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最近大人とはなんだろうと考えます。
例えば人間関係に対して、相手に怒りや不満があるとします。
社会では感情を前面にだすのは愚かだとは思っていますが、親しい友人や恋人相手にはどうしたらいいのか?と考えます

怒りや不満を堪えて、相手を思いやって言葉を選ぶ、もしくは言葉にしない(感情をコントロールして)、のが大人なのですかね
でもそれって自分にストレスとかマイナスを生んでしまう気がするのは、それは子供だからでしょうか?
負の感情を感じなくなったら大人、ですか?

そんな事を考える反面、感情を抑えた関係って軽薄にも感じるのですが、心で分かり合えるとか実際あると思いますか?
言葉なくして分かり合える仲になるには言葉のコミュニケーションがまず必要になるのではないでしょうか?

決して今人間関係が上手くいってないわけではないのですが 笑
精神論ってキリがないように思います

A 回答 (11件中1~10件)

http://www.google.co.jp/webhp?client=firefox-a&r …

これができる人かな。

今の大人は皆子供っぽい。
自分の欲望の為に周りの人間の心をも忘れることが出来てしまうどうしようもない駄々子の化けた大人の振りして大人になったと勘違いした青年壮年中年高齢者が大多数国内に存在中。
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大人とは、自分の人生の目標であって、決まった概念は無いものだと思ってます。



私の場合は、紳士的な対応・気遣い・食事マナー・仕事の責任感を持つなど、様々な大人の条件があります。おそらく40なっても60なってもまだまだ子供、まだまだ半人前だと思いますが。
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年くったコドモばかりの現代社会において


その質問はかなりイタイ。

大人 ねぇ・・。

絶滅危惧種に指定されていそうな生物だと思うけど。
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自分と相手を同時に幸せにする能力だと思います。



そのためにはコミュニケーションは重要ですね。
そして自分を犠牲にすることでもなく、
相手に犠牲を押し付けることでもなく。

参考になりそうなHPを下にリンクします。

では。

参考URL:http://www.counselingservice.jp/lecture/lec347-1 …
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怒りや不満をコントロールして快適に過ごす術を身に付ける、これも大人の感性だと思います。


親しい友人になるまでには十分コミュニケーションは必要でしょう。
本音の6割ぐらいの付き合いが普通だとしたら親友、家族なら8割ぐらい言える、の違いでしょうね。

心で分かり合える仲は長年連れ添った夫婦か双子ぐらいじゃないでしょうか。

後は自分のした事に責任がとれる人(自己責任)
感情で当たって行き過ぎた行為は例え正しい行為でも責任の強要だと思います。
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「?」マークだらけですが一体何を質問したいのでしょうか。



大人とは自分が聞きたいことをキチンと文章に出来ることだと思います。
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個人的には、自分のことが自分でできる人が大人だと思っていますが、いい歳こいて自分のことが自分でできない人って結構いますね。


さて、大人という言葉と存在にポジティブな意見が多く出ていますが、バランスをとるためにアイロニックな意見も書いておきます。

・子供や若者を見る目線が完全に「上から目線」であること

・走って移動することがとてつもなく面倒くさくなること

・割り切れないことも「そんなもんだ」と諦められること

・変化についていけない

・昔はよかった

・心にもないおべっかを平然といえるようになること

・金と地位と名誉のためなら魂も売れば他人を陥れることも平気であること
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 精神論など言いたくありませんが。


 大人は知っています。怒りで何かを言うと、伝えたいことが伝わらずに、敵意や害意が伝わることを。本当に伝えたいのは「(あなたの遅刻で)私は困っている」とか「(私は)さびしい」とか「(私は)残念だ」とか、怒る前の感情だということを。怒りは相手への警告という意味です。
 大人は知っています。自分の前にあるのは、自分がどう振舞うか、自分がどう考えるかでしかないことを。ひとはひと、自分は自分という自他の区別ができています。自我境界が鮮明で、人に共感しようと思えば共感できるし、無視しようと思えば無視できます。しかし、他者の中にも視点をひとつ置いて自分を見ます。
 大人は知っています。責任を負えば自由になれることを。自分の感情に責任を持てば、コントロールできることを。あいつのせいで自分は怒るんだとは考えずに、怒っているのは自分だと考えます。また、自分も同じようなことをしたことはないかと考えます。すると怒りは鎮まります。
 大人は知っています。自分の中に原始的な動物がいることを。人間なんて所詮は動物です。その欲求を無視しては幸せにはなれないことを知っています。好ましくない負の感情を抑圧しません。負の感情が発生しないような環境を整えて、鎮まるのを待ちます。
 大人は知っています。心にはゆらぎがあることを。不安があるから安心の意味を知り、敵がいるから味方の何たるかを知ります。不満な時があるから満足する時があるのです。この世はすべて相対的です。
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もし「感情を面に出さない」人間が「大人」と呼ばれるなら、私の周囲の人はかなり「子供っぽい」ってことになりますね。


私も含めてね(笑)。

「感情」はコントロール出来ますし、発散法や考え方如何でどうとでもなる類のものだと思います。
それより難しいのは「自分の意思をどうするか?」という問題です。
「命題」と言っても良いくらいに、これは大変な問題です。

自分の意思が曲げられたとき、侮辱されたとき、自分がどう反応し、対処していくのか?ということは、経験が豊富である「大人の分野」です。
何かの選択肢を、どうやっても選択しないといけない状況に追い込まれたとき、その判断の最終決定が下せると言うことも、大人の仕事でしょう。
言いかえれば「覚悟」というものが、大人と子供の「区切り」なのだと私は考えます。

「広くものを見て、深くまで考え、明確に判断する」
これを途切れることなく、続けていく作業が出来る人を、私は「大人」と呼んでいますよ。
…でも「ひとそれぞれ」だとも思っていますけどね(笑)。
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大人とは「感情を抑える人」では全然ありませんよ。

それは子供。大人とは「感情を上手にコントロールできる人」だと思います。

つまり、怒りを感じたとしますよね。子供はこの怒りを誰かにぶつけようとします。でも、大人なら、怒りを誰かにぶつけると、そのぶつけられた人がストレスを感じて、自分に怒りを跳ね返してきたり、あるいは自分とはまったく関係ないところで捌け口を見つけて社会をめちゃめちゃにしかねないのを知っています。なので大人は、あとさき考えずに怒りをぶつけたりはしません。

また、大人は過去に何度も怒りを味わっているので、経験から、怒りの捌き方を心得ています。なので大人は、怒りを感じても、上手にそれを保留にしたりできます。そして、夕日とか、カラオケとか、プチプチなどを上手に利用して、怒りを吐き出します。あるいは、ちょっとした知り合いに愚痴を聞いてもらって、怒りを捌くこともありますし、長い人生をかけて培った、自分を理解してくれる親友に、思いのたけをぶつけ、電話越しに慰めてもらったり、肩などを抱いてもらって泣いたりします。黙って殻に閉じこもるのは子供。

しかし、大人の条件としてもっと大事なのは「責任を持つこと」だと思います。責任があるから、間違ったところで怒りや感情をぶちまけたりはしません。そして、責任があるから、適切な場で怒りや感情を捌きます。

ちなみに、同じ人が、時には大人になり、時には子供になったりします。

>心で分かり合えるとか実際あると思いますか?

私には、そういう相手がいます。あなたにもいるけれど気が付かないだけなのかもしれません。

>言葉なくして分かり合える仲になるには言葉のコミュニケーションがまず必要になるのではないでしょうか?

そうとも限りませんが、「黙っていても誰かがわかってくれるさ」と思ったら大間違いです。わかってもらえるよう、何らかの形で、自分から努力しないといけませんし、また、相手がわかってくれているのを見抜こうと努力する必要もあります。
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