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信長の美濃攻めのために建てた小牧山城なぜ信長は小牧に城をたてたのでしょうか? 
岐阜城なら犬山のほうが岐阜城に近いし元々の城から作れるので何かと都合いいのではないのでしょうか?
新しい町が作りたかったのか?美濃の国に近すぎたのか???
わかりやすく教えてください?

A 回答 (3件)

岐阜城は元は稲葉山城といい美濃の斉藤氏の


本拠の城でしたが、非常に堅城でした。
織田信長は桶狭間の合戦に勝ったあとは
約7年間まったく東に攻めていません。
今川義元が死んだのだから東へ攻めれば
領地拡大は易しいように見えますが
徳川家康と同盟し家康が三河より東の
領土拡大を担当しました。
信長が家康との約束を守るほど義理堅い
のでなく、あまりに美濃の斉藤が強敵で
やっつけるのに専念し7年ほどかかったので
余裕が全然なかったからと思われます。
信長は、稲葉山城さえ落とせば美濃は
征服できると目指していましたが
難攻不落っぽく、信長は敵城を落とすための
出撃拠点を領内の敵国の境よりに建設
それが小牧山の城ではないでしょうか。
つまり腰を据えようとして建てたというより
敵の城の攻撃拠点として城を暫定的に
建てたという信長の 方針
距離的には犬山が近かったかもしれないが
犬山は、元からあって稲葉山の攻撃が主眼で
建てた城ではなかったので何か不便があった
のでしょうか
城は、山城と平野城という大雑把な区分が
ありますが、決定的な違いは、山城は
基礎の高度が高いため井戸を確保しづらい
水の確保が平野城より難しいそうです。
水がないと戦に不便でしょうから、たぶん。
それと平野城は、平野の小高い丘に建っていても
それは、たぶん、平野城に区分されていると
思いますが、城下街が平野で本城は丘山の
平野城は、出撃拠点としては山城より有利で
また防衛を巧みになせば守勢も堅実な
ものが出来るようです。
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犬山城はそのふもとというのでしょうか、下までは今でも電車の駅から歩きでそれほど苦もなくいけます。

犬山城の天守閣にあがると、たしかに高くみえましたが、降りてみると住宅地。

一方小牧城は住宅地の中にとつぜん小山があらわれ、そこを上がっていくのはけっこうしんどいです。そして山の上に城がありました。
やはり小牧山というくらいで、それなりに小さな山という感じでした。

岐阜城はまだ行ったことがありません。

ちなみに犬山城って、たしか国とか自治体の所有ではなく、個人の持ち物だったと聞いたことがあります。今でもそうなのでしょうか。
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信長の対美濃攻略は、三つのライン


1 対稲葉山(岐阜城)
2 対東濃
3 対西濃
結果的には、対東濃政略が成功し(鵜沼城とか)西濃の西美濃三人衆が寝返り、稲葉山攻略となります。2が1566年、3が1567年で、速攻で1となっています。東濃と西濃の両者の状況を直接見えることができ、必要に応じて出兵できるのが小牧山であり、犬山城では、東によりすぎ。
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