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先日質問で「ファミレスのマニュアル化」とか「企業電話受けの形式的名乗り」とか、大量の不特定顧客を捌く必要性として、そのような形式化が主流になっているという流れを確認したのですが、考え方次第では、あきらかに、特に商分野でそしてそれから波及して世の中一般が間化しているということも言えると思います。人間的な自然さが遠ざかっていると言う印象です。

こういうことは、資本主義社会におそらく必然だったのだとは思うのですが、それは大げさに言えば、哲学的に言って是なのでしょうか?あるいはそんな哲学など墨に追いやられて何も効力を持たないのでしょうか。あるいは間化システム化がすなわち人間社会でより是とされるという考えが主流なのでしょうか?

どうも、私はこういう世の中が寒々しくて仕方がないのです。

A 回答 (8件)

>こういうことは、資本主義社会におそらく必然だったのだとは思うのですが、



そんなことないですね。

もともと思いやりとはその人その場面によって臨機応変に行うものです。
でもいつごろからか、この臨機応変さがなくなった人たちが、臨機応変に扱われることを嫌うようになってしまいました。
実際にマナー講座などでこういうときはこうすると教わると、なぜそうなのかも考えずにバカの一つ覚えでそれしかしないし、自分もそういうことをされることを求める人が居るそうです。
大事なのはなぜそうするのかという「心」なのに、「心」など目に見えないから目に見える「行動」のほうが大事だというおかしな考えの人が増えてしまったんですね。
そういった自分で思いやりがある対応をされているのかいないのか判断が出来ない人が出てきてしまったんですね。
そのため、マニュアルどおりの対応が思いやりのある対応だとされてしまいマニュアルどおりに動くことが求められるようになって来ました。

これは資本主義社会の問題でなく、日本人の教育の問題だと思います。

他にも「火の無いところには煙が立たない」的な考えや「喧嘩両成敗」的な考えから、クレーマーの人にお店がイチャモンをつけられていても、揉めているということはお店にもなんか問題があったんだな。問題があるようなお店はダメだ。という考えをする人が多かったです。
これは元々日本人とは「お天道様が見ている」と考えて他人が見て無くても悪いことはしない自制心が有ったのに、近年はそういう心が薄れている人が増えている。
なのにそういう心を持った人は他人もそうだろうと考えているためにそういうふうになってしまったんだと思います。

そういう間化しているのは資本主義が問題が有るのでなく、日本の教育がおかしな方向に進んでいて、昔ながらの日本人的な考えをなくした人が増えているためだと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答のような面が、実はメインな事象なんではないでしょうか。各人の心がシステム化ロボット化していって、それだからマニュアルが受ける、あるいは必然性によってそれを強制される面もありますが、それに対する拒絶新というものがほとんど存在しないから、ますますマニュアル化が定着していると言う気がします。なんとも寒い話しです。「臨機応変」を拒絶し、駆逐してしまう。すごい乱暴なことですよね。つまりは、心よりも物質てき確証ですね。資本主義国家だっていくらでもあって、日本より血が通った関係がいくらでもあるわけですからね。
もともとの日本人の感性というのが消滅していく、その感性は貧乏性と言うことが土台になっていたかもしれませんが、なんともやりきれない思いです。

お礼日時:2009/01/15 07:31

>考え方次第では、あきらかに(中略)言えると思います。


 日本語としてはあきらかに矛盾しています。

>哲学的に言って是なのでしょうか?
 “倫理的に”という意味ですよね?哲学を語りたければもう少し言葉の使い方に誠実さと厳格さを求めるべきでしょう。
 規格化された接遇=悪というのは偏見です。規格にも良し悪しがあり、ホスピタリティーを十分に表現できるものもあれば、そうでないものもあります。
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この回答へのお礼

そうですか?
倫理的にですね。どちらかと言えば。
規格化されたものというのがもちろん物事の両面でメリットも多い。しかし、人々がそれに抱く心のありよう、それが偏っていないかと言う点が引っかかります。つまり、規格化崇拝者があまりにも多くないだろうか?その点4番さんのご回答が大変示唆が深いものに感じます。

お礼日時:2009/01/15 07:42

>人間的な自然さが遠ざかっていると言う印象・・・間化システム化



では、人間的な対応とはどういうモノでしょうか?

・テレビやなじみ客との雑談に熱中して、一見の客には見向きもしない店主。
・客が呼んでも返事をぜす、黙ってコップや皿を放り投げて行くウェイトレス。
・観光客の身なりを見て商品の値段を何倍にもして売りつける売り子。
・客の注文とは異なる商品を出して、騙される方が悪いと居直る商売人。
・地理に無知な客を遠回りの道で案内し過剰な運賃を請求するタクシー。

こんな『とても人間的な対応』をされて貴方は心休まりますか? (性悪説)
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この回答へのお礼

おっしゃるような反面も確かにあります。
しかしその反面はなにか人間的です。もちろん商売という面では嫌悪を催します。マニュアル化された「正しい」「疎漏のない」やり方は、なにか心の中に拒否感が残る←しかし大半の人はそれでいいと言う、そういうものを厭うのは。マイノリティの感性なんでしょうかね。

結局極端はいけないってことにならないでしょうかね。それなのに、マニュアル化はどんどん極端に言ってもいいんだ!という主張が隆盛になっている気がします。

マニュアル化の極端なものをご回答にそってあげてみますと

・1品だけ頼んでも10皿頼んでも「これでおそろいでしょうか?」ときくファミレスのマニュアル
・商売以外のコミュニケーションを一切拒否する店員(ちょっと道を聞くのも交番に行けという)

要は、性悪説を押さえ込むために、徹底的にマニュアル社会はすすんでいると言う面もありますが、それは心の中に拒絶感を従ってもいいのです。そかしそれがないところが寒い。

お礼日時:2009/01/15 07:39

マニュアル化の上に大規模化、トップ主導の合理化などがあるからたちが悪いという感じですね。

政治もそんな大規模化に大きく肩入れをし、加えてその大企業へ大多数の中小企業が頭を地べたに付けて仕事をせざるを得ない状況を作っているのだからたちがわるいですね。
特に高度経済成長期の精神論と成功体験を引きずっているような企業などはかなりたちが悪いですね。その結果が自殺大国日本という事なのでしょう。
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この回答へのお礼

なにか、マニュアル化をし続けないと商売にならない人たちがいて、そういう人たちにまた利用されているような気もしますね。国を挙げてマニュアル化に推進しているようです。

お礼日時:2009/01/15 07:32

大きな銀行、大きな工場、大きな商社、そして様々な大きな流通・サービス企業が誕生して発展してきた日本。


これは、反面では農村や漁村、あるいいは山村の解体の歴史でもあります。
お隣の中国では、今、上海等に小生産者層から離脱した労働者が集中し相対的過剰人口をつくりだしています。
正に、「資本の蓄積」と「小生産者層の分解」とが中国では判りやすい形で同時進行しています。
昨日の「ガイヤの夜明け」を観れば、実態として「富の蓄積」と「貧困の蓄積」という両極化が進んでいることが判ります。
資本主義的蓄積の絶対的・一般的法則が中国で確認されるとは、何とも皮肉な現象です。

さて、以上は資本主義における貧困化論の概略です。
誤解される向きもありますので、貧困化とは社会的な生活水準と勤労大衆とのそれとの乖離のことです。
ですから、勤労大衆の生活水準が年々に貧しくなるということではありません。
戦後初期の食うや食わずの貧困ではなく格差社会という形でのそれです。

ところで、貧困化の具体的な表出としてIT革命による労働疎外に進行という事実があります。
例えば、私が1985年に構築した生産管理システムの弊害。
20数人という旧管理組織を10数台のワークステーションと端末とに置き換えたシステム。
これは、結局は、従業員と対立し従業員を管理する仕組みでしかなかったです。
もちろん、IT化を推進しないと工場としては生き残れないのは明らかでした。
しかし、『誰のための、何のための』という点では、期待した結果は得られませんでした。
実に残念なことです。

同じように、物質的・社会的な諸機構の近代化・高度化は社会経済構造体を維持・発展させる上では不可欠。
ですから、私は、物質的・社会的な諸機構の開発と整備とも軽視するような非現実派ではありません。
だが、経験では、それらは、必ず、非人間的な要素の拡大と人間的要素の喪失を伴います。
問題は、こういう負の側面をも認識しているかどうかでしょう。
そうして、資本主義的生産関係に不可避な現象として理解し、その矛盾を止揚して行くという方向で生きているかでしょう。

生産管理システムをもってうみだした生産物は工場を出荷すると同時に作業者の手を離れました。
そうして、営業の手で換金されて本社の金庫に蓄積されました。
この生産と取得とのあり方が、『誰のための、何のための』とを決する全てでした。
労働疎外と人間性とを問題にするならば、この物質的生産の矛盾と対決することが基本だと思いますよ。

>これまでの哲学者は労働疎外と人間性との問題を解釈してきたに過ぎない。
>大事なのは、それを生み出している世界そのものを変革することである。

フォイエルバッハテーゼ11は、このようにも読めると思う昨今です。
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この回答へのお礼

ある程度、必然的な流れであったと言うことは納得いきます。大変ご丁寧な説明で、よく納得させていただきました。しかし、それはそれとして、なにかそれにかこつけて、素の人間関係的なものをオミットしてしまうような流れがビジネス界に多くなってきたような気がしています。

お礼日時:2009/01/15 07:26

専門化 では ありません が 。

。。RESPONSEします::  
ご質問  を  私なりに  解釈 いたします :: 素人 でも  ::  ::
御許しください::
 :で、、
質問の : 要約 :  
 日本の  この  平成20 年 頃  の 社会風潮 について :  
 商業 的な 分野 などを 筆頭に :: 
 : 個々人の  心 や 情感 を 押し殺して :
 : 職務 を 遂行する  人間社会の風潮
 :
 」:資本主義 社会 では やむをえないのか  それしか ::
 道がないのか  : ::
 :個の日本の  フインキ に 違和感を持っています。。
 :で、  意見を  求めます ::
・・・といった 感じで わたくしなりに 解釈いたしますた。::

で 私の 応答は 
 : この 西暦 2010年 頃 の ニホン という 国:地域  
 :の 風潮は  ::」  ニホン が これからの 世界 のなかで :: 生き残るための  痛み: 苦しみ :の過程が
 : ご質問で指摘されるような : 形で あra現れた と
:私は : おもいます::
 :自分的にも  ご質問者 様 と 同じ 気持も 抱きます。。。
 : なんか。。。 冷たい  。。 :ロボットじゃないんだから。。。 違和感に同意 。。 
では失礼いたします 【】
j:

。。重複する ないようで 。。しつれい。。:
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この回答へのお礼

そうですね。そのような感慨を抱いています。

お礼日時:2009/01/15 07:24

garcon2000さんが危惧されているのは、商業分野でのマニュアル化が個々の人格を壊して、まるでロボットのようになってしまうのではないかということでしょうか?



しかし、それは「仕事」での場合ですよね?
一番企業にとって目の上のたんこぶは「クレーム」だと思います。
そのクレームを比較的出さないようにするには、不特定多数に対する対応のマニュアル化だというふうになってきたのではないでしょうか。特に新人には必要なものだと思います。

でもそれをプライベートに持ってくるかどうかは、はなはだ疑問です。
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この回答へのお礼

進化の結果である、という考え方もあるでしょうね。もちろんプライベートは別次元なわけですが、それほど仕事上のシステム化と段差をつけた法外鋳物なのか?段差が激しいと心に潜在的な苦しみを負い続ける気がしてしまいますね。

お礼日時:2009/01/15 07:24

>どうも、私はこういう世の中が寒々しくて仕方がないのです。



そのような流れなので仕方がありません
こういうネットに組み込まれているあなた自身も積極的に「符号化」されているじゃないですか
URLという無機質な「識別符号」を持っているでしょう
好むと好まざるとを問わずに流されるのです
流されまいとすればするほど流れを強く受けます
猿のような暮らしをしていた時代からずっと「便利になった」「味気なくなった」などと思いながらここまで来たのです
植木等さんの「万葉集」でもそういうぼやきが歌われています
「千年以上も昔の人が
今とおんなじ愚痴こぼす
嫌じゃありませんか
猿に顔向けできないよ」
(○_ _)ノ彡☆ ポムポム
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この回答へのお礼

流れって言うのは巨大で強力ですね。まるで世界の大河の流れのように。あるいは海流のように?圧倒的な力ですべてを一方向に流してしまいます。しかし、まだ符号化と、人間的対応と分かれてもいいのではないか?と幻想を抱きます。

お礼日時:2009/01/15 07:22

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