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こんばんは。

福沢諭吉は「誹謗というのは、嘘を言いふらすことであるが、世の中に正義という確固たる定義がないため、必ずしも悪とは言えない。比べて怨望は世の中に何も生まないため絶対悪である。」


これって詭弁だと思うのですがどうでしょうか?

A 回答 (2件)

この文章だけで判断するなら、詭弁と言えるかもしれません。


「誹謗」と「怨望」は対立する概念ではないからです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/24 00:44

そうでしょうか。


世の中アメリカ人の正義もあればイラク人の正義もあり、
朝鮮半島民の正義もあれば日本人の正義もあり、
自民党の正義もあれば民主売国党の正義もあり、
無神論者の正義もあれば創価学会員の正義もあります。

誰もが己の信じる正義を守って生活しているのです。
ただ正義というものはまずは自分で守るものであり、他人に自分の正義を押し付けるものではありません。
創価学会員や民主党・アメリカ政府のように、他人に自己の正義を押し付けることが余計な諍いを生み怨望を生むのです。
そして怨み辛みから生ずるものは果てしない怨讐の連鎖でしかありません。
何故なら感情が下向き(ネガティブ・自己満足)であり、上向き(ポジティブ)ではないからです。
人間上を向けば展望が見えますが、下を向いて項垂れれば行き着く先は一つです。
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この回答へのお礼

私が詭弁だといったのは、誹謗には正義が不確かだと抽象性を持たしているのに対し、怨望だけはやけに具体的で都合が良すぎるのではと思ったからです。

実際そうではありませんか?

お礼日時:2009/01/24 00:43

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