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長文です。
私は物事の決断をするのが苦手です。
今までの人生の中で転職、結婚、独立、家を買う・・・などなど決断を迫られる出来事がいくつかありました。
当然自分にも「その気」があったからこそ、そういう場面に直面したのですが色々悩んだ挙句、最後にはもっともらしい理由をつけ、いずれも実行せずに気が付けば30歳代後半に差し掛かってしまいました。
おかげで失敗も無ければ得た物もありません。今の自分は貯金こそあまりありませんが独り身で借金も家族を養う義務も無く自由気ままです。
しかし最近は自分が逃げの人生を送っているように思えてきました。
周りの友人達が彼らの人生に何らかの決断を下し逃げ場が無く悪戦苦闘してる姿を見て自分はどこかで後ろめたさを感じています。
羨ましいのかも知れません・・・。
決断し、その運命を受け入れられる人は素晴らしいと思います。
でも世の中、右も左も暗い話ばかり。
失敗は美談で語られることもありますが現実は自分が決断した事に責任が取れなければ悲劇が生まれます。
自分は臆病者なので避けられる苦労は出来るだけ避けて通りたいと思っています。このような生き方は卑怯なのでしょうか?
話が少々矛盾してしまいましたが皆さんはあえて「決断しない人生を」どの様に思いますか?

A 回答 (19件中1~10件)

#17で頂いたお礼についてお返事します。



僕が考える「優れた人生」というのは、自分のことだけでなく、自分以外の存在の為に生きる目的と幸せを見出すことが出来る人生です。
その対象は、特別な才能や能力が無い場合、家族であり、情熱を賭ける仕事であることが自然なのだと思います。

お金だって、家族がいたり、守るべき事業があるかどうかで、同じ1000万円でも全く価値が違う。
財産がないことが価値が無く劣っているのではなく、お金が自分の為にしか使えないことが人生として劣っているのだと思う。


「成し遂げた」という感覚は、「死」を意識するとかなり明確になると思います。
僕は今、以前のように死ぬのは怖くはない。
怖いのは、家族や僕が大事に考える存在を不安にさせることです。

結婚して子供が産まれ、育てることで自分の人生は随分と「意味」を持ったように思う。
小さいながら自分の会社を作り、自分の器量というか身の丈に合った程度ながら20年間以上続けたことで、トータルでは随分と大きなお金を動かし、それか幾つかの家族の人生を支えてきたことに、大きな「意味」を感じます。

今、もしも自分の命と家族の命のどちらかを選べと言われれば、僕は躊躇せず家族の命を選べるような気がするんですよ。
殺されるのはイヤだけれども、そういう選択で死ぬのは潔く選べると感じる。
こういう心境になれたことに一種の達成感を感じているし、これが僕が成し遂げた最大のことかも知れないと思う。
そうは言っても死ぬのはイヤだけどね。(笑)
でも、昔のような底知れない恐怖はないです。

人間は一人じゃ幸せになれない。
一人でも不幸を免れることは出来るでしょう。
自分以外の存在や仕事に、何か「命」を感じなくとも不幸せでない人生は可能でしょう。
でも、それって不幸ではないだけだ。
幸せを求める人生か?不幸を避ける人生か?
僕の選択は決まっています。

子ども達も可愛いし、20年かけて作った会社にも愛着がある。
建てた自分の家にいると安らいだ気分になる。
ボケる前に会社を上手く譲り、順調に老化して、出来れば妻より少しだけ長生きするのが望みです。

貴方は、他人に「そういう選択肢もある」と言われるとホッとし、劣った生き方だというと中傷と感じますか?
不幸から逃れる人生を堂々と生きるという選択肢もあるかもしれないとぼくは思いますよ。
僕は、劣っていると確信しますけどね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。とても参考になりました。今後、少しでも回答者様のような生き方に近づけるよう努力していきたいと思います。

この場をお借りして今回ご回答してくださった皆様に御礼申し上げます。

お礼日時:2009/01/26 11:08

#17です。


他の質問に回答して自分でも気が付いたのですが、貴方の生き方は、「不幸にならない」ためには安全な生き方かも知れない。
しかし、幸せにもなりにくい生き方だと思う。

多分、貴方は「幸せ」ってものがわかっていないし、幸せだったこともないのだと思う。
そして、不幸でもないし、不幸だったこともない。
不幸を実感したことがある人間って、「不幸ではない=幸せ」という感覚があるから、貴方のような生き方をして無理がない。
でも、貴方の場合はそうでもない。

どうなんだろうね。
不幸ではない人生を守るというのも、一つの生き方なのかも知れない。
僕は、ずっと幸せだったので、その選択肢はあり得ませんが…。
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#です。


お礼を頂いたので思うところを加筆してみたいと考えました。

決断しない人生は、決断する「必要」がない人生をもたらすのだと思います。
決断をしなければ、やがて貴方は決断を期待されなくなる。
中小企業経営者に限らず、人の上に立つリーダーの最大の仕事は、決断をしリスクを背負うことです。
それができるから、たとえ実務を1分もしなくとも、組織の中でもっとも多くの報酬を得ることが許されます。

報酬だけの問題ではありません。
この年になってつくづく思うのですが、人間って一人じゃ幸せになれない。
自分以外の何かの幸せが自分自身が幸せになるために必要になって始めて幸せになることが出来ます。
それが家庭だったり、仕事上の職責を果たすことによって周囲の生活を守ることだったりする。
もっと大きなリーダーの場合、国の幸せが自分の幸せになる。
そのためには、決断とリスク、責任が必要です。

決断と責任のない人生で幸せになることは、論理的に困難なのだと言うことを、僕は実感しています。
僕が幸せであるためには家族が幸せであることが必要であり、大会社から比べれば取るに足らない人数ではあるけれども社員の幸せが必要です。
どうしても必要だ。
だから僕の幸せは大きい♪

貴方が幸せになるために「必要」な存在、貴方以外の存在は何かありますか?

発想を変える時間はまだ十分に有るし、決断の能力と技術を磨く時間もまだあるとぼくは思い、回答しました。
貴方は20代前半の若僧と一緒で、未だ何一つ成し遂げていない。
これは、とても劣った人生だとぼくは思うし、幸せには縁遠い生き方だと思う。
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この回答へのお礼

再度ご回答ありがとうございます。とても参考になるお話です。おそらく回答者様は私よりもずっと人生経験が豊富で数々の苦難を乗り越えてきた方とお察しします。
あなた様が仰ることはその通りだと思います。またそのような考えの方が一人でも増えることにより一国の繁栄があるのも事実です。

ただ回答者さまが仰る「劣った人生」というものの定義がよくわかりません。また回答者様にとってご「優れた人生」とはどの様な人ものでしょうか?
ご自身よりもっと大きな規模の事業をされている方でしょうか?もしくはこの少子高齢化時代にたくさんの子供を作る人ですか?或いは財団を設立するような立派な人ですか?

逆に私のように大して財産もなく自分以外に必要な存在が居ない人間の人生は劣っているのでしょうか?

また、私はまだ何も成し遂げていないということですが「成し遂げた」という意味は何をどの様にすれば達成したといえるのでしょうか?

私はとくに物質的に自慢できるものは持っていませんが40年近く生きてこれたということはそれなりに社会と何らかの「交わり」があったからだと思います。その経験は一つの財産と言えないでしょうか?

なぜ私自身が決断することを躊躇するのかは回答者様のように特定の「幸せの概念」をお持ちになり、それを‘持たぬ者‘を中傷する人たちが世の中に少なからず存在するからです。
「決断をしない」ということは言ってみればニュートラルな状態です。私は人生を放棄したなんて一言もいっていませんし30歳代後半でまだまだこれからだとひそかに思っています。
ニュートラルで居ることは私の様な弱い人間があなた様のような強い方から身を守る最善の策です。人生何処で足をすくわれるかわかりません。立派な方が人生の終盤になって間違いを犯し全てを狂わせてしまうことも多々あります。僕はなるべく静かにゆっくり進みます。

*生意気言ってすみません・・・。回答者様のように今のこの不況の時代に雇用を生み出し他人の人生を預かり家族を守りながら一生懸命頑張っている中小企業の社長さんを尊敬しております。これからもご活躍を願っています。

お礼日時:2009/01/24 11:11

#14です。

お礼ありがとうございます。

>近年このような考えから悲劇が生まれるようなケースが多いような気がします・・・。
そんなことありませんよ。
ちゃんと責任を取ろうとしない人や、普段は責任を取るんだという覚悟がない人がおかしなことをして、その結果悲劇になるパターンはありますが。
>現実は自分が決断した事に責任が取れなければ悲劇が生まれます。
質問文にあるこのような事態を起こす人ですね。

例えば何か問題を起こして自殺する人。
確かに悲劇です。
ただ、この悲劇は責任から逃げてしまうために起こった悲劇です。
自殺したって何も解決しない。
責任を絶対に取るんだという覚悟がないから責任から逃げて自殺してしまう。
罪の意識に負けたと言いますが、最初っから責任を取るんだという覚悟があればそんな罪の意識を感じることになることを最初っからしなければ良いんです。
責任を取るんだという覚悟をするということは責任の取れないようなことはしないということなんです。

自殺した人を攻めるような言い方で不愉快かもしれませんが、責任を取るということから考えたらそうなんです。
日本では切腹という罰があったためか、自殺することが責任を取る事だと勘違いしている人がいるように感じますが、自殺することは逃げていることで責任を取っていることじゃないんです。
することをしないから悲劇が大きくなる。
それだけですよ。

決断するときに自分が責任を取れないと思ったら、いくら責任を取る可能性が低くリターンが大きくても実行しないという決断をする。
これが大原則ですよ。
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この回答へのお礼

再びご回答ありがとうございます。
「責任の取り方」についてですが・・・実際日本で自殺者が多いのはマスコミや世間の責任でもあると思います。
「自殺は逃げ」と仰られますが人生の落伍者に対する世間の陰湿な見方がそのような気の弱い人間(自分では強いと思っていた人間)を自殺に追い込むこともあると思います。
「腹切」のメンタリティーは今でも確かに日本人の中に存在しています。私にはもちろん自殺する勇気は無いし、また失敗した後に開き直って堂々と図太く生きていく勇気もありません。
(実際自分が直面した決断はそこまで大げさなものではないですけどね・・・笑)
私はただ自分の心中にある「弱さ」に対して正直なだけです。
羽があるのに飛べない不器用な鳥が存在するのと同じように人間らしい生き方が出来ない不器用な人間も存在するということです。
飛べない鳥に、お前は鳥なんだから飛びなさい!と崖から突き落としたら死んでしまいますよね。

色々な人間が偏見をもたず生きていける世の中になれば良いと願うばかりです・・・。私のくだらない話に貴重な時間を割いて頂き誠にありがとうございました。

お礼日時:2009/01/24 08:32

23歳男です。


私も同じで、逃げてばかりの人生ですね。高校の部活も途中で逃げて、恋愛も途中で逃げて、就職からも逃げて、大学出て今はフリーターです。うんこです。
質問者様に言いたいのは、きっと逃げてないことも多少あるんじゃないでしょうか?
良かったことなんてすぐ忘れるものです。満足したらおしまいですが、逃げなかったこともあるんじゃないかなと思いました。
決断しても逃げても人生もう変えられないし。これからも私は逃げることがあると思います。良いことだとは全然思いませんが、今までの経験と性格から客観的にそう思います。
所詮くそがきの意見なので流してください。
頑張って下さい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
思えば私も高校生の時柔道の授業をサボった経験が・・・笑。
人生全てのことに正面からぶつかっていったら疲れてしまいますね。
時に逃げるのも生きていく上で大事なテクニックかと・・・。
一度きりの青春を思いっきり楽しんでください。

お礼日時:2009/01/23 10:28

まずはちゃんと決断していますよ。


断るという決断。しないという決断。逃げるという決断・・・
別にその決断は卑怯でもないです。
自分がそれで良いと思っているのなら独身貴族を楽しめばいいだけだと思いますよ。

>失敗は美談で語られることもありますが現実は自分が決断した事に責任が取れなければ悲劇が生まれます。
この考え方は違うでしょう。
責任が取れなければじゃなく絶対に責任を取るんです。
責任を取らなかったときが逃げです。
責任の取り方はさまざまあります。
自分で考えた出来る最良の責任の取り方をすればいいだけなんです。
失敗も失敗したところで終わらせたらダメですが、その失敗を糧に自分を成長して成功するまでやり続ければ美談にすることが出来ます。
失敗を糧に自分を成長してちょっと方向性を変えて別のことで成功させるというのもありです。
ちゃんと行動してなにかしらで成功させればいいんです。
失敗は悪いことじゃない。無視を自分を成長させるために必要な糧です。

世の中右も左も悪いことばかり。
パンドラの箱の話しのように、暗い世の中だからこそ希望があるんです。

今の自分に満足をしているのなら、他人がどうかなど気にしないで自分の楽しい生活を満喫すればいい。
不満があるのなら失敗を糧に自分を成長させ、不満な部分を変えていけばいい。
実行しないという決断を、実行するという決断に変えればいいだけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とても貴重なご意見ありがとうございます。
>責任が取れなければじゃなく絶対に責任を取るんです。
近年このような考えから悲劇が生まれるようなケースが多いような気がします・・・。
でもdai-ym様が仰るように失敗が自信に繋がるのも確かだと思います。失敗を恐れずまずは小さな決断を心がけたいと思います。

お礼日時:2009/01/23 10:19

こんばんわ★


>あえて「決断しない人生を」どの様に思いますか?
うーん・・・全然ありじゃないでしょうか?
何かを決断すればリスクは避けられませんからね。
それで成功すれば良いですけど、失敗したらやはり辛いですからね。
人生なんて十人十色でしょうから気にすることないと思いますよ。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
ご理解していただけて幸いです。

補足日時:2009/01/23 10:00
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卑怯じゃないけどつまんない。



結婚費用も使わなくて家も買わなくて独立もしていないのに
貯金すらない。ってところがかなりの失敗人生だわ。

昔住んでたアパートの大家さん(お婆ちゃん)は結婚もしないで仕事一筋。
でもアパートテナント経営で巨万の富を得てそれでもまだ
子供を産まなかったことを悔いてた。

ま、少なくともお金は人生を潤さないってのは皮肉だけれども、
お金もないんじゃあなたの老い先は判り切ってる。
リスクを避けてきたって聞くと聞こえはいいけど、
要は何も(貯金すら)できなかった ってことですね。
結婚はしなくても、せめて今からでもいいから貯金ぐらいするって決断しようよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
仰るとおりですね。お金は程ほどに自己投資してしまいました。
家や家族はありませんがそのぶん他の方々がなかなか出来ないような経験も色々出来たと思っております。負け惜しみですが・・・笑。
お婆ちゃんの言葉重みがありますね・・・。
確かにお金は大切ですね。頑張って貯金します。
お言葉ありがたく頂戴いたします。

お礼日時:2009/01/23 09:59

あなたの人生ですから誰も文句を言う人はいないと思います。



「決断しない」という決断も1つの選択肢かもしれませんね。

答えになってないですね、すんません。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
ご理解していただけて幸いです。

補足日時:2009/01/23 09:42
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No.6さんの言うとおり、質問者さんは「今は行動すべきでない」という決断をしたのだと思いますが。


「する」「しない」の二択があるから決断です。「する」を選択しないといけないなら、それは決断ではなく義務・責任ですよね。
利害とリスクを考えて、「しない」にしたのは決断でしょう。うまくいく概算が少ないのに「する」を選ぶのはただの馬鹿です。もし、うまくいく可能性が高いのに質問者さんが「しない」を選んだのだとしたら、それは決断ミスですが、やはり一つの決断だと思います。

おっしゃるとおり、「する」を選択して責任を取れないほうが周囲にも迷惑ですよね。というか、30代後半でしたら挙げられた決断のどれも遅すぎるわけではないと思いますし、どうしても「する」ということが気がかりでしたら失敗覚悟で一度なさってみてはいかがでしょうか。

でも、失敗ってやっぱり惨めですよ。
例えばの話、大企業の出世競争で勝てないから独立してみたけど、20年経ってもみすぼらしい中小企業のままで、周りの誰からも褒めてもらえないから、匿名の掲示板で「自分は優れている、多数派は劣っている」って遠吠えし続けないと自尊心を保つこともできないようになったら、無様で哀れで目も当てられないですし。
まぁ、失敗者の負け惜しみは話半分にきいておくことをおすすめします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
決断に当たっては相当考えました。眠れないくらい・・・。慎重に石橋を叩いて最後にはいつもネガティブな要素が勝ってしまいます。周りの人から見たらそれがもどかしいらしく私は「勝負しない人」のように思われています。結局今は開き直って「決断しない人」になりました。でも実際、私もひそかにまだまだこれからと思っています。ただ回りの人たちはご親切にも色々と人生指南をしてきます。私はこの先もこのまま決断しない人生を歩むかもしれません。もしくは10年後に独立するかもしれません。または50歳ころ結婚するかもしれません。それは私にもわかりません。その時の自分の気持ちなので。でもご回答者さんのように言っていただけると気持ちが少し楽になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/23 09:41

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