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以前、どこかの国の平和を叫ぶ系のイベントで、
世界中の様々な「愛」という意味の言葉を、
白い風船に書いて飛ばすシーンを、TVで見ました。

●英語 ラヴ love
●ドイツ語 リーベ Liebe
●フランス語 アムール amour
●イタリア語 アモーレ amore
●スペイン語 アモール amor
●ギリシャ語 エロース
●ロシア語 リゥボーフィ
●オランダ語 リーフデゥ LIEFDE
●モンゴル語 ハイル KHAIR
●ブルガリア語 リュボーフ
●韓国語 サラン
●中国語 アイ(中国漢字は出てきません。)

いっぱい調べた結果こんな感じです。
でも日本語では「アイ」=「愛」です。
中国と同じじゃないですか!(現在は微妙に違う漢字ですが。)
もちろん、中国で生まれた漢字が、
朝鮮半島を経由して日本に伝わったのですから、
「愛」という漢字を使うことはおかしくないですね。
でも、朝鮮半島にも漢字は伝わりましたよ。
日本に漢字を伝えたのは朝鮮半島の王仁(ワニ)博士という人です。
朝鮮にも「愛」という漢字は伝わった。
しかし朝鮮には「サラン」という愛を意味する言葉があった。
現在の韓国では、「愛」という漢字は、「エ」と読まれている。
チャングムを演じたイ・ヨンエの「エ」も漢字表記で「愛」です。

つまり日本人は、「愛」という漢字が伝わる前には、
「愛」を意味する言葉が無かったのですか?
無かったから、中国から伝わった「愛」を
そのまま取り入れたのでしょうか?
     
もし、古代の日本人に「愛」という概念すら無かったとしたら、
日本民族はなんと冷たい人間だろうか!
それとも「愛」を意味する言葉はあっても、
古語として(死語として?)消えてしまったのですか?
言語に詳しい方、教えてください。

A 回答 (8件)

人を愛するという気持ちを表す言葉が特定の言語にはないかもしれないという発想自体がわたしには不思議でした。



愛妻 これをどう読みますか?
「あいさい」と読めば、中国から伝わった音読みですね。
「はしづま」あるいは「めづま」と読める方は、古語の時間に起きていた方です(笑)。

「はし」というのは「いとしい」という意味で、「はしづま」は古事記にもかかれています。
「めづ」は、愛でる、愛するという意味なのはよくおわかりかと思います。
名詞の愛に相当するという意味では「めで」がお求めの答えかもしれません。

その他に、万葉集には「まな」をそのまま「いとしい人」という意味で使っている歌もあります。現代の日本語にもある、愛娘(まなむすめ)などの「まな」ですね。

古代の日本にもちゃんと人を愛することを表現する言葉はあったのです。

「めで(めづ)」や「はし」などは、人を愛するときに使う表現としては、いまはほとんど使われません。なぜ使われなくなったのでしょうね。わたしも知りたいところです。


王仁(わに)博士 論語と漢字を百済から日本に伝えたことになっている3世紀末か4世紀初頭の人とされています。でも、この方の記録は、8世紀初めに書かれた古事記と日本書紀にはあっても、朝鮮半島で最も古い12世紀に成立した歴史書・三国史記にはもちろんのこと、他の朝鮮半島の歴史書にも一切でてこない方なのです。古事記によれば、論語と千字文(これが漢字のこと)を伝えたことになっているけれど、千字文は中国で6世紀初頭に成立したものですから、3世紀末か4世紀初頭の応神天皇のときやってきたとされる王仁博士は、伝えようがなかったのです。
それゆえ、王仁博士という特定の人物は存在せず、百済から来た複数の学者をひとりの人物に代表させたのではないかという説が有力です。

韓国では、近代になって日本の古事記や日本書紀の記述をみて、日本に文化を伝えた人物として急にもてはやしたようで、日本では実在の人物かどうかは学問的に疑われているけれど、韓国では教科書にも登場する人物になっています。
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No.5です。


そういえば、背子(せこ)というのもありましたよ。
「吾妹」が男性から女性を呼ぶ言葉なら、
背子は女性が男性を呼ぶ言葉。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C7%D8 …

※ウィキペディアで「愛」を引くと、“平安文学では「愛(かな)し」と読ませ”とありました。

ついでに見つけたトピック。
“江戸時代に「愛する」という言葉はありましたか?”
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa10754.html

文明開化の頃には福澤諭吉や西周(にし・あまね)など知識人が西洋の言葉の日本語訳を考えたんだそうです。
「哲学」「藝術」「科学」など。
元々あった語も、明治時代に新しい意味で使われるようになったと。
「愛」もそのひとつなのでしょうかね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6# …

同じ「精神」でも内容がいろいろだということです。
各国語の「愛」も、ニュアンスがいろいろと異なるのかも。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E

No.2さんがキリスト教の神に対する愛のことをおっしゃっていましたが、
英語のcharityというのもキリスト教的な言葉であり、日本語のチャリティーとは違う気がします。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=charit …
たとえば、マザー・テレサの「神の愛の宣教者会」の英名はMissionaries of Charityですが、
日本で一般的に言う(キリスト教会が行うのでない)「チャリティー募金」とは精神が違うはずです。

余談
牛の話が他にもあって、興味深かったので覚えています。
ほんとに言葉は文化や生活習慣と密接なのですね。
No.2の回答が牛の話です。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4439573.html
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だから、韓国、北朝鮮は


あんたたち日本より優れている
と言いたいのかな
過去の貴方の御発言を拝見すると
そう言う事ね。
そう、そう、そう思って
下さって私としては結構よ
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No.3さんがおっしゃっているように、「愛」というのは仏教用語で


マイナスの意味の語に使われていたという話を読んだことがあります。
そのせいか、南蛮渡来の宣教師が聖書か何か、キリスト教の言葉を日本語に翻訳するときに、愛という文字を避けたらしいです。
「デウスのごたいせつ」と訳したそうです。
不思議な言い回しですが、なんか素敵だとも思います。
(渡辺和子シスターの本に出てきました)

古い日本語には、吾妹(わぎも)、妹背(いもせ)などの言葉もありますよ。
万葉集でも百人一首でも、ああいう和歌の世界をちょっと覗いてみると、恋愛や夫婦の愛や親子愛や、そんな歌が多いです。
愛という語を使っていないだけで。
(朝廷人が恋愛の歌を詠むのはゲームでもあったようですが、防人の歌とかだと故郷に残してきた妻のことを歌っていたりします)

表現方法が異なるのでしょう。
今だって日本人は、西洋人のようには「愛している」なんて家族に言いませんし、キスもハグもしませんよね。
する人もいるかもしれませんがしないほうが多数です。
じゃあ全然大切に思っていないのかと言ったら、そうではないですよね。
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通訳です。


通訳をしていて思うのですが、西洋人は愛を強くあからさまに表現する。というか、感情を強くあからさまに表現します。
日本人は感情を露骨に表すのははしたないと考える民族です。だからといってその感情が弱いということは決してありません。強く表現するかどうかというだけです。
短歌をやるとわかるのですが、美しいと感じたら「美しい」と言わずに美しいことがわかるように表現しなくてはいけません。たとえば生まれたばかりの赤ちゃんが可愛いと感じたら、可愛いと言う代わりに「五本の指がまるで紅葉のようだ」とかそういう表現でなんとなく「可愛い」ことを表します。それが日本人の特性です。
愛という言葉そのものがなかったということは、それを露骨に言うのを避けたという奥ゆかしさではないかと考えます。愛は心の問題ですが、心で始まる単語はどこの言語より豊富です。一部を列挙します。
心する
心苦しい
心構え
心意気
心がける
心配り
心癖
心丈夫
心遣い
心づくし
心づけ
まだまだあります。
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 質問者のイメージでの「愛する」は、古い時代では、<お(を)し>や、<うし>と言ったようです。

とてもを意味する<いと>をつければ、<いとおし>となり、現代でも、<いとしい>と使いますよね?
『香具山は畝傍をうしと耳成と....』(天智天皇と大海人皇子が額田女王を争ったことを歌ったとされています。)といった歌がありますよね?

 また、質問者は「愛」を高尚な精神的なイメージで捉えていますよね?中国でも、ヨーロッパでも愛=精神的な愛情と肉体的な愛情、つまりセックスの両面とも意味します。ちなみに、中国では作愛がセックスのことです。また、愛の女神ビーナスは多産を意味しますし、今でもビーナスの病といえば性病のことでしょう?
 そもそも、愛は仏教用語として輸入されたものだと言われています。
上記の精神的な愛情と肉体的な愛情の面も含めて、「執着」=「煩悩・欲望」という意味で持ち込まれたそうです。
 今日の意味で「愛」を用いだしたのは、明治後、ヨーロッパの言語を日本語に訳す時に適当な言葉がなかったから、仏教用語から拝借したのが始まりだとか。
 
 質問者の方は、もっと様々な本を読まれて、自国のことを知るべきではないでしょうか?自国の文化や言語、歴史を知らずに外国と比較して、こんな場所で質問するって、恥をさらすようなものだと思います。
いや、そもそも異なる文化を比較して、正邪・善悪をつけるって、傲慢ではないでしょうか?
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国語にも外国語全般にも詳しいわけではありませんが、各民族はそれぞれ必要なときに必要な表現方法をもっています。

 辞典に載っている言葉(表現)は翻訳語として代表的なもの、多くの人に適用可能な言葉に過ぎません。また民族のニーズによってあることを表現する単語が複雑に発達する傾向があります。 牧畜民族でない日本人には「子牛」で十分ですが民族によっては子牛をこまかく表現します。メスかオスか、今年生まれた子牛か、二歳子かなどです。

愛にあたる大和言葉は、かなしい、いとしい、いつくしむ、などでしょう。 近代になって好きが使われ、現代は愛しているということになっていますが、何割の日本人が愛という言葉を使うか疑問があります。
愛は外来語です。 したがって外国語を翻訳するときには便利のよい言葉でしょう。

例にあげておられるスペイン語のamorの原義は神に対する愛であり、日常語としても使われますが、動詞としては愛の発展過程で次のような表現が使われます。

amorに至る前段階
me interesa 興味がある
me gusta 気に入る、好きだ
me cae bien 気にいる(恋愛感情の直前)
te adoro 敬う 
te amo 好きだ、愛している
te quiero 愛している、(君のすべてが欲しい)

言語の世界では、ある民族はあることを表現するのに優れているが、他のことについては彼らが原住民とか先住民と呼ぶ民族の方がはるかに優れている(豊かな表現、語彙)ということがあります。それによって民族性(冷たい、やさしいなど)を決めつけるのは暴論です。
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言語についてはど素人ですが生まれつきの日本人です。


両親も日本人、そのまた両親も日本人です。でも日本語はあまり得意ではありませんが、外国語は全くわかりません。

漢字が伝来して2000年以上ですよね、その時代の知識もありません。

Loveとかサランの使い方はよくわかりませんが、日本には「愛」という言葉はなかったのかも知れませんね。

子供を愛する、親を愛する、異性を愛する、じゃなくて、「思う」とか、「案ずる」とか、「偲ぶ」とか、私の知らない言葉がもっと沢山あると思いますが、愛とは違う表現をしたのだと想像します。
所詮、漢字は元々中国から伝わったものですから、独自の文化が無いと言われればそれまでですが、日本の言葉には日本人しか理解し難いものが数多くあります。どこの国の言葉でもそうですよね。
外国の方々がどういうふうに「愛」という言葉を使うのかは知りませんが、冷たい人間である日本民族の私は「愛」という言葉は全く使いません。他の人は知りませんが。
「子供のことが絶えず心配です。」、「あなたのことが頭から離れません。」で十分だと思います。
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