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阿倍仲麻呂は遣唐使により唐に留学して、超難関試験である科挙に合格し、当時の玄宗皇帝に気に入られて高官にまで出世したと言われています。
ここまでの秀才・出世ぶりは空前絶後であり、かつ日本への帰国を希望しながら唐で客死するという悲劇もありながら、後世の菅原道真や同世代の吉備真備のように学問の神様として祀られていないのはなぜでしょうか。なお、中国の西安には阿倍仲麻呂の記念碑があります。

現代では海外に留学して名を上げることがもてはやされており、留学して出世した人間の最初の一人とも思われる阿倍仲麻呂が神社の祭神になっていないのはなぜだと思いますか?

質問者からの補足コメント

  • 科挙という超難関の試験に合格し、当時の超大国である唐の高官にまでなったため、受験の神様としては最もふさわしい存在だと思いますけどね。

    現代で例えるなら、ハーバード大学に合格して米国の政府機関に就職し、政府高官にまで上りつめるようなものです。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/01/14 11:47

A 回答 (4件)

神社に祀られるには理由がいる。

ただ頭が良いだけでは神社に祀られない。

菅原道真は、讒言によって左遷され、後に怨霊となって祟りを為した。
そして祟りを鎮めるために神社化された。
その後、神社化されたために、現代人が「学問の神」ということにもした。

阿倍仲麻呂は、帰国せずに唐の重臣となったため、朝廷からは反逆者とみなされた。
仲麻呂が帰国しようとしたのは50歳を過ぎた晩年だ。しかし、帰国できずに逝去した。ある意味、国費で渡唐しながら国に戻って貢献しなかった自己責任とも云える。

それでは日本の同時代人が仲麻呂を神社に祀る必然性がない。朝廷が仲麻呂を呪うことはあっても、仲麻呂に恨まれることは何もしていないからだ。
業績も唐でのことで日本では何もしていないのだから、前向きな意味での神社も国内では必要ないだろう。
この回答への補足あり
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阿倍仲麻呂って19歳で留学して帰国せずに遭難したと思われていた人物ですけど。

唐では有名だったかも知れないが日本では無名でしょう。
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お礼について<現代で例えるなら、ハーバード大学に合格して米国の政府機関に就職し、政府高官にまで上りつめるようなもの>



それなら米国のロックフェラー研究所で大活躍し、ロックフェラー大学の図書館前に胸像が置かれたように、活躍したその地の人々か讃えられれば良い。ちなみに、日本には野口英世記念館があり、そこにはロックフェラー財団から寄贈された同じ胸像がある。
仲麻呂についても神社ではなく、記念館で十分だろう。神社にするほどインパクトのある人物ではない。

米国の喩えでも、政府高官だから神社と云うほど畏れ入る話でもない。どうしてもと云うなら、国民栄誉賞か総理大臣賞でも贈呈すれば良い程度だが、それにしても、日本に対する貢献度がないようなら、日本での表彰は妙な話だ。

そもそも仲麻呂については、高官と云っても政府高官ではなく、皇帝の側近だ。
あの頃は、唐・新羅連合が、高句麗・百済を制圧。日本も白村江の戦いで撃破。さらに唐は、新羅もやっつけようとしていたところ、逆に新羅に返り討ちに会ってしまった後の時期だ。
唐としては、関係を修復した新羅についてはもちろん、その背後にいる日本の動静にも極めて強い関心があった時代だ。
実際に、則天武后は、持統天皇との間で、白村江の戦いにおける日本兵捕虜の返還交渉などを進めている。単なる捕虜返還交渉ではなく、則天武后の真の目的は日本の情勢・動向を探ることだったに違いない。

そのように考えれば、阿倍仲麻呂に強い関心を持った唐が、科挙の点数に下駄を履かせ、スパイとまでは言わないが、有力な対日情報源として合格させ、帰国を延期または中国永住の方向に意思を傾かせた可能性だってあるだろう。

どうしてもというなら、ご自分が発起人となって神社を建立しては如何だろう。先ずは「隗より始めよ」ということで。
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理由は3つ考えられます


1菅原道真を含め古代では「政権に冤罪」による恨みがあり、その結果祟りを起こした人を鎮めるために「祀る」習慣があり「平将門」や「早良親王」などがその例ですが、仲麻呂は生霊として鬼になったものの「真備」を助けたという伝説のみで、政権を祟るといったことはしていない
2仲麻呂は賢い人であったようですが官位は余り高くないようで、日本の政界で活躍した様子が見れない
3彼を引き立てる高官が日本にいなかったので、彼の業績を称える人がいおなかった。同じ安倍氏でも、安倍晴明は藤原氏に重用され、神社が残っています。
ちなみに、菅原道真が学問の神と言われるようになったのは、鎌倉時代以降のようです。
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