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先日テレビで久しぶりにこの映画を見ました。
ふと疑問に思ったのですが、
どうしてこの映画のタイトルは「蒲田行進曲」なんでしょう。
舞台は京都の撮影所ですし。
JRの蒲田駅ではこのテーマソングが流れるということを聞いたことがありますが。

どなたかご存知ですか?

A 回答 (3件)

 こんにちは。


 この作品が映画賛歌だということは判ったと思います。
 その上で何故蒲田(こちらからは歩いても行けるところです)なのか? この辺は日本映画史をある程度概観したことがないと、実感できないかもしれません。

 今はあまりはっきりとした映画会社ごとの社風とか作風というのはなくなりました。最後にそういうものが存在したのは、東映=やくざ路線辺りだったのでないでしょうか。
 2番の回答に有る昭和5年をとってみると、まだ阪急系の資本を得て創立される東宝は無く、大映も東映も無い、大手映画会社は日活と松竹の二大勢力の時代でした。これ以外には大スターが自ら主宰する独立プロダクションや、B級映画専門の小さな会社もありましたが、映画といえば日活か松竹が代名詞だったわけです。
 そのうちの日活は元々は墨田区の向島に撮影所が有ったのが、震災で壊滅し、やがて多摩川(調布)に新たなスタジオを建てて移転します。その頃の現地はといえば、周りは畑しかなかったとか。田舎も田舎。同じ東京の外れでも蒲田とは大違いでした(蒲田は東海道にも近いし、国鉄の駅もありました)。
 撮影所の周囲の環境のせいでもないでしょうが、日活の作品は全体に鈍重で泥臭いものが多かったと言われています。映画史上の名作とは言え『土』、『蒼氓』では確かにこの印象は免れません。
 一方で松竹は都会的なモダンで華やかな世界を作品の基調にしていました。蒲田撮影所は夢や憧れの的だったわけです。最先端のファッションや歌や遊び。こういうものがここから日本中に広がって行ったのです。

 もう一つ。それでは何故京都にも松竹の撮影所は有ったのに、そちらにならないのか? これは、戦後もある時期までははっきりと区別されていたようですが、東京は現代劇、京都は時代劇という大原則ともいえる制作方針が各社に共通して有ったためです。切った張ったの時代劇ではどう頑張っても夢がありません。
 京都は時代劇、というのはひとえにロケーションの関係でそうなったわけです。戦前の割合有力な第2グループの映画会社の一つに、マキノ映画というところがありましたが、ここなど等持院というお寺の境内の一廓を借りてスタジオを建てていたくらいです。
 この等持院というのは足利家の菩提寺で、檀家はここ一軒のみ。当然足利家は衰亡していた訳ですから、収入が無くて寺は困窮。そこで境内を貸したというわけですが・・・まあ、それは別の話。
 大体こんな感じです。
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この回答へのお礼

詳しいご回答ありがとうございます。
映画はぼちぼち見るのですが、あまりバックグランド的なことも
考えたことがなく、ただ、単純に、
「どうして京都が舞台なのに蒲田なんだ??」と思った次第です。
蒲田に撮影所があったということも知りませんでした。

大変勉強になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2003/02/25 16:59

 映画「蒲田行進曲」の、舞台設定は、「京都太秦」だったでしょうか?


 撮影は、京都太秦で行われたことは、間違いないでしょうが・・・・・。
 (はじめのナレーション、映画の風景の詳細は、忘れてしまいました)

 どちらでも、それはあまり、問題ではないのですが・・・。

 「蒲田」撮影所、
  ここは、「活動屋」にとっては、「聖地」なのでしょう。
  みんなで、活動写真を、手作りで、作った、昔の映画の良き時代の
  代名詞なのかもしれません。

  その事は、映画「キネマの天地」をみても、撮影風景が、生き生きと、
  楽しく表現されていて、よく分かることです。
   (キネマの天地の舞台は、蒲田撮影所だったと思います)

 音楽「蒲田行進曲」は、昭和5年にできた曲で、作詞掘内敬三・作曲ロンバーク
 (?)だったと、思いますが、映画は、この曲で始まり、この曲のテンポの
 ように、撮影風景(新撰組・坂本龍馬等々)が進んでゆきます)

 この映画「蒲田行進曲」は、銀幕のスターに振り回される、人たちの
 話と思われますが・・・。

 ま、結論的には、
  映画「蒲田行進曲」の設定が、蒲田撮影所であれば、その名のとおり、
    「蒲田行進曲」でしょうし、

 舞台の設定が、京都であっても、「ある活動俳優が行く」という事を、
 「蒲田」「行進曲」で表しているのでしょう。
  舞台設定が、蒲田でも、題名には、そのような意味合いがあるのでしょう。

 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
舞台は京都太秦の撮影所でした。
小夏が入院する病院も「右京産婦人科」でしたし。
(太秦は京都市右京区にあります。)

さておき、この映画、舞台が先に上演されたのですね。
「キネマの天地」はまだ見ていないのですが、
この蒲田行進曲のテーマソングは、
「虹の都~キネマの天地~♪」という歌詞でしたね。確か。

いろいろ勉強になります。ありがとうございました。

お礼日時:2003/02/24 14:47

大正9年から昭和11年まで、蒲田駅東口に松竹キネマ撮影所があったそうです。


(のちに大船に移転)

それに所以しているのではないでしょうか?

http://www.arcmedia.co.jp/rasen/watanabe/tw9809. …

http://www.mxtv.co.jp/tokyoproject/database/oa/2 …

参考URL:http://www.arcmedia.co.jp/rasen/watanabe/tw9809. …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
参考サイト拝見させていただきました。

お礼日時:2003/02/24 14:37

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