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山頂に神社なんて作っているのは日本だけなのでしょうか。ふうつ山頂には何もありませんよね。

A 回答 (6件)

自然信仰と言うのは、原始的な社会では普通に見られます。


イギリスのスートンヘンジも天文学的な機能があるといわれていますが、巨石信仰の一種であることは間違いありません。

ただ世界的に見て、日本のような山岳信仰を含めた自然信仰が残っている近代国というのは非常に珍しいといえます。
ヨーロッパについていえば、古代ローマ時代は多神教だったもの、その後発現したキリスト教が普及したために、一神教の世界で自然神が信仰されることがなくなり、多神教と共に消えていきました。
ただ土俗的な宗教観と微妙に習合して、今でも痕跡があります。たとえば、イタリアでは道祖神(日本で言う道端のお地蔵様)が古来から道々にあり、それが今ではキリスト教の聖者に姿を変えていたり、ハロウィンは古代のドルイド教のお祭りであったりします。ドルイド教は木や森に精霊が宿ると考える一種の自然信仰です(映画ロードオブザリングに出てくる、オークの古木神はドルイド教を手本にしているようです)

ほかの地域も似たような自然信仰があったものの、大陸でつながっている為、キリスト教・イスラム教・仏教が伝播して自然信仰と習合し、見た目では自然信仰の形は残っていません。
特に南アメリカ大陸はスペイン・ポルトガルの植民地政策のおかげで、土俗宗教が壊滅的な打撃を受けました。
また自然信仰は科学の発達により、「不思議」じゃなくなると消えていく運命にあります。
ギリシャ世界では太陽神アポロがかなり高貴な神であるものの、天文学の発展により、当時には太陽の運行や日食・月食の予想ができるようになっていましたので、だんだん自然信仰は(特に太陽信仰は)廃れていったようです。

その点、日本は海があったため宗教の伝播が遅く、古来からの宗教観が残っているのだと思います。
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この回答へのお礼

キリスト教その他一神教の広まりが、世界から自然信仰を消していったのかも知れませんね。考えてみれば、神道も古代的な宗教ですから。
日本って言うのは、実は海によって文化から切り離されていた歴史があるのです。

お礼日時:2009/04/24 06:47

“山岳信仰”だけを捉えるよりも“自然信仰”と考えた方がよいのではないでしょうか。


日本人は昔から山、海、川、森、大木、石等々の自然のものに神を感じて祈る宗教感があります。
例えば日照りが続けば雨乞いの祈りをし、雨が続けば『晴れますように』と天の神様に祈り、風神や雷神という絵が表すように風や雷も神様として崇め、といった自然崇拝は日本だけでなく原始的な宗教として世界中であったようです。
日本の神社は本来は建物ではなく森全体を神域としているもので、あくまでも自然崇拝であり、川には川の神様、山には山の神様というように八百万の神々の一環だと思えば如何でしょうか。

外国のことを詳しくは知りませんが、一神教を信じる人たちにはこうした自然崇拝の心は解らないように思います。
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この回答へのお礼

自然信仰の国ですからね。こういうのは、他力の文化なのかもしれませんね。一神教にはそういうものでない、力強さとかいこじさと言うものがありますが、独立性もあります。

お礼日時:2009/04/24 06:37

>日本の場合、不浄を避けるため女人禁制となっており、立山信仰では女性は麓の遥拝所から拝むことはできます。



日本の女人禁制について、意外な側面がありますのでそれを紹介します。柳田國男の『老女化石譚』第七節の一部の抜粋です。

、、、各地の霊山に於ける所謂結界なるものの真の意味である。もし其制度が文字通りの女人禁制で、常に婦女を排斥する趣旨であったならば、何もわざわざ山の中腹に於いて其堺線を劃する必要もなく、また右の如く数多い違反者化石の昔話を世に遺す理由も無かった筈である。語を換へて言はば、女人禁制は同時に又例の女人堂迄の女人歓迎を意味していたのである。云々。女でなくとも病人小児の如き足弱にも、頂上を究めずに済む参拝方法があったら寧ろ嬉しかったであらう。だから立山でも白山でも、姥が化石した場所よりは大分下の方に、伏拝と云ふ地がちゃんとある。云々。そこで皮肉に考へて見れば、高山中途に結界を設けるのは、却って断念せんとする女の足弱を誘引する一手段であったかも知れぬ。

もしかしたら、女人もここまでは登ってきなさいと言っていたのが、いつの頃からか、これ以上登っては行けないと誤解されて、不浄がどうのこうのという理屈をつけて、女人禁制なる方向に行ってしまったのではないかと言う説です。

一昔前まで、女性はか弱いからオリンピックに女子マラソンの競技があってはならないと言われていましたね。また、日本人女性初のオリンピックメダリスト人見絹枝が1928年のアムステルダムオリンピックの陸上距離800mで銀メダルを取りましたが、そのオリンピックでも女子の最長距離競技は800mでしたね。これも、女性はか弱いから、男性のように長距離を駆けさせるわけにはいかないとう発想でしたね。これは、大変な誤解に基づくもので、同じような誤解として1950年代までは、黒人はバスケットボールには向いていないと本気で信じていたアメリカ人みたいですね。

上の抜粋はほんの一部ですが、柳田國男の論説は、多くの実例を引いて実証的に論じておりますので、中々説得力があります。参考にして下さい。
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この回答へのお礼

女人近世というものも、自然振興的なものと付随しているのかもしれませんね。 その余波的なもので、全世界に女がしてはいかんという制限性を作ってきたようです。

お礼日時:2009/04/24 06:43

憶測にすぎませんが・・・


 修験道らしいものは世界でもありますが、日本の場合、不浄を避けるため女人禁制となっており、立山信仰では女性は麓の遥拝所から拝むことはできます。男性は一般的には禊を行い、身体を清浄にして禁欲して白い衣をきて、六根清浄と唱えながら上ります。そして多くの場合、元服とかを契機に登ります。
 今でも成人登山と称して各地方の霊験のある山の神社の前で御祓いを受けます。女人禁制が解除されるのは明治以降が多いようです。
 多分神道の伝統的風習が継続しているのだと思います。ということは霊山の山頂に神社があって神主が登山の時期に常駐して、登山者に御祓いをする慣習は外国には見られない日本独特なものと思われます。また山頂の神域は神社の私有地となっているのもほかの国には見られないと思います。
 仏教が入ってくると曼荼羅(チベットに類似性があるのかもしれません)の考え方が混じりあい、温泉が出ている場所には地獄谷という名前をつけ、その上部の平坦な場所に弥陀ヶ原と命名したりしています。地獄思想がないと出てこない発想ですよね。
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この回答へのお礼

宗教の融合が「地獄谷」という命名の例でもわかるのですね。たいへん有意義な気付きです。宗教の融合というのも独自ですね。

お礼日時:2009/04/24 06:44

もともとは山や岩などの自然物そのものがご神体であったようです。



現在でも奈良県桜井市の大神神社(日本最古の神社と言われている)には神殿はなく、三輪山そのものをご神体としています。
麓に三つ鳥居があり、その前に拝殿だけが作られています。

どうもこのように神殿をもたない信仰の形態を持っているのは物部氏のようです。

物部氏は飛鳥時代に蘇我氏とともに権力を持っていた氏族です。

この時代、日本に仏教が伝えられましたが
崇仏派の蘇我氏に対して、物部氏は日本古来の神々を崇拝することを主張した氏族でした。

私は大阪府枚方市に住んでいますが
このあたりはかつて肩野物部氏が本拠地としていたところで
神殿がなく拝殿しかない神社が数多くあります。
山や岩だけでなく、沼をご神体としている神社もあります。
(片埜神社の境外社である瘡神社など)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%9F%9C% …

奈良県桜井市の大神神社は古事記にも登場する古い神社で
10代崇神天皇代、大物主が祟って疫病が流行り、人民が背くなどしたため
崇神天皇が大物主の子孫である太田多根子に祀らせたのが始まりであると
古事記には記されています。

ところが伝説によれば「神は神殿はおろか拝殿すら造ることを最後まで抵抗した」といいます。

この伝説は、もともと神道とは神殿や拝殿を持たないものであったことを物語っているように私には思えます。

海外ではユダヤ教にも山岳信仰があるようで
イスラエルの民はシナイ山でヤハウエからトーラー(十戒(律法)が刻まれた石板)を授かったとされています。

ユダヤ教と日本神道、修験道には大変似たところがあり
日ユ同祖論(日本人とユダヤ人は、共通の先祖を持つ兄弟民族であるとする説)
を称える研究者もいます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%83%A6% …

古事記や日本書紀は聖書をベースに作られたという説もあります。

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd6 …

上記サイトの第五章・星条旗の写真の下に
神に祈りを捧げるときのユダヤ人の写真があります。

頭にヒラクティリーという小箱をつけていますが

修験道の山伏がつける「ときん」にそっくりですね。

http://www.d6.dion.ne.jp/~zenkou/yamabusi/yamabu …
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この回答へのお礼

日本ででも、仏教伝来というものが自然信仰の問題とかなり絡んだようですね。物部氏がここで出てくるとは思いませんでした。やはり、世界的にもキリスト教以前の原始的宗教に沿いては自然信仰があるようですね。

お礼日時:2009/04/24 06:50

本来ご神体は「お山」自身なので、神社(ほこら)は「余計」なのです。

元々麓のほこらも無く麓に鳥居しかありませんでした。
山岳信仰はヒマラヤ地方にもオーストラリアのアボリジニの人たちにもあります。後者ではエアーズロックが聖地なのは有名。
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この回答へのお礼

原始宗教的なものには、自然信仰って言うのが多いようですね。

お礼日時:2009/04/24 06:48

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