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こんにちは。顰蹙の買う質問かもしれませんが、アジア人のインテリにはネーティブ並に英語を流暢に話せる人も少なくありません。そして、このカテでも海外の在住経験が長いとか、TOEICのハイスコアを持っているとかで、自分は英語が出来るんだと 豪語している人も多く見かけます。しかし、そのように英語が出来る人でも、教養のある英米人に比べると ひどく遜色があるように感じます。
そこで質問ですが、日本人も含めてどんなに英語の達者なアジア人でも 教養のある英米人と比べて何が大きく欠けているんでしょうか?

A 回答 (7件)

アジアでも日本でも、英語が出来ると言うだけでインテリと見られますが、実際は、英語が理解できるだけで中身のない人が大勢います。

英語が母国語の人は当然ですが、欧州のアッパーレベルの人たちは、自分の専門分野の他に文学や芸術などの素養が深く話していても大変楽しいものです。

日本人も、英語を話すだけではなく、自分の専門分野の他に、日本の文学、芸能、詩歌、芸術、欧米文学、など幅広い素養を嗜むことで、始めて教養ある人と認められるのです。
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この回答へのお礼

Thank you for your decent answer.

お礼日時:2009/02/21 10:49

こんにちは。

教育システムのせいだと思います。なので英語の出来、不出来とはまた別物だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

アメリカの教育システムは日本と同じ、小学6年、中学3年、高校3年のところも多いですが、州によってもまちまちのようです。
イギリスは就学が日本より1年早く、小学7年、中学3年、高校4年のところが多いようです。そして、アメリカ、イギリスとも新学期は9月頃から始まるようです。
しかし、medicrecruさんの仰る教育システムとは、このようなうわべの形態ではないと思いますが、具体的には日本の教育システムのどこに問題があるんでしょうか?

お礼日時:2009/02/22 09:22

ご質問の意味がよくわかっていないのかもしれませんが、英米人から見ると、「教養のあるアジア人に比べると、英米人の多くは、ひどく遜色があるように感じる」ようですよね。

多くの英米人にとって、アジア人には深みがあって、示唆に富んでいて、そのうえ外国語もできるように見えるらしいです。何かのヒントになれば幸いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>英米人から見ると、「教養のあるアジア人に比べると、英米人の多くは、ひどく遜色があるように感じる」ようですよね。
これは買いかぶり過ぎなような気もしますが。

多分、「遜色」というのは、日本人やアジア人はいくら英語が流暢に話せても、西洋文化に対する造詣が浅い人がほとんどなのかもしれません。ですから、TOEICが990点とか思い上がっている人も、教養のある英米人に交じって会話したら、全然会話について行けなくなり“ It's all Greek to me.” ということもありうると思います。

全然関係ありませんが、ucokさんはパリに行ったことがありますか?
パリは素敵な町です。多くのイギリス人が訪れます。しかし、パリで英語で話しかける外人はイギリス人でなく、アジア人が多かったりします。

お礼日時:2009/02/22 09:57

>しかし、そのように英語が出来る人でも、教養のある英米人に比べると ひどく遜色があるように感じます。



 ああ、流暢だけど中身のないということですね。よくいますね、英語だけしか勉強してこなくて、他に何ももっていない人は。別にアジアだからどうこうということはないです。アジアにはアジアの歴史も文化もありますから、それをベースにたどたどしくても堂々と話せばいいことです。もちろん欧米の歴史や文化も理解していればいうことはありません。そういう人がネイティブにも尊敬されます。英語が流暢でも、それ以外に中身のない人は馬鹿にされます。そういう人をインテリとか教養があるとかはいいません。
 ちなみに英語が自慢の人にこういう質問をすると面白いです。「(コピー用紙の)紙をよくさばいて、カットシートフィーダーにセットしてください」うを英訳してもらうことです。「紙をさばく」がミソです。偽者はこれでボロを出します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/02/22 09:59

こんにちは!



 教養(=culture)は、出自は農業社会の中の貴族階級の属性でしたが、産業社会に入ると、えげつないブルジョワがそれをほしがるようになりましたので、本来の人格陶冶的側面に、立身出世的な光輝が貼り付くようになりました。日本の大正教養時代などはまさにそんな感じでした。特に教養の内容が西洋の受け売りでしたので、今よりみっともない感じもあります。

 しかし今や重厚長大時代も去り、金融資本主義の爛熟期、刻苦勉励はなんとなくダサく感じられるようになり、それと同時にこれまでの教養というもの自体の化けの皮も剥がれてきて、誰もあまり信じなくなりつつあるように思います。カルチャー・センターはゴルフとあまり違わない、消閑の手だてになっているようです。

 金もうけて何が悪いの?とか、豪邸に住んで高級車に乗る、とかいうのが却ってカッコよくなりました。ドストエフスキーの『地下生活者の手記』を読んでいる青年はクラいとしてまずもてないでしょう。イチローや石川遼の時代なのです!あるいは花輪君の...
 それは、私はTOEICが満点ですということを憚らず言うのととてもよく似ています。自分の優位を見せつける人間が非常に増えたのは、金融資本主義の世界においては、引いたらもうおしまいで、弱肉強食の世界で生き延びるにはそれしか方法がないからです。

 英語の勉強も、私の世代には産業主義的教養の光輝がまだ残っていました。ですから、標準というものが存し、文法を軽視することは笑うべきことだったのです。しかし今はそうではありません。文法を嗤うことが時勢に沿うものとなったのです。何も汗臭いことをしなくてもこの通り自由闊達にしゃべれますよ、というカッコよさは、スマートな服装で、資金を右から左に動かすだけで巨額の利益を生み出す青年実業家のカッコよさと通じています。竹細工をして1日2千円のお金を稼ぐ仕事は誰もやりたくないに違いありません。ショボイのです。

 さて、こういう時代背景の中で、英米人は教養というものをどう考えているのか、というのは大変興味深い問題です。
 イギリスの場合は他の多くのヨーロッパの国々同様、大学にエリート主義を温存させていますので、一応教養の権威は安泰ですが、逆に、上から見下したような、傲慢不遜なところも出てきます。sarcasm というのはその病的形態でしょう。また謙虚にされても、それは優位の箔のようなものですので、いっそう嫌みでもあります。

 アメリカは日本と同じ駅弁大学で、かつ、国民的感情として、貴族趣味に対する生理的反感がありますので、教養のひけらかしは表向きタブーです。しかし本音の部分では貴族趣味に憧れる面が隠然とあり、隠然としているだけ、日本よりは安泰だということもあります。liberal arts college が200校以上あり、そこに憧れる学生が多いのもその証拠でしょう。日本のパンキョウとは扱いが違います。ですので、インテリには、どことなく嫌みな人を見下したようなところがあり、あまり好きではありません。

 しかし一方、アメリカはいつの時点かは分かりませんが、教養概念を近代化し、critical thinking, connection ということを重視するようになってきているという印象を持ちます。知識を受動的に受け入れるだけの古典的学習ではダメだということですね。高度情報化社会への対応でしょう。ある意味で一番進んでいるかもしれません。

 そのような教養に対する態度の違いが日本と英米をわけている大きな原因になっていると考えています。蓮っ葉な日本人は、蓮っ葉な西洋人と大差がなくなりました。

 けれども、私は生来楽天的でして、日本人の教養に対する根はまだ腐っていないと思っています。これまでの教養ではもうダメだし、アメリカ流の近代的教養もどこか胡散臭いものがあります。
 教養はもう日陰者ですので、ある意味、理想的な時代とも言えるでしょう。個人でじっくり自分にとっての教養について考えられるいい土壌を得たのではないでしょうか。
 そういう意味では、日本が一番進んだ社会かもしれませんね。

 以上、とりとめなく書きましたが、ご参考になれば幸いです!
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この回答へのお礼

ちょっと見当外れな回答ですが、参考になるご意見ありがとうございます。

お礼日時:2009/02/22 10:43

#3欄にいただいたお礼を拝見しました。

「西洋文化に対する造詣」という点で遜色がある、ということですね。

それはもちろんそのとおりだと思います。しかし、日本語を流ちょうに話せる英米人の多くも、教養のある日本人に比べて日本文化に対する造詣に欠けていたりはします。私にも、日本語が流ちょうで、どう見ても「インテリ」という地位を身につけた日本在住外国人の知り合いが何人かいますが、日本で育った人なら誰もが知っていることや、日本語のメディアに毎日触れていれば誰もがわかることを、まったく知らなかったりします。ちなみに、そういう背景があるからなのか、「教養のあるアジア人に比べると、英米人の多くは、ひどく遜色があるように感じる」と語る英米人が少なくないのは、本当ですよ。

日本のことにも母国のことにも造詣が深い英米人も世の中にはいますが、それは同様の日本人の割合と、ほぼ同じであるという印象があります。やはり、両方に長けるというのは難しいことなのではないでしょうか。現に、日本で暮らす日本人なのに、英語のニュースや新聞にしか興味のない友人がいますが、日本人が普通に知っていることを知らなかったり、ニュースを見る角度が一般的な日本人とまったく異なったりします。

ただ、私はそれでいいと思っています。英米文化に詳しくない分、母国のことや、あるいはまったく違った得意分野に造形を深めればいいわけで、おたがいに教養を交換すればいいのだと思うのですが。それでは不足だというのなら、Agee_さんは、よほど幅広い教養のある人たちに囲まれているのでしょう。そうなると、私ごときには手も足も出ません(笑)。

ところで、パリには何度か行きました。イギリス人でなく、アジア人のほうが英語で話しかける、んん、実感としてはありませんが、理にかなってはいると思います。英米人は、英米人であるというだけでフランス人から敵対心をいだかれがちなので、フランス語を使うよう心がけるでしょうが、アジア人は英語という外国語を話すだけで精いっぱいなのかも。実は、かく言う私も若い頃、久しぶりに日本を離れてパリに行った時、英語も日本語もできないとわかっているフランス人の知人に出くわして、つい、英語でまくしたててしまいました。外国人と見れば英語で話す悪い癖だと、大いに反省した記憶があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>私にも、日本語が流ちょうで、どう見ても「インテリ」という地位を身につけた日本在住外国人の知り合いが何人かいますが、日本で育った人なら誰もが知っていることや、日本語のメディアに毎日触れていれば誰もがわかることを、まったく知らなかったりします。
これは「教養」以前に「コモンセンス」の問題ですね。これは私たちが一生懸命に英語を勉強しても同じようなことが起きます。

>現に、日本で暮らす日本人なのに、英語のニュースや新聞にしか興味のない友人がいますが、日本人が普通に知っていることを知らなかったり、ニュースを見る角度が一般的な日本人とまったく異なったりします。
変ったお知り合いがいらっしゃるんですね。

>ただ、私はそれでいいと思っています。
別にそれで構わないんですよ。ただ、一般のネーティブの知らないような高度な英語を知っていると思い上がっている人がこのサイトにも出没しています。多分、そういう人でもキャロルの「不思議の国のアリス」の駄洒落を理解できるか疑問です。 あと、“Ou est ma chatte?”
というフランス語のフレーズが登場しますが、この程度のフランス語はイギリス人には常識レベルですが、これも分からない人が多いでしょうね。

>イギリス人でなく、アジア人のほうが英語で話しかける、んん、実感としてはありませんが、理にかなってはいると思います。
これはパリで外国人の集まるカフェとかビストロのウェイターでもしないと分からないと思います。しかし、ネーティブが英語を使わないで
ノンネーティブが英語を使うというのも ちょっぴり皮肉ですが。
というのも、イギリスはヨーロッパの中ではフランス語が外国語として最も盛んに学習されていますし、アメリカでもメジャーな外国語ですからね。

>外国人と見れば英語で話す悪い癖だと、大いに反省した記憶があります。
英語しか話せなかったら仕方ないんじゃないですか?

お礼日時:2009/02/23 09:30

Ageeさんはかなりsarcasticな方と見て、敢えて応えます。



教養や知識は、その人が生まれ育ち学んだ地域と文化圏の影響を大きく受けます。欧州のキリスト教文化圏は2000年に
渡る試行錯誤と知識の蓄積から成り立っています。彼らの一人が「私は無宗教です」と言う場合は、一度は宗教と真剣に
向き合って社会的立場を考え抜いた末での発言です。八百万の神が有り、クリスマスも楽しいし、鰯の頭も有るし・・・
選ぶのに困るから「私は無宗教」とは根本的に違うのです。彼らには意識するしないに関わらず、背骨と言うか基準座標の
様なモノがあるのです。
知識はどの場所にいても、努力すれば本やその他のメディアから得ることができ、それ相応に増えます。地域経済と文化の向上で
アジアにもいわゆるインテリが増えています。
しかし、物知りインテリ=教養人ではありません。得た知識にその人なりの筋を通し消化していて始めて教養人です。
アジアのインテリが劣るように感じるのはこの点が欠けているからと思います。
儒教や武士道を基にした東洋の教養人が居た時代には、欧米人は自分とは異なる価値観を持つ相手として畏敬の念を抱いた
と言われています。儒教文化の伝統が途絶え成金と汚職党員支配の中国、それにアメリカ化され拝金主義のカタカナ
「サムライ」の日本の物知りが欧米の教養人と同列に並ぶにはまだまだ背骨の確立が必要と思います。

ある高名な文明批評家が言うように、日本が「第六の文明」として残れば、この背骨を借りれば日本に付いて物知りな
だけでも欧米の人から一目置いて貰えるように成るかもしれません。

以上負けず劣らずsarcasticな者からでした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ちょっと的外れですが、ご意見有り難く参考にさせていただきます。

お礼日時:2009/02/23 09:32

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