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「危うきに近づかず」ばっかりやっていたら、ぼったくり風俗被害にも合わず、とんでもない人間と同棲することもなく、そういう人生の闇を実体験もしないというのは、人間として厚みが出ないのではないでしょうか?それとも、君子というのはそもそも厚みのない存在なのでしょうか?

A 回答 (10件)

「ことわざ」なんてどれも世の中を一方的に見ているだけのものです。


君子に厚みがないんじゃなくて「ことわざ」に厚みがないんです。
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この回答へのお礼

そうだよね。泣き面に牡丹餅とか、全く意味ねーし。

お礼日時:2024/04/08 08:01

お礼について。


知識として得るのも大事ですが、得た知識をもとに自分の頭で物事の原理原則などを考えることも必要だと思います。

思考することも体験や経験の一種なのかどうかと言われると、難しいところですが、人は脳によって世の中を認識していると考えると、もしかしたら脳内で考えたり感覚神経等を通して脳に伝達された情報も、実は全て実体験と呼べるのかもしれません。

自分を自分たらしめるものが仮に脳なのだとしたら、ここで質問者のイメージする君子(=人間とした場合)とやらも、実は君子の脳内で様々な実体験をやっていたり、その人なりの喜怒哀楽などといった人間的な反応が起こっているのではないですかね。

しかし一方で、君子というものが理想上の非実在の存在だとしたら、神とでも仏様にでもなるだろうし、解釈次第では何にでも成り得そうですね。

そうなると君子は人間ではない無形の存在であって、そこには厚みという次元はないかもしれませんね。
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この回答へのお礼

体で物事を知っている人こそ本物だと感じますね。

お礼日時:2024/04/10 21:52

この危機によって落命したり取り返しのつかないことになったりするのだと思います つまり 失敗すれば次は無い



ぼったくりに合うのも嫌な人間と住むのも比較にならない大きな災難なのではないでしょうか

鈍感だったり間が抜けていたりすると そのような致命的なリスクに陥りやすいですね

なので君子(立派な人)と言うのは聡明で気の利いた人間と言う意味だと思います
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この回答へのお礼

いやなやつですよね。

お礼日時:2024/04/10 07:17

君子たる者は体験すべきことと、体験する必要のない物事を“賢く”選択するのです。



体験する必要のない物事を体験しても、君子なる者にとっての厚みは薄っぺらな事柄なのです。
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この回答へのお礼

そうかなぁ。悲惨さを体験することは必要悪ってものじゃないのかな。

お礼日時:2024/04/10 07:16

お礼について。


なるほど、これは難しい問題かもしれません。

自ら経験をしなくても誰かの体験談をきいたり、書物を読んだりして知識として身についたものと、
自らの身をもって体験したことは、また違うものですね。

同じ物事でも、知識として得たものと体験を通して得たものとでは、引き起こされる感情や感覚も変わってくるのではと思います。

しかし自分の身でこの世の全てのことを経験することは到底できないので、それらの経験をした他者から教わり学ぶことで、それらを知識として取り入れることでも人は成長できると思います。

例えば自ら経験したことのない過去の戦争については、その時の感情や感覚は経験がないので知る由もないですが、それを経験した過去の人達の経験談を通してある程度の感情や感覚は想像することができます。

ですので、経験しなくても人は成長できると考えられ、君子というのは多くの様々な知識を持った存在なのではないかと僕は考えます。
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この回答へのお礼

極端に言えば、戦争に行って負傷してその後身体障害者として一生を送るよりも、知識だけでそれをやりすごし、実生活では支障なくおのれの徳を積むということが君子たるものなのかもしれません。

お礼日時:2024/04/10 07:16

「君子」というのは、色々な失敗や挫折を経験して、


その結果として、悟りを開いて、「君子」と呼ばれる
ようになるのでは?

詰まり生まれて、そのまま「君子」になるのではなく、
すでに「こっぴどい目に、合っている。」と
考えれば、「危うき」は、経験に照らして、「避ける」
という意味になります。

そんなことは、中国人は、考えないか?
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この回答へのお礼

>色々な失敗や挫折を経験して、
その結果として、悟りを開いて、「君子」と呼ばれる
ようになる

じゃあ、危うきに近づいたことになります。

過去には違づいたのなら断定的に「近づかず」なんてのは誤解を招きます。

お礼日時:2024/04/08 08:54

その物事について特に理解もせずに、ただなんとなくそこから逃げようとするばかりでは、どんな状況でもとにかく逃げるということだけが学習されてしまい、そこには成長がないのではと思います。



反対の意味では、虎穴に入らずんば虎子を得ずという諺もありますが、これはその物事に対してある程度の危険性を知った上で自ら危険をおかしてそれに見合った成果を得ようとするということで、
両者の諺に共通しているのは、対象となる物事の危険性をすでに理解しているということではないかと思います。

君子というものがどういう存在なのかはわかりませんが、悪い経験でも上手く次に活かすことができればそこには成長があり、その積み重ねが人としての厚みをもたらすのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

「君子」は経験しないとこのことわざは言っています。経験から学ばないのです。いささかも自分は傷つかないのです。

お礼日時:2024/04/08 08:56

君子の条件の一つに「品行が正しい」があるんです


義を逸脱した、それらしい行動すらしません、
だから、危うきに近寄りもしない、と言う事です。

それゆえに聖人君子は妬まれるのです
「無関心 嘲笑 非難 抑圧」は人間の厚みを増します

釈迦にしろキリストにしろソクラテスや孟子や孔子も、
社会にかかわり、その時代の多くの有能な人達との関わりがあります
人間の厚みは低レベルの風俗嬢からは得られません。

「七転び八起」なんて言うのは、懲りない奴の喩えだよ
聖人君子は転びません。
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この回答へのお礼

それは賛同できないな。世の中の底辺を味わう体験をしないことは、薄っぺらい権威主義にしかなれない。

お礼日時:2024/04/08 08:03

>こっぴどい目に合って人間大きくなるのでは?


経験にしか学べない人だとそうなのかもしれませんね。
他人の愚行や歴史から諸々学べる人がいずれ君子になるんですよ。
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この回答へのお礼

実際体験するのは違いますよ。ほんとに教訓にするには身をもってするしかありません。

お礼日時:2024/04/08 08:00

君子というのはいつも身を慎んでいるため、危険なことはしないということを意味する。


慎重に行動するべきであるという教訓として用いられ、危険な場所には近付いてはいけないという注意喚起としても用いられる。自らが苦手なことを避けるために用いられていることもある。

君子というのは古代中国において、学識、人格ともに優れた人物のことである。このような徳のある人物は、危険な場所に近付いたり、自らの身が危険になるような行動はしないということを意味している。

と言うことで君子とは"厚みのある"存在です。
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この回答へのお礼

厚みねーじゃん。

お礼日時:2024/04/08 07:10

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