映画のエンドロール観る派?観ない派?

ゆとり教育のせいで子供達の学力低下が著しいと聞きますが……。
が、一方ではテレビと同じ感覚でインターネットが使える昨今では、
知識欲の旺盛な子供は無尽蔵に知識を吸収できて、
今後物凄い博識な若年層が出現してくる可能性も大でしょうか?

A 回答 (8件)

 子供が自分の気持ちの中で、外から与えられた情報をどう処理してゆくかを考えさせるための”ゆとり”だと思います。

これまでは子供の側が情報を心の中で処理する”ゆとり”を奪う、つめこみ教育が高速化されていたと感じていたため、おとなはこういった「ゆとり教育」を言い始めたのでしょう。そこで人間の心の中の情報処理機能とはいったい何なのでしょうか。今「こころの時代」とも言われる事がありますが、私自身は「主観性の回復」が大事かなと思っています。あまり「私はこう思う」と言い難い風潮ってありますよね。学校の国語テストの長文読解問題で、作者の言いたいことは1番から5番のうちのどれですか、というのがありますが、この場合その子がどう思うかというのが無視されるわけで、あくまで普通一般だったらどう判断するのが妥当かというのが要求されてしまうわけです。思うに「私はこう思う」という態度からその人なりの見識は発展してゆくとも思われるのですが、これまでの社会はそういう人間をウザッタイと思ってきたフシがあります。これからは情報過多に潰されない、情報処理機能を心に宿した精神のあり方が、むしろ問われるべきなのではないでしょうか。
    • good
    • 0

こんにちは。



知識のもととなる情報は、何もインターネットに限った事ではないと思います。
確かに以前には自分が知りたい事を知るには、あちこち調べ回ったり人に聞いたり本を読んだりしなければならなかったですから、それがPCの前にいながらにして手に入るという簡便さは有ると思います。

しかし、百聞は一見に如かずという言葉でも分かるように、実体験に勝る情報はありません。
例えばどんなに旅行ガイドを読んでも、実際に旅をしてみなければ分からなかった事ってたくさんありますよね?経験のしようもない事物には文献等に頼るしかないですが、大抵は実体験が最大最良の情報源だと思います。

育ってきた環境の変化という事も有ると思いますが、情報の氾濫した現在では、その一つ一つの重みとか価値が薄まっているような気がします。
それなりの質の情報が簡単に手に入るから、それで一応は満足してさらなる追求をするとか、その情報は正しいか疑う事をしない。また簡単に手に入るから覚えておこうとも思わない、また調べればすぐ分かるから。
ワープロの変換に頼りきりで自分で漢字を覚えないから、挙げ句の果てには正しい漢字がどうだったかさえ分からないで、間違った字を何の疑いなく使ってる人もいますよね?それと同じ事だと思います。

結論として僕が思うには、確かに知識の豊富な人はいるかも知れないが、ただ知っているだけでそれの活かし方は分からないし、それを自分で考える力もない人ばかりになるんじゃないか、と思います。
    • good
    • 0

もの凄い「博識」どころか、超『薄識』になる恐れの方が大きいと思います。



#5の御回答にもありますが、所詮子供は気まぐれにしか使いません。パソコンも日常の物として受け入れているようですが、逆に言えばゲーム機の一種の様かも。
そして、ある時エッチなサイトにハマリ・・・・・(^^;)。
勿論、可能性は昔に比べて広がっているので、それに気付いた人はかなり使いこなし、情報・知識を得る(補足する)ツールとなるでしょう。既にですが。

でも、一部だと思いますし、今ネットで得る事の出来るのは「見出し」程度の情報しか無いですよね。本当に探求・研究心を満足させる情報はネットには無いか、有料ですよね。
無論、大変便利です。今、この様にこの場で質疑応答も出来ているのもこれの一つでしょう(^_^)。しかし、この便利さが少し心配です。
昨今、大人もパソコンがかなり日常になり、脳の退化が心配されている様ですから・・・・。

で、無難に行けば「薄っぺら且つもの凄い情報量」を持った、バーチャル(月並みですが)で落ち着きの無い人達が増えるのではないでしょうか?
可能性が広がった事により、上手に利用する「一部」の人が沢山になる事を期待はしますが・・・。

ネットだけではなくコンピューターを考えた場合、大変月並みな発想ですがハードや環境に対する知識は猛烈な人々が出て来ますが、ソフト面で多くの人々が苦労しているように何をどう使うか本人が気付かない内に踊らされる気がしますし、今も既にそう言うところがチョクチョクあるような気がしています。

・・・って言う私なんかの平凡な考え方が通用しない様な「ハイパー」な人達が増えると思います(^_^)。
    • good
    • 0

ウチの子もネットやってますが  そんなにすごいことは


ないですよ  結局 自分の好きなとこしか見ないし
ちょっと見るとすぐ違うのを探しに行くしで全然深く知ろうとしないです  まだ小学生だからしょうがないかな・・・
 
近い将来はかえってパソコンなしでは何もできなくなるかも
いつもパソコンを持ち歩いてちょっとしたことでも
調べてすぐ分かるから全然覚えようとしなくなったりして
と思ってるので 私はこの先の事 不安なんですけどね・・・
今でも持ち歩いてる人いますよね  仕事でって人が多いけど
それが子供にも普及していったら・・・
    • good
    • 0

確かに知識量は増えますがそれは過渡期だけの問題でしょう。

彼らが世間に出る頃はインターネットで得た知識は特別な価値はない筈です。なぜなら誰でも知っている事、その情報にアクセスできることだからです。昔は読み書きソロバンが教育だった時代があります。それが標準だったからです。今はインターネットの時代です。前世代、現世代、明日の世代が混在しているからこそインターネット情報は価値があるのです。明日の世代が中心となる世界ではやはり独自の理論、研究が高く評価されると考えます。当面の課題はインターネットで得た情報をどう判断し活用するか(真偽の見分け方を含め)を教える事ではないでしょうか。
    • good
    • 0

テレビは昔の1~12チャンネルだけに比べると


衛星やケーブル等でものすごく番組が増えている
ハズですが、番組の質が落ちているため
子供や若者の人間性のレベルは昔に比べると
格段に落ちています。

インターネットで情報量が増えても情報を身に
つける能力がないと口だけで何もできない人間に
なってしまいますね

実体験の無い情報をどうやって活用するか解って
ないと活用できません


 
    • good
    • 0

あまり変わらないような気がします。

無尽蔵に知識を吸収できる要素は多分にありますが、まずそこまで興味を持つ人は少ないでしょうから。また、昔でも興味があればいくらでも調べる方法はあったと思うからです。それに、苦労して調べた方がより自分の身につくという観点で考えると、逆に昔の人を超えるのは難しいかもしれません。簡単に何でも調べられるのも問題ものではないでしょうか。
    • good
    • 0

物凄い博識、というのがどのくらいかわかりませんが、


大学の一般教養レベルあたりに限界がある分野が多い、
という経験がわたしにはあります。

大学の時にレポートを書くためネットで調べものをしようとしました。
そこそこ調べられた分野もありますが、自分の専門科目については
結局最後に誰かの論文などの引用に突き当たり、そっからさきは
自分で本を探す・論文を取り寄せるなどの手順が必要になりましたから。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報