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殺すか殺されるかという状況で人はどうすべきかということ関して、イエスなら、殺される方を選ぶべきと説かれるのでしょうか?

A 回答 (8件)

キリストですか?


釈迦の教えも同じですが,自我を捨てれば争いは起こらないと言ってます。
と言うことは、自分だけのために他人に迷惑を掛けるなということです。
その時点で殺すと言う選択肢は無くなります。

>殺される方を選ぶべきと説かれるのでしょうか?
遠回しですが,そうするべきと言ってるのと同じですよね?
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>自分だけのために他人に迷惑を掛けるなということです。
迷惑を掛けられること(殺されること)は許されるということなのですね。

>>殺される方を選ぶべきと説かれるのでしょうか?
>遠回しですが,そうするべきと言ってるのと同じですよね?
イエスの教えに従うなら、他国からジェノサイドのようなことをされても抵抗できない感じですね。

お礼日時:2003/02/22 02:57

もう少し、たってから、もう一度、回答に来ます。


答えを聞くだけでは、本当に知ったことになりません。
あなたが、考えて、あなたが、たどり着かなければ、意味がありません。
そのために、最後を、問いかけの形でおわらせています。
>前回の回答では 「生きたり、死んだりすることよりも、もっと、大切なことがあります」とおっしゃられているにも関わらず、今回の回答では「生死」こそが最重要の問題というニュアンスに感じ取れました。
 
それは、私が、あなたに近づいたからです。あなたが客観的に感じたニュアンスと言うのは、あなた自身を、客観的に、あなたが感じているようなものです。あなたは、私の答えのところまで、進む気があるのですか?
同じ場所で、ああだこうだと言っても、新しい地平は見えてきません。
疑問と言うのは、疑問を超える視点、もしくは束ねる視点をえなければ、解決しないのです。
私の提出した回答を、解説しようとするのではなく、理解しようと努めてください。理解をともなわない解説は、誤解を生みます。
ですから、いそがなくても、いいので、さらに、考えてみてください。更に考えることが、進むことです。もし、以前に提出したアドバイスを考えることで、あなたの質問自体を見る目が変わったら、教えてください。たどり着いた場所が、私とは違っても、これらの助言が、すこしでも、あなたによいようであったならば、うれしいです。

この回答への補足

今回の質問を見た友人の意見を参考までに載せておきます。

>相手を殺すことは人殺しであり、自分を見殺すことは、同じく人殺しです。
これは相当荒唐無稽ですね。
殺さる人間のことを「自分を見殺しにする人殺し」などと言って納得する人は恐らくいないでしょう。
ここの部分だけをとっても、この人から○○○な回答を得ることは不可能でしょう。
他の人の回答と比べてもちょっと浮いてますね。
自分は一段高いところから本質を理解しているつもりなんだろうけど、勘違いモードでしょ。
高いところになんていないことに早く気がついた方がいいでしょうね。

友人の意見をできるだけ忠実に再現しましたので、多少失礼な表現があるかも知れませんがお許しください。

補足日時:2003/02/24 05:34
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

大変申し訳ないのですが、貴方様とのやり取りからは私が求めているものを得ることは出来なさそうである、という結論に達しました。

>理解しようと努めてください。理解をともなわない解説は、誤解を生みます。
理解をしたいがゆえに疑問を呈しているつもりでしたが・・・。理解が進展しないのは、疑問に対するストレートな回答が得られていないことも一つの要素としてはあり得ないこともないのかな、と思えているところです。
私の知人で、さも自分は理解しているという態度でもったいぶって話の本質に入ろうとしない人がいるのですが、結局その人は本質については理解していなかったことが後にわかりました。もちろん貴方様はそうではないですし、そういう方はこのサイトにはいないと思っています。

「自分は知らないということを知っている」というのはソクラテスの言葉だったでしょうか。好きな言葉です。確か当時の知識人にソクラテスがいろいろと質問していく中である事に気づいたのだったと思いますが。

私の理解力が足りないために、せっかく貴重なご回答を頂いたのに自分のものにすることができなかったことが非常に残念です。己の無知を強く悔いております。
今までお付き合い下さって本当にありがとうございました。

お礼日時:2003/02/24 04:14

>とても大事なことがあるからこそ、「いかなる状況でも人を殺すようなことがあってはいけない」と説く、という回答の方もいらっしゃると思いますが。


 
殺される自分も人なのです。自分を見殺して、相手を生かすことが、よいことにはなりません。
>貴方様にとっては解けていると思えても、質問者の私にとっては貴方様の答えには少々わかりかねるものがあります。
 
質問者様の身になれずに、申し訳ありません。もう一度、精一杯の努力をしてみます。前回答の、補いと思ってください。メインは、前回答です。
 
相手を殺すことは人殺しであり、自分を見殺すことは、同じく人殺しです。
では、どうすれば善いのでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>相手を殺すことは人殺しであり、自分を見殺すことは、同じく人殺しです。
前回の回答では 「生きたり、死んだりすることよりも、もっと、大切なことがあります」とおっしゃられているにも関わらず、今回の回答では「生死」こそが最重要の問題というニュアンスに感じ取れました。

>相手を殺すことは人殺しであり、自分を見殺すことは、同じく人殺しです。では、どうすれば善いのでしょうか?
そのことを私が質問しているのではないのでしょうか? 
貴方様のお答えですと、殺すか殺されるかという二者択一しかない状況なのに、どちらも選択しないということになるのでしょうか。それでしたら私としては、首を傾げたくなるような思いになってしまうだけです。もちろん、回答を下さったことには深く感謝いたしますが。

お礼日時:2003/02/24 00:27

>ようは、殺すよりは殺されることを選べということですね。


はやとちらないでください。
イエスはそのときの現実に即して教えます。だから、2000年前の話も、今の教訓になるのです。
生きたり、死んだりすることよりも、もっと、大切なことがあります。
ということは、それは、とてもとても大事なことです。
最初のアドバイスで、この問題は解けています。
ようさず、そのまま受け取ってください。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>生きたり、死んだりすることよりも、もっと、大切なことがあります。
>ということは、それは、とてもとても大事なことです。
とても大事なことがあるからこそ、「いかなる状況でも人を殺すようなことがあってはいけない」と説く、という回答の方もいらっしゃると思いますが。

>最初のアドバイスで、この問題は解けています。
貴方様にとっては解けていると思えても、質問者の私にとっては貴方様の答えには少々わかりかねるものがあります。

お礼日時:2003/02/22 22:06

人は、肉体は傷つけれても、霊は傷つけれない。


だから恐れるな、と、解きます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
ようは、殺すよりは殺されることを選べということですね。

お礼日時:2003/02/22 03:16

そもそも、四福音書+トマス福音書内のどこからどこまでが、イエスの真実の教えであるか


はっきりしていないんですよね・・ 

それはそうと、この問題に関するイエスの言葉を、
試みにマタイ伝福音書から抜き出してみたいと思います。
というのも、一般に「山上の垂訓」と呼ばれる部分が、イエスの教えの核でもあり、
またイエスの真実の言葉を含んでいる可能性が高いからです。

>悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。(5:4)

>義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 (5:10)

>わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を
>浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
>喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。
>あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。(5:11-12)

>あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』
>と命じられている。 (5:21)

>しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。
>だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
>あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい (5:39-40)

>あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
>しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(5:43-44)

まだまだあるのですが、これで充分かと。
少なくとも四福音書を参照する限りでは、答えは「殺されることを選ぶ」です。
どんな状況であれ、敵が悪人であれ、「殺す」ということは考えられないのです。
ユダヤ教聖典(旧約)じゃ、しょっちゅう悪人殺しが行われるんですけどね(笑)

新約でも、「ヨハネ黙示録」だとか、パウロ神学とかを色々解釈してみると、
相手が悪人だったらOKということになりそうな・・

因みに「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」
からも分かる通り、キリスト教では殉教というものは最高の死(の一つ)
として考えられています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>少なくとも四福音書を参照する限りでは、答えは「殺されることを選ぶ」です。
>どんな状況であれ、敵が悪人であれ、「殺す」ということは考えられないのです。
ということは、イエスは、自衛のためであれ兵力を保持することは否定しそうな感じですね。また、警官が拳銃を持つことすらも認めないかも知れないですね。

お礼日時:2003/02/22 03:15

旧約聖書の十戒には「殺してはならない」とあります。

このことからキリスト教では原則的に人を殺すことは選択されないと思います。
しかし、物事にはすべて状況というものがあるので、画一的には決まらないでしょう。細川ガラシャは戦国のおり、自殺してはならないという教えに従い、自殺を選びませんでしたが家臣に刺すよう命じました。でもこれって自殺とどう違うの?自分の手で行うかどうかの違いだけじゃないのかと思います。
イエス・キリストは旧約聖書からの律は重んじながらも、律法が人より主となるのではなく人があってこその律法と教えました。当然のことだと思います。
したがって、律法からいえば殺してはならないのでしょうが、状況に応じては最善(最善の基準はという議論はあるでしょうが)の選択が迫られるのだと思います。

ですからわたしの答えとしてはケースバイケースでの選択がイエスによってなされると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>ケースバイケースでの選択がイエスによってなされると思います。
状況によっては、人を殺すこともやむを得ないとイエスが判断することもありえるということですね。
でも「右の頬を打たれたら左の頬を~」と言われている人が、場合によっては攻撃してくる人間を殺すこともやむを得ないと考えることは、ちょっと腑に落ちないところがあります。

お礼日時:2003/02/22 03:08

遠藤周作さんの”沈黙”だったカナ。


お読みになられましたでしょうか?
少し、ご参考になるかも。
(私は信者ではないので、イエスの詳しい教えはしりません)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
「沈黙」は読んでいません。
が、私の疑問について考察するにはかなり役立ちそうな作品ですね。
近いうちに読んでみたいと思ってます。

お礼日時:2003/02/22 02:51

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