によって重なった悪い思いが、「現実」になる事もあると思います。
そうだとしても、世の中の悪い事全てが、「100匹目の猿現象」による「思いの積み重ね」によって起こった事ではありませんよ。
国中の人々が「戦争はしたくない」と願っていたとしても、独裁者が命令をしただけで、軍隊が動く国もあります。

「100匹目の猿現象」が、嘘か本当かは・・どうなんでしょう、分らないです。m(__)m
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
まったく勘違いをしておりました。
けれども、20年くらい前に放送していたテレビでは、
私の解釈のとおり放送されていたのです。
私は、昔に比べると人は人らしく、心も進化していると思っていました。
だからいつかは、平和な世の中が来ると、思い続ければ平和になれるのだと、
そしてそれは、近い未来なのだと、質問とは全く逆のことになりますが、そう思ったこともあります。

>国中の人々が「戦争はしたくない」と願っていたとしても、独裁者が命令をしただけで、軍隊が動く国もあります。
そうですね。カウラ捕虜収容所からの大脱走を思い出してしまいました。

お礼日時:2008/10/29 12:54

逆に言えば平和を願うサルが100匹になれば世界が平和になるのではないでしょうか。



いわゆるマイナス思考は自己憐憫なんですよ。

このままだと闇に引っ張られますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>逆に言えば平和を願うサルが100匹になれば世界が平和になるのではないでしょうか。
それも、そうだと信じていました。
けれども、今の自分にとってはそれさえも重いです。

正確にはこの質問に続きをつけるべきでした。
4行目のこの文章の後に
>そのたびに激しい自己嫌悪に陥っていました。
「そして、その思いを打ち消すかのように、祈っていました。
犯罪が無くなるように、戦争が無くなるように、世の中が平和であるように。
ところが、やはり犯罪は起きます。戦争も無くなることはありません。
そうしたときに、自分の思いが足りないからだと、自分を責める癖がつきました。
そして尚のこと自己嫌悪に陥るのです。
そして自分は幸せになる資格など無いと思うのです。」
>けれども、人の思いが重なって、現実になるということは実際にはありませんか?

祈っても、祈っても、結果は見えません。
闇に引っ張られても、闇の中心には光が存在しています。
それは、地球の中心にマグマ(という闇)があり、引力(という光)が存在していることに似ています。
幸か不幸か、私はそこから再生するのです。

お礼日時:2008/10/29 12:57

似た言葉内容の「シンクロニシティ」と言うのがあるので張っておきます。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3% …

また、子供の頃に読んだ話ですので、内容が異なるかもしれませんが書き込んでおきます。

外国のある宗教(宗教名、国名失念)の話ですが、その教えでは今の宇宙の前は意志のあるたった一つの物体(だったかな?)だったそうです。
その物体は「今より自分が素晴らしくなるにはどうしたら良いだろう?」と考えたそうです。思案した結果、ひとつの答えを思いつきました。
「自分を分解して個別になった全てが素晴らしくなり、再び合体すればより素晴らしくなれる」と考えたそうです。
結果それは現在の宇宙になったのだと。
なので「この宇宙の全てが繋がっており、我々人間も素晴らしくなるための努力をしなければならない」と言った内容だったと思います。

・・・書いたけど記憶に自信が無いのと乱文になりましたね・・・。
私にとっては妙に納得した記憶があったので書き込ませて頂きました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
シンクロニシティについては、心理学を最初に興味を持った高校の頃、
「ユング心理学」について秋山さと子さんの本を読みましたので、
言葉の意味などは理解できます。
また、偶然の一致に運命を委ねることの危険性も今は理解しています。
というのも、昔は自分の決めごとを偶然に任せていました。
例えば、有線で好きな曲がかかったら「告白してみよう」など、
今から考えればくだらない偶然の一致に身を任せていたのです。
実際のシンクロニシティは、もっと奥深い心理となって人の心に存在するものだと思います。

人は努力をしなくても、自然に素晴らしくなる生き物だと思っていました。

お礼日時:2008/10/29 12:59

戦争とか、殺人とか、ニュースなどのメディアを通して伝播している気がします。

人の恐怖などの思いが重なって、現実になっているとも考えられます。
質問者様がまだ、先端を行く猿に毒されていない、200番目とか1000番目の猿だというだけの話かもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
それは、ニュースやメディアが人の心を動かしているということですね。
自分も200番目や1000番目の猿になるということでしょうか?
もし自分がそれを思うことによって、将来自分もそうなる可能性があるのならば、
自分が生きている意味は全くないですね。
けれども、確かに生きている。命とは不思議なものですね。

お礼日時:2008/10/29 13:00

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