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「お箸を持つほうが右・お茶碗を持つほうが左」などと右と左の説明されますが、実際問題右と左ってどういう定義になっているのでしょうか?
右と左の学術的な定義を教えてください。

A 回答 (14件中1~10件)

No4の者です.


「特定の原子を破壊すると左に粒子が飛んでいく」という定義はこうです.

コバルト60という原子を絶対零度近くまで冷やし,強い磁場をかけます.
そして,ベータ崩壊を起こさせて,原子から飛び出す電子の数を数えたとき,
より多くの電子が出る方がS極になります.

この方法で,磁石のS極をきちんと定義できますね.
あとは,電流を流して磁石をおけば,フレミングの左手の法則で,
左右を定義することができます.
(禅問答じゃなくて,厳密な定義ができるんです.)

ただし,この方法が「完全じゃない」と言ったのは,
上の実験を「反物質」で行ったとすると,N極側に電子が多く飛び出すらしい,
ということがわかってきたからです.
http://masahoso-web.hp.infoseek.co.jp/radio/tais …
http://homepage3.nifty.com/iromono/kougi/timespa …
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=456203

高校生レベルの話題であれば,電磁誘導(No5さんの)で説明できます.
(それも立派な答えですよね)
しかし,この方法だと,N極,S極の定義が必要ですよね.
これがまさに「オズマの問題」です.
その解決方法がコバルト60のベータ崩壊(S極の見分け方),というわけです.

関心がおありでしたら,下記の図書を読むと面白いですよ.
鏡はどうして上下を反転させずに,左右だけを反転させるのか,ということが
非常に詳しく書かれています.オズマの問題の話も出ています.
マーティン・ガードナー「自然界における左と右」(紀伊国屋書店)

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=23727

この回答への補足

お礼回答後の補足なんですが、
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=23727
のNO.2さんの答えで「できない」という方向で納得しました。
もちろん僕が求めてたような定義はと言う意味ですが。

オズマ問題や、コバルト60のベータ崩壊の観測による左右の定義、
CP対称性の破れ、また自分の「方向」に対する認識など、
思いがけずいろいろ勉強になりました。

もうそろそろ回答を締め切らせていただきます。

補足日時:2003/03/08 04:59
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この回答へのお礼

詳細に解説していただいてありがとうございます。
以前の教えてgooでの議論を読んで思ったのですが、
僕が「左右の定義」として望んでいたのはどちらかというと
「哲学的」な定義の方だったようです。

現象として地球上や宇宙で「右左」を観測する方向によらず
確定できるかという意味ではなく。

先ほどのDNAの螺旋にしろ、暗黙的に観測する方向を決めてますよね。
「右と左」自体が「自分が前を向いている」前提があるからこそ
発生する概念なんだからあたりまえなんですよね。
「方向」というのは観測する点を決めないといけないわけですよね。

数学では「増減」はあるけど、それは「左右」とも「上下」とも違う。
自然数は隣り合う数の差は「1」という公理(人間の取り決めであって
真理とは関係ないのかもしれないけど)のようなかんじで「左右」の定義
されてないのかな?あるのかな?というのが質問の発端でした。

重力のある地球に暮らしているから「上下」の差はあたりまえのように
思っているけど、「上下」だろうが「左右」だろうが、「ある方向」が
「もう一方」と違うという定義はできるのか?できないのか?
というよな。

やっぱり「方向」というのは観測点を設定して、上だ下だ右だ手前だと
相対的に決まるのであって、じゃあ右はどっちだ?と聞かれたときは
電流の流れやDNAの螺旋で判断できる。

「左右」というのがもともとあいまいで、数学的には原点と設定したところ
からの距離や向きで表すわけだから、右でも左でも上でもないわけですよね。
相対的なものだというのがようやく飲み込めて来ました。

というわけで、これで戦争がなくなるわけでもなんでもないどうでも良いことですが、個人的には非常に楽しかったです。

ご紹介いただいた本、たぶん買います!
めちゃくちゃ興味しんしんです。

お礼日時:2003/03/08 04:44

>僕の宇宙は左利き...?



この辺の物理的側面について、
興味がおありでしたら、以下のような
本もあります。
 ご参考まで。

はたして神は左利きか?―
ニュートリノの質量と「弱い力」の謎 ブルーバックス

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062573 …
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この回答へのお礼

ふとした疑問から、とても興味深い話題が広がり、とても楽しめました。
もっと「良回答」したい投稿はたくさんありましたが、独断と偏見で決めました。

投稿していただいたみなさまありがとうございます。
また付き合ってください。

お礼日時:2003/03/15 00:01

>でも、自分に対して「右」という方向は確かに存在して、僕がぐるぐる


まわっても「右」なんですよね。だから「普遍的」に定義できそうな
気がしたんだけど、これをいいだすとやばいですね。
あくまで正面という定点を設けた上での「右」なんだから。

>定点を設けた上での「右」なんだから。

 同じようなことを音速の発見で有名なマッハが惑星の回転方向に
ついて言っています。
「この宇宙に惑星が1つしかなかったとして、その回転には
 どうゆう意味があるのか? 右回転か左回転か区別できるか?」

 つまり周囲に比較対象となる星があることが、天動説、地動説
の議論の出発点になるのに、星がなければ、その惑星に仮に
知的生命体がいても、空はずーと闇で天の移動も地の回転も
思いつかない。また回転の方向も定義できないだろうという
ことなんです。
 マッハは絶対ということが嫌いだったようで、一定の値でない
音の速度を見つけ出したようです。

 
 また対称性の破れの問題のほうはある程度解決をみたようですが、
例えば反粒子の存在については、全ての粒子に反粒子があるという
考えで今のところ間違えなさそうですが、粒子と反粒子の
存在比率、安定性に差があることが疑問視されています。

 これに対しては、宇宙が膨張する過程で相転移という現象が
起き、対称性が崩れた。もともとは対称的なんだという説明に
なっていますが、自然はその極限まで対称か?左右は区別
付かないか? 議論の尽きることのない問題でしょう。

この回答への補足

>粒子と反粒子の 存在比率、安定性に差があることが疑問視されています。

僕の宇宙は左利き...?

または、僕らの宇宙とバランスをとるために存在する別宇宙とか。

そんなロマンチックなもんじゃないっすね。
ただまだ観測されていない物質とか、考慮されていないエネルギーの損失とか
そういうレベルの問題なのでしょうね。対称になるように研究いているわけだから。

プログラムやってて、「ここはこういう型の変数が渡される」「ここはこれ以上の大きさの値はこない」とか決めうちで作っててうまくいった試しがない。
「対称な世の中」の根拠って創世神話以外あるんですかね。

あくまでそこにひっかかるやつ...

補足日時:2003/03/11 23:16
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対称性を抜きにして物理をつくるんですか?


まあ、ほとんど不可能に近いですね。

対称性は強力な指導原理で、これがないと
何を原理にすえたらいいかさっぱり分かりません。

宇宙原理はご存知でしょうか?
簡単にいうと、宇宙はどこでも同じようなもんだ、
という割とあたりまえの仮定ですが、実はかなり強力な仮定で
可能性は3通り(いわゆる、平らな宇宙、開いた宇宙、閉じた宇宙)しかなくなってしまいます。

もっとも、完全に宇宙が一様だったら、
銀河も太陽も我々も生まれませんから、
その意味では対称性からどの程度ずれがあるか、
というのは、重要な研究対象です。

そういえば、一様でない宇宙モデルというのが
かつてありましたね。
インドだったかな、亀の上に象が乗って・・・というやつ。
天動説も一様でなく、物理法則が天界と地上で違うと言うものでした。
私なんかからすると、統一性がないなぁという感じですが、
考え方が現代物理に汚染されてるんでしょう。^^;

No.10の方のコメント:
>運動量保存は空間反転不変性ではなく空間並進不変性、
>エネルギー保存は時間反転不変性ではなく時間並進
>不変性だと思います。ラグランジアンの連続変換に対
>する不変性から保存則が導かれますが、離散変換から
>は導かれない
確かにその通りです。
場の量子論は雰囲気しか知らないもので。
じゃあ語るなって。

参考URLは、私が出した対称性に関する質問です。
いまいち、なんてコメントすればよいか分からなくて、
「良回答なし」にしてしまいましたが、参考になれば・・・

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=214641

この回答への補足

>対称性を抜きにして物理をつくるんですか?
>まあ、ほとんど不可能に近いですね。

僕のコメントの意図としては
「対称性」を元に今の物理学が完成したとして、まったく別の文化
別の次元の文化で、同じように完成された別体系の物理学を作ることも
できるんだろうな、ということです。

それは、同じ動作をするが異なる言語で書かれたソフトとプログラム言語
のような関係かもしれないし、
球体を1次元で切り取れば点、2次元で切り取れば円、4次元で切り取れば...
というような同じ事象をどの次元で捉えるかというのに似ているかもしれないし、
ある数を2進数、10進数、16進数で表しても演算には何も支障がないというようなことかもしれない。

これは、あくまで僕の中のイメージなので、ぴんとこないかもしれませんが。
今の物理学は「究極の対称性」を求め完成に近づきつつある。
でもそれはなんとなく、創世記の思想や偶数であり素数である「2」の神秘性
からくる思い込み、又は人間の絶対条件みたいなものかなと思ってしまう。

現代の物理学を否定するわけではなく、「神」かなんかにきっちり型にはめられてるような感じを受ける...ひねくれたくなる...

>もしも、人間の体に対称性がまったく無かったら、
>科学は対称性にそれほど重きをおけないのではなかろうか?

勝手に引用させていただきましたが、これは ibm_111 さん自身の言葉だと思いますが、この疑問にすごく近い気持ちだと思うのですが。

もうひとつ勝手に引用させていただくと、stomachman さんの回答で

>もし完全に左右対称な生物が居たとするとですよ(脳の中身まで完全に、です)、>こいつは左右の区別を付ける能力がありません。

こういうくだりに反応してしまいます。
まったく僕と左右対称な世界が僕の後ろにべったりはりついてる...
藤子不二夫のマンガによくこういうパラレルワールドネタありましたよね。
パラレルワールド同士で行き来しあう。

「左右」とは相対的なものであって、相対的な条件を取り除き、言葉として
「右」「左」が残ると不思議な感じがする。これはトリックですね。

余談ですが、音読みするとき「左右(さゆう)」って書くのに訓読みするとき
「右左(みぎひだり)」ってなりません?
慣れの問題かな。

補足日時:2003/03/11 23:12
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話を混乱させるかも知れませんが・・・


動物にも利き腕があるそうですが、人間以外は、右利きと左利きが半々なんだそうです。
ところが、人間だけが、右利きが多い。
しかも、未開の部族とかでも、そうなんだそうです。
ラスコーの壁画でも、右手の「跡」の数が左手のそれよりもはるかに多いとか。
これは完全に謎ですね。(ガードナーの本にも出ています)
#9さんへのお礼の中にあるURL、拝見しました。
ある部族には「左右の概念はない」とのことですが、利き腕が左右で半々か、
ということには触れられてないですね。ヒジョーに興味があるところです。

生物を構成する化合物の光学異性の問題はご存知のようですよね?
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsac/TT50/2E07.html
もし、我々の身体がd体で構成されていたら、左利き優位になったんでしょうかね。
興味は尽きません。

哲学的な回答がお望みでしたら、もう一度論点をまとめ、
文系の学問の方で再度ご質問されてもいいかも知れませんね。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=473515

この回答への補足

>人体のシンメトリの理由
こちらもかなり面白いトピックスでした。

>もし、我々の身体がd体で構成されていたら、左利き優位になったんでしょうかね。
>興味は尽きません。
いや、人間だけの問題なら違う要因なのでは?社会性とか。
右脳と左脳で働きが違うからとか(だとすると例外はありえないか..)、
興味ある問題なのは確かですね。

補足日時:2003/03/11 22:32
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私は素粒子などの何らかの性質を左右の定義とすることは望ましくないと考えます。

物理法則は物の性質を定量的に述べるためにあるものであり、何らかの概念を定義するものではないからです。「××粒子は右方向に多く放出される。」「それでは右とはなにか。」「××粒子が多く放出される方向である。」これでは循環論法であり内容のない言明であることはお分かり頂けると思います。「××粒子は右方向に...」と述べる前に××粒子とは独立に右というものが定義されていなければならないのです。しかし私たちは××粒子が放出される方向を認識できないことはありません。それは右とは箸を持つ方であり、多くの人が利き手としている方であることを経験的に知っているからです(利き手で差別する意図はありません)。右の定義としては「多くの人が利き手としている側」という単純なものが最良であると思います。人間の利き手と、CP保存の破れと、磁場中で電流が受ける力と、太陽が昇る方向というように全く無関係に思えるものに関係をつけているところに物理法則の価値と内容があるのであり、左右の概念はこれらの関係式の総体として理解するのが良いかもしれません。しかしこの関係式のなかでどこかに基準を固定する必要があるかもしれません。基準を固定するとすれば私は60COの崩壊などではなく、人間の利き手を基準に選びたいと思います。それから♯9の方へ。運動量保存は空間反転不変性ではなく空間並進不変性、エネルギー保存は時間反転不変性ではなく時間並進不変性だと思います。ラグランジアンの連続変換に対する不変性から保存則が導かれますが、離散変換からは導かれないと思います。
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この回答へのお礼

ご指摘のとおり、なんらかの形で決着をつけようとすれば、基準が必要なようですね。

 「日の昇る方角に対して南側が右」
 「あなたが箸を持っている方が右」
 「DNAの螺旋の向き」
 「××粒子が多く放出される方向」

それぞれの基準に対してどれも正しい。

 「太陽が昇らない民族にも同じ方向を伝える」
 「上下のない宇宙空間で同じ方向を伝える」
 「別宇宙の人にも同じ方向を伝える」

いろんな局面で、その条件をクリアする方法もある。 また、

 色も大きさも重さも性質もまったく同じ球体が「右と左」に並んでいて、
 片方を取り除き、これはさっき「右」にあった方か「左」にあった方か
 と問われると、位置情報もわからないとすれば特定するすべはない。

このような仮定をすると、あら「右と左」って不思議ねという気分になる。
でもこのようなことは現実には同じ性質なら同一とみなせたり、
時間や位置情報でどちらにあったかを特定できるはずであり、問題なし。
位置を基準とした情報しかないのにその位置情報を取り去るからわからなく
なるわけで、落とし穴のある意地悪問題みたいなもんですね。
プログラムならバグです。

..といってしまえばおしまいですが、「哲学的考察」とか「思考実験」して
みれば面白いネタだったなと思います。

お礼日時:2003/03/11 22:19

>上記のようなテーマに読み替えていただき、もう少しみなさんの意見を


>お寄せいただければと思います。

おや、テーマ変えてしまっていいんですか。では、もう少し。

>物理学に創世記の思想が強く反映されている
>というのはショッキングですね。
>反物質、対称性を追い求めるのが思想的な思い込みだとしたら...

物理学者とはいえ、人間ですから、
そして、今まで物理学を推進してきたのは、主に欧米人ですから、
キリスト教的世界観の反映があるのはいささかしかたありません。
物理学の歴史とは対称性(美と言ってもいい)とは何か?
を追及する歴史でもあったわけで。
現代なら、素粒子物理と限定してしまってもいいかもしれませんが、
空間反転対称性から、運動量保存則が
時間反転対称性から、エネルギー保存則が、
空間回転対称性から、角運動量保存則が
U(1)対称性から、電荷保存則が、
・・・と言った具合です。

素粒子物理学の究極の目標は、
新たな物理を作ること=新たな対称性を見つけること
=世界で最も美しいラグランジアンを見つけること。

「私は神の考えが知りたいのだ。残りは瑣末なことだ。」
アインシュタインの言葉です。

さて、世界には左右という概念を持たない民族が存在するようです。
立ち読みしただけなのでその本を紹介するのは無理ですが、
その民族は、方向を指し示すのに常に絶対的な感覚、つまり、
北を向いたときの東、みたいな話し方をするそうです。

この回答への補足

今夜もまた「良回答」ありがとうございます!
またまたいろんなことに思いを馳せました...

>「私は神の考えが知りたいのだ。残りは瑣末なことだ。」
>アインシュタインの言葉です。

僕が思う「神」は”審判”も”救い”も行わない、人間の所業をただ見守るだけの存在。 《どこにもいない》し《どこにもいる》 here there everywhere!

○キリスト教的世界観と対称的な世界観の連想ゲーム
・はじめに言葉があり、言葉は神とともにあった。
 自ら世界に超越しつつ、同時に自身の言葉によって世界に内在的に働く。
 自然数における「1」これ以上分割できない。「1」次元。「自己」と
 「世界」の区別がない。ただ存在するのみ。

・「光よあれ」光と闇を分かち、「世界」が創られる。
 昼と夜、天と地、全ての物は神によって「区別」を与えられ、はじめて
 「自己」から「他」へ「観測(行為)」「広がり」「流れ」が生まれる。
 ゆえに「対称性」こそが世界。

 >粒子物理学の究極の目標は、
 >たな物理を作ること=新たな対称性を見つけること
 >=世界で最も美しいラグランジアンを見つけること。

自然数が2進数・10進数・16進数、何を基底に用いても等価なように
もっとも根源的な対称性(2)で表現された物理学も、「3基底」「5基底」
「6基底」の対称性からなる物理学に置き換えられる...?
「2」進数 はboolian 真偽 「対称性」はもっとも単純化された世界。
やっぱり「対称性」に帰ってきてしまいました。「対称性」の物理学を
否定してみようと思ったのに。


今回一番「どひゃー」となったうれしい話題は
 >世界には左右という概念を持たない民族が存在するようです。
これですね!

気になって調べてみなした。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/ir-ninshiki …

詳細はページをご覧いただくとして(面白いです)、
要点は「相対的な方向感覚をもたない民族」がいるとのことです。
相対パス/絶対パスどちらを用いるかの違いだけで別に私たちの世界観と
なにも矛盾は生じないのですが、方向に関して絶対的に認識しているか
相対的に認識しているかによる違いで現れる興味深い実験なども載っています。

この記事を読んでやはり思うのは、対称性を元にしない物理学も可能ではないか
ということ。その物理学の体系と、現代の物理学の体系が無矛盾だったりしたら
面白いだろうな。宇宙までいかずとも、少数民族の独自に発展した学問が僕らに
したらとっぴょうしもない(しかも破状していない)ものだったりしたらすごい。

今回は暴走気味でした?

補足日時:2003/03/10 00:23
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>僕が「左右の定義」として望んでいたのはどちらかというと


「哲学的」な定義の方だったようです。

longnameさんの疑問は哲学では解けなかったので、
現代物理学がその解明、定義を求めているのだと
思います。そのため左右を物理的に定義する方法が
いろいろ試されているのだと思います。

 この左右の定義と言う話、自然界の対称性という
問題と結びついています。

 旧約聖書1章、創世記のとおりこの世の中は
作られている考えがあります。創世記冒頭の記述に
よると、神は光を創り、闇を創り・・・天を創り、地を創りと
全てを対に作っていることが分かるのです。
 この思想が物理学の中に取り込まれているため、
多くの物理学者たちは、ある粒子が見つかると、その
反粒子を探したりと、常にこの世が対称的に創られて
いることを証明しようとします。

 創世記のとおりなら、右と左は対のもで別々に絶対的に定義することは
できません。本当にそうなのか? まだ議論の最中かと思います。

 本題とはずれますが、左という言葉の語源ですが、
これは中国大陸の影響を受けた日本の太陽信仰から来た言葉で、
太陽がもっとも高く上る方向(つまり南)に人が向いたとき、
太陽が昇る方角、つまり「日出(いでた)る方角」
→「ひ いでたる (方角)」 → 「ひ いでたる」 →「ひだり」
と、太陽と人間の位置関係から相対的に決めたものであることが
分かります。

 少し宗教的になりましたが、哲学とそれに基く現代科学には
まだ未知の領域、神秘(つまり神が秘めたるもの)があり、
この左右の定義というご質問、そういった学術的大問題の
1つなのです。
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この回答へのお礼

締め切らないでよかったです。
又新たに興味深い視点をいただきまして、ありがとうございます。

僕が「哲学的な」定義を求めていたというのは語弊がありまして、
最初の問いには「哲学的要素」が多分に含まれたあいまいなもの
でしたという自己ツッコミです。
あくまで求めていたのは何度が表現しているように数学的な(観念的?)
公理(自明の理?)というイメージでした。

物質の性質による方向性の定義は、【観測】という行為(対象があり、
観測の方向を決める)の後得られる【結果】(時間的要素も介在)から
ある方向が「立ち上ってくる」イメージなので、「普遍的にそこにある」
定義のようなもの想像していたはじめのイメージとは、やはり少し違う
というのが正直なところです。だから多分に「哲学的」要素を含んだ
無理難題だったのかなと。

でも、自分に対して「右」という方向は確かに存在して、僕がぐるぐる
まわっても「右」なんですよね。だから「普遍的」に定義できそうな
気がしたんだけど、これをいいだすとやばいですね。
あくまで正面という定点を設けた上での「右」なんだから。
すぐに暗黙に設定した定点を忘れて右とか左とか考えてしまう。
オズマループとでも名づけたいような状態に陥ります。


物理学に創世記の思想が強く反映されているというのはショッキングですね。
反物質、対称性を追い求めるのが思想的な思い込みだとしたら...

でも、東洋にも「陰陽」と言う概念があるように、やはりこの世の事象は
全て「対称性」に還元されるのか?
本当にそうなのか? 確かに神に秘められた領域としかいいようがないですね。

「対称性」には確かになにかあるんでしょうね。それが全てではないにしろ。
人間にそれをよりどころにさせるなにかが。

昼と夜、真偽、男と女、生成と消滅、右と左...


異なる宇宙観も別の次元の思想では描けるのかもしれない。
じゃんけんのような3すくみ、3つの要素からなる宇宙...
陰陽五行や五大元素のような5つの相容れない性質が根本にある宇宙...
絶対唯一の要素からなる宇宙...

「左」の語源が「ひ いでたる」ということは、ある意味、一番はじめの
僕の問いの明確な解答ということになりますね。
はじめは「いや、東西南北ではなくて...」と思ってたんですが。
「右と左」というのは、そういうものだったわけですね。
そこには、地上に立ち、空を見上げることで「上下」が既に存在した。

みなさんにお寄せいただいた回答から、僕自身認識を深め、最初に
発した問いの真意を掘り下げると、物理的定義としての「対称性」
創世思想からくる「対を成す2つの要素」なども含めた考察という
ことになります。


明確な解答というのは出ないかもしれませんが(出たら世界が変わってしまう?)
上記のようなテーマに読み替えていただき、もう少しみなさんの意見を
お寄せいただければと思います。
(ちょっと楽しくて閉められない....)

お礼日時:2003/03/09 07:07

有機化学の世界において左右の区別について。


 ノーベル賞、昨年日本で2人受賞者が出たのは有名です。
 その前の年に化学賞を受賞した名古屋大学の野依教授が研究した内容は、メントールに代表される有機化学物質の左と右の区別についての研究です。参考URLには概要が記載されています。
 生物にとって左と右の関係にある物質は明確に異なる反応をしめします。DNAは二重らせん構造をしているというのは承知の事実ですが、不思議なことにこれは同じ方向で巻かれているのですよ。
 左右の違いはこの世の中に沢山ありますが、例えば宇宙に行くと分からなくなる上下の相違はないのですね、不思議なことに。
定義にはなっていませんが、参考にしていただければ幸いです。

参考URL:http://www.nagoya-u.ac.jp/noyori/gaiyou.html
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この回答へのお礼

左右と上下は性質が違う!?
90度回転したらとかそういう話ではなく?

どちらにしろ、自然界ではある方向にだけ現れる特性があると言うことですよね。
そういえば高分子やってるときそういうの習ったような...
あのときは面白いともなんとも思わなかったけど、よく考えると不思議ですよね。

テトリスのピースも鏡面の関係にあるのは絶対重ならないですもんね。
1回ひっくり返すと鏡面関係になる。
そうか...上下・左右と言うよりは鏡面関係か。

奥が深いですね。ますます興味が出てきました。

お礼日時:2003/03/08 04:04

中3程度の知識があれば理解できると思うんですけど、


U字磁石のN極を上、S極を下にして、
その間に導線を入れ、電流を手前から向こう側に流す。
その時、導線が力を受けるのでその方向が「左」です。

学術的にこれを使えるのかどうかは分かりません。

この回答への補足

N極とS極って性質に違いがあるのですか?
地球の磁場が逆転したら反対になるのではないでしょうか。
それで右と左がいれかわるようなら定義とはいえませんよね。

数学の自明の公理みたいな感じで定義されていないんですよね。
こういうの個人的にはわくわくしております。

補足日時:2003/03/06 20:59
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