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僕は、大正~昭和初期~30年ぐらいの文化や風俗に興味があり、趣味で調べています。
以前、75歳のおじさんに戦前・戦後、どんな子供時代だったかを聞いた時に、
「戦後、米兵と日本人女性の間に生まれた 『あいのこ』をよく見かけた」
ここで初めて、「あいのこ」と言う言葉をしりました。
その後、『あいのこ』について色々調べてみて、当時彼らが直面していた問題を知りました。
多くは、いじめや親に捨てられたなどの酷い過去の話でしたが、中には
「『あいのこ』と言う言葉を聞くと、あの時見た綺麗な美少年が蘇る」
という内容のものもありました。
何より、75歳のおじさんに聞いた言葉が僕を魅了しました。
「神戸の方で、見た女の子は、今テレビに出てくるハーフの娘のように綺麗で、身なりも当時としてはこざっぱりしていた」

(あいのこと言う言葉は、差別語にあたるものですが、ここで強調して使っている事に悪意は全くありません。配慮に欠けている部分もあるかもしれませんが、質問する上でこちらの真意を少しでも分かって貰えればと思いました)

質問ですが・・・・
もし当時の『あいのこ』について知っている事や、美談などありましたら是非教えて下さい。

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

 こんにちは。

「最早戦後ではない」年、羽田空港から直線距離で3kmあまりのところで生まれた者です。
 実はさすがに私の世代では、多少距離があるせいもあり、かなり身近に占領軍の兵員宿舎が設けられていたことを知っている者はほとんどいません。ですから、同学年に何故か非常に日本人離れした顔の者がいてもそんなに不思議ではありませんでした。ちょっと違うなという程度です。ともに女性で、一人は妙に白い肌、もう一人は髪はちりちりで肌が黒っぽい。当然一目で違いは判りますが、だからと言っていじめなどがあったわけではありません(一つ上や下の学年では思い当たりがありません。また中学は3つの小学校の通学区域を含んでいましたが、その中で最も宿舎からは遠くに相当する私の小学校の同期にもいません)。
 この事実の真相を知るのはずっとあとになってからです。中学を出て30年以上経って、この中学校と空港により近いところに住んでいる年配の方に昔のことを聞く機会がありました。「川の向こうには宿舎が作られて、それを目当てに女も集まった」。普通なら親がこんな話をするわけはありませんから、気が付かなかったのも仕方が無いでしょう。この時初めて中学のあの二人の父親は日本人ではなかったのだと知りました。
 その時、私の姉も同席していて、そう言えばと出てきたのが、「向かいの6軒ほど先の小さな家の娘もやはり」という話。これは私はそれまで全く知りませんでした。言われてみれば肌が白かったような気はします。ですが顔立ちは普通の日本人といっても通るほどで、格別の特徴があったわけでもありません。
 中学の白人が父親と思われる女子は確かに『プリティ・ベイビー』の頃のブルック・シールズのような感じでした。ただし綺麗でなかったとは言いませんが、あまり好みに合う感じでもありませんでした。

 先の話をしてくれた方は、「ここらの女が東京の女の防波堤になった」といったような表現をしました。これは事実かもしれません。もちろん占領軍の宿舎は全国に相当数設けられたわけですから、同じような話は日本中にあるはずです。

 これくらいにしましょう。混血児が主人公の映画に『キクとイサム』という作品があります。ソフトが出たこともあるので観られる機会もあるかもしれません。
http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cg …
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=1 …
 最後に。近隣の保育園の園長を長く務めた方が書いた小説があり、最近これを姉が貸してくれました。ぱらぱらと見ていたところ、米兵と愛し合ってアメリカに渡ることを決意した海苔屋(大森の主な産業だった)の娘のエピソードが含まれているようです。間違いなくこれは事実に基づいたものであり、中にはそのようなこともあったことを新たに気付かされました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
戦後10年で国際結婚をして海外に行く女性も結構居たみたいですね。

性の防波堤になっていたという話は、色々な本でも書かれていますが、
当時、職の無さからそういう水商売に就いた人が何万人もいたらしいです。その後、性病の蔓延を恐れたアメリカ方が中止させた、と言う話です。

子供時代の話がとても参考になりました。もし当時の事で興味深いお話がありましたら、又、よろしくお願いします。

お礼日時:2009/05/04 08:48

こんにちは。

私の場合、戦後の占領時代に生まれた"あいのこ"の方々より年代が若いかもしれませんが、かつて"あいのこ"と呼ばれた一人です。私は今年39歳の男で、母は日本人、父はアメリカの軍人で、東京近郊の基地の町で生まれました。父は私が2歳のときにベトナムで事故死をしたので、母一人子一人の家庭に日本人として育ちました。戦後まもなく生まれた"あいのこ"の方達は、私よりもずっと困難な時代を過ごしたと言います。母親からも見捨てられ、大磯にあった混血児救済施設エリザベスサンダースホームに引き取られ、アメリカに養子に出された子も多かったといいます。私が子供の頃(1970年代ですが)、やはり基地の町と言うことで、学年に1-2人くらいは私のような境遇の子がいました。苛められたことは記憶にありませんけれど、やはり髪の色や外見がほかの子と違ったりして、いろいろ嫌な思い出もあります。見ず知らずの大人から唐突に、父親はいるのか、とか、どうせ母親は水商売か何かで、父親が荒くれ米兵のあいのこだ等々、今考えるととても失礼なことを幾度と無く周囲から言われた経験があります。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
実際の当人のお話はやはり説得力があり参考になります。
少し時代が経っても色眼鏡で見られるものなんですね。

お礼日時:2009/06/02 19:57

http://www5a.biglobe.ne.jp/~soulp/sbm1.htm
当時、混血児(ハーフ)を産んだ女性たちは疫病神のように嫌われた。混血児は敗戦の象徴だった

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B7% …
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%80%E7%9E%AC%E3%81 …

あいのこ=混血児です。
有名人では上記のボクサーです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
提示してくれた資料、とても衝撃的でした。
これほどの数の、進駐軍を相手にする娼婦が居たということは、同じだけ子供も出来てるわけで。
横浜の外国人墓地には、数万の嬰児が眠っていると言われてますが、納得です。

お礼日時:2009/04/25 07:35

私の子供のころも「あいのこ」は普通に使っていましたよ。


昭和30年代ですね。
私の周りには「あいのこ」はいませんでしたが、テレビなどで混血の人が出ると、「あいのこ」と呼んでいました。
どちらかというと、ちょっとバカにした言い方の時に使います。
特に、片親(父親がアメリカ人)で、終戦後のどたばたで産まされた子供、父親は本国に帰ってしまい、名前すらわからない、といったことが多かったですね。そんな子供を指して呼ぶ言葉でしたね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
リアルタイムで体験していた方ですか。
テレビには、どういった内容で出ていたんでしょうか?
やはり、世間全体が批判的だったんですね。

今、『あいのこ』と言う言葉を聞くと、ハーフより、ましては混血児より響きが柔らかく、可愛くさえ思えるのですが。
やはり、その時代を生きてない者の浅はかな発言ですかね。

お礼日時:2009/04/25 08:04

もうご存知でしたらごめんなさいm(_ _)m ですが


『エリザベス・サンダースホーム』 
設立者の『澤田美喜さん』で検索されると参考になるのではないでしょうか?

つい先日もその後のエリザベス・サンダースホームの卒園生達を追った番組がありました。
http://www.tv-tokyo.co.jp/eth60/
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
僕もその番組は見ていました。
「トンネルのこちら側は楽園だけど、向こう側は地獄」とみなさん言っていたのが残念でした。
大人が、「鬼畜米兵の子供」と非難する一報で、子供同士ならどこかで友達になれる部分もあるんじゃないかと思っています。

お礼日時:2009/04/23 19:36

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