10秒目をつむったら…

こんにちは。歴史好きの人間です。

人前で歴史の話をするイベントに出ていて、私は歴史の「謎」(というかゴシップ)について話しているのですが、ここ最近でネタが尽きてしまいました。

・松尾芭蕉忍者説
・徳川家康影武者説
・豊臣秀頼生存説
・聖徳太子はいなかった
・シェークスピアは一人ではなかった説
・モーツァルト暗殺説

など、結構メジャーな話は語りつくしてしまい、もう少しマイナー、だけど結構色々と謎が残っている、というような歴史のゴシップ話がないものかと、悩んでおります。
何か面白い話を教えてもらえると、大変助かります。よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

種子島ネタだと、やってきたポルトガル人たちは、漂着したのではなく、海賊のボス(中国人)に案内されて、商売しに来たらしいです。


買い手として、堺の商人と、根来寺の僧が待ち構えていたとか。
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この回答へのお礼

なるほど。海賊が(たとえ間接的にでも)銃を伝えたとなると、とても面白いですね。堺の商人はわかりますが、根来寺の僧が何故? と思って調べてみたら、すごいですね。火縄銃持ちの僧兵がいたのですか。どうにも、武士よりも強そうですが…。

種子島ネタはいけそうです。少し詳しく調べてみることにします。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/24 14:27

三国志の描写はどうでしょうか?


例えば劉備→「手は膝まで届くほど長く、耳が非常に大きく自分の耳を見ることができた」…こんな感じの描写なので、怪物ランドみたいで面白いです。
史記もゴシップだらけです。
↑(株)光栄が出版されているの『歴史人物笑史シリーズ』を参照にされたらよいと思いますよ。三国志・史記・信長・新撰組などなど、いろんなネタが満載です。

その他には、『シーランド公国』で検索して見て下さい。イギリス南東部にから10km離れた所にある「自称」国家です。ネタとして最高だと思います。
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この回答へのお礼

三国志も面白いのですが、「赤壁の戦いは行われていなかったのか」とか、「孔明は本当に天才軍使だったのか」ならばネタとして成り立つかもしれませんが、身体的特徴だけで話を持たせるのは難しいかもしれませんね。
ともかく三国志は大好きなので、御紹介いただいた本は時間がある時に読んでみたいと思います。

シーランド公国、いろいろ見てみました。おもしろいですね。こんなものがあるとは全然知りませんでした。日本でも長崎の軍艦島に誰かが立て篭もって「独立国だ」とか言ってみてくれないかな。
ただ、この国の歴史は結構浅いようです(笑)。もう少し深い歴史のあるものなら、このような話でもいけると思うのですが。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/24 14:23

No.4です。


これも済んだ話と思いますが
源頼朝の死因の謎    暗殺説では北条時政、政子が疑われています。   他にも頼朝が政子の眼を盗んで、秘密の愛人の家に忍びこもうとして、誤って殺されたとの説もあります。     これは先の上野介替え玉説と同様、江戸時代の戯作者の作のようです。     今のように好事家が多かったのでしょう。
加藤清正の暗(餡)殺説の謎    嘘といわれる毒饅頭説です。
火縄銃の謎    種子島が日本に初めて入った火縄銃ではなく、それ以前中国経由で入って来ています。    黄銅製のものですが鉄製のものもあったかは不明。     学術的問題ですが。
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この回答へのお礼

そのとおり、頼朝ネタはもうやってしまったのです。申し訳ない。

加藤清正「餡」殺説ですか。面白いですね。知りませんでした。
家康の天ぷら死亡説とか、ブッダのキノコ死亡説など、偉い人が食べ物が原因で亡くなったという説はたくさんありますが、やっぱり少し、笑ってしまいます。不謹慎ですが。
以前、「熊本城」のネタの中で清正については詳しく話してしまったのです(秀頼を匿っていた、とか)。残念です。

火縄銃の説は面白そうですね。いつごろ、どのような形で入って来たのでしょうか。リサーチしてみます。
それにしても不思議ですね。あのとき種子島銃が伝わっていなかったら、日本の戦争の形、またその後の日本と諸外国との関係も大きく変わったのかも知れないのですから。歴史は不思議です。

お礼日時:2009/04/24 14:14

>上杉親子は大河ドラマで放送していて流行り物でもあるので、早速調べてみます。

文献ってあるのかな。

天正三年ごろ謙信が景勝へ、上杉名字と弾正少弼の官名、並びに景勝の名乗りを許したとする二通の書状(上杉家文書)があるのですが、『新潟県史』によれば、二通とも景勝の自筆だそうです。クーデター(御館の乱)成功後に捏造したのかもしれません。
景勝の上田長尾家は、謙信の府中(三条)長尾家とは仇敵同士ですから、養子じゃなかった可能性もあるということで。
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この回答へのお礼

これは、大変ありがたい情報です! ありがとうございます。
新しい説はなかなか文献がなく、調べるのに困っていたので、助かります。

ちなみに、以前教えていただいた「濃姫」ですが、少し調べまして、どうにかネタにできそうです。「信長に殺されていた説」などもあるようですね。驚きました。

私としては、彼女が明智光秀と血縁関係にあったことから、本能寺の後に生き残った後もその身の情けなさを悔い、歴史の表舞台に出なかった…という説がなんだか悲しくてそそります。

お礼日時:2009/04/24 14:06

葛飾北斎とか、どうですか変人伝説てんこもり


の巨匠ですね
引っ越し を繰り返し1年いじょう同じところに
いなかったとか
かたづけられない症候群で家の中は散らかり放題
だったとか彼の娘も画家で葛飾応為といい
この娘が父に似て変人画家だったらしく
画家の家に嫁に行ったが夫の画家の絵を自分が
描くより下手だといってケンカして離婚、
北斎のところに出モドリ弟子で居つき
父娘ともに「かたづけられない」症候群だったため
葛飾家は、すさまじい有様になったということです。
葛飾北斎は画号を変えるのも多く
有名な彼の画号「北斎」は生涯で、長く使った
画号でもなく、北斎も変えて、その後も死ぬまで
何回か画号を変えたそうです。
また、彼が日本各地を自由に多く旅したことから
松尾芭蕉なみに忍者や公儀隠密が正体説ありますが
北斎は生涯に膨大な絵を残していまして
その製作行程からしたら隠密をやっていたヒマが
あったのかどうか、やはり、絵を描くための
取材の旅と考えられます、しかし、民間人の
交通手形が容易に振られない江戸時代にあって
葛飾北斎の旅三昧は尋常ではなく、やはり
北斎は、なんらかの体制のコネがあって
交通手形を比較的、容易に得られた環境が
あったのでしょうか
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この回答へのお礼

なるほど、北斎の旅三昧は知っていましたが、裏に大きな組織がいたのかもしれない、というお話は初めて聞きました。

もしこの話が膨らませられるようなら、とてもおもしろい話になりそうですね!
芭蕉忍者説の文献などに併載していたりするのでしょうか。ともかく今から図書館に行くので、それ関係の本がないか、調べてみます。ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/24 13:53

豊臣秀頼の父は秀吉でなかった。

  大野治長、石田三成説。
義経=ジンギスカン説は水戸光圀がつくった。    義経のような英雄が衣川で死ぬわけがないと信じ、家臣を遣わして義経北行の伝説を探させ碑を建てさせたそうです。  (現存の碑はこれだそうです)一寸難しいかな。
吉良上野介生存説。    討たれたのは替え玉で、本人は米沢で暮らしていた。    奥方との不仲と、討ち死にしたのは下士ばかりなので。
成金紀伊国屋文左衛門が吉原で、花魁などに撒いたというのは小判でなく、節分に豆に小粒銀を混ぜて撒いたのが事実です。    江戸の貨幣の話をするついでのゴシップですが。
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この回答へのお礼

秀吉秀頼および淀殿が誰と結んでいたか、また、義経ジンギスカンと光圀公の話は過去にしてしまったのです。すみません。

吉良上野介生存説というのは知りませんでした。そうすると赤穂浪士の皆さんはちょっと虚しい感じですね。この件はちょっと調べてみます。ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/22 12:05

本能寺の変だけで、百以上の説がありますし、少し掘り下げて調べれば、いくらでもありそうですが。


最近の流行りでは、
・上杉景勝は謙信の養子ではなかった
・伊達政宗の父親は、政宗に殺された
・真田幸村という人名は存在しなかった
なんかでしょうか。

ちなみに美濃御前(濃姫)は、近江日野の蒲生家にかくまわれ、本能寺後も存命です。
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この回答へのお礼

本能寺の変、確かにいろいろな説があるのですが、
・信長は生きていた
・暗殺劇の真の計画者は光秀ではなかった(家康だった、秀吉だった、など)
という説の他に、ある程度密度があるものは、あるのでしょうか。
もしご存知でしたら、お教え頂けると、ありがたいです。

幸村については、「幸村大阪の陣で死んでおらず、秀頼とともに薩摩へ落ち延びた説」を過去にやってしまい、その中で名前の件についても触れてしまっているのです。たしか、江戸時代に創作された名前なんでしたよね。「幸村」は。

・景勝は謙信の養子ではなかった説
・政宗が父を殺していた説

は全然知りませんでした。上杉親子は大河ドラマで放送していて流行り物でもあるので、早速調べてみます。文献ってあるのかな。

濃姫についても、ご教授ありがとうございます。死んではなかったということですね。そちらの方向で調査してみます。

他にもご存じのことがあれば、おしえてもらえると嬉しいです。

お礼日時:2009/04/22 11:53

戦国時代で言えば



真田十勇士は居なかった
戦国時代の衆道について
長篠の戦いでの鉄砲隊は有効だったのか
信長正室・濃姫の謎

などはいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

「真田十勇士」は、やってみようと思ったのですが、皆さんがもう知っている、とのことでボツってしまいました。残念です。
衆道はどうなんでしょう。面白そうなんですが、大勢の人の前で話してしまってよいものか。悩みます。女性もいますし。ムムム。
長篠の戦いは、別の方へのお礼の通り、もうやってしまったのです。すみません。

ただ、濃姫については死角でした。そうですよね。なんだかんだ言って、濃姫が生きていたのか死んでいたのか、子供がいたのかいないのか、生きていたとしたら信長の死後、どうなったのかは、謎ですよね。思わぬ盲点でした。
これも早速文献をあたってみます。ヒントをありがとうございます。

お礼日時:2009/04/22 11:44

いろいろあるんじゃないですか?


ジンギスカン=源義経説
武田軍に「騎馬隊」は存在しなかった説
日本人の先祖はユダヤ人だった説(日猶同祖論)

等々

この回答への補足

御回答どうもありがとうございます。

・ジンギスカン=義経説
・武田軍に騎馬隊は存在しなかった説

は、残念ながらもうやってしまったのです。
しかし、日本人の先祖がユダヤ人だった説は初めて聞きました。早速文献にあたってみます。
大変助かります。ありがとうございました!

補足日時:2009/04/22 11:36
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この回答へのお礼

間違ってお礼ではなく補足の方に書いてしまいました。
補足の方をご確認いただけますか。すみません。
ともかく、たいへんありがとうございました。

お礼日時:2009/04/22 11:40

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