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後ヅケ(歴史的には先ヅケらしいですが)のルールではやったことはありませんが、未だにこのルールが不思議でしょうがありません。
上がったときに役があるのに、何故その経緯まで問題視するのか。ちょっと他のルールとはかなり考え方が違うルールのような気がしています。
どうしてこのようなルールがあるのでしょうか。
また、このルールの醍醐味というか、面白さっていうのは何でしょうか。

確か、東北の方のローカルルールだったと記憶していますが、特にこのルールで打っておられる方からご回答があれば幸いです。

A 回答 (3件)

自分も後ヅケはアリで打つことの方が多いです。


でも、最初は後ヅケありで覚えました。
今でも打つ相手によっては後ヅケナシになることもあります。
どちらのルールでもそれなりに楽しめています。疑問に思ったことはありません。

憶測ですが、後ヅケのルールの発祥は、セオリーに反するからじゃないでしょうか?
後ヅケで待つと、役が無い方のウケが出てもあがれません。
ましてやツモってきたときにはフリテンにしてウケなければいけません。
後ヅケをするのは「手作りとして好ましくない」というところから、伝言ゲームのように
後ヅケをするのは「いけない」というように間違って伝わったとか。

また、後ヅケでアタられると腹立ちますよね?通常アガリより悔しいものです。
「おまえ、これ、こっちでたらあがれないじゃん!なんでこんな待ちにすんだよ!」
というのはよくある光景です。
まぁ、こんなのは一種のヤツアタリですが。
この腹立った人が地方の権力者や大地主、または取引相手のお客さんなどだったら
「今日から、そういうアガりかた禁止!」
という無謀なことを言い出すかもしれません。
こんな起源かもしれませんね。

これらはあくまで私の憶測なんで事実とは違うかもしれませんけど・・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
後ヅケでやっておられる方のご意見が聞けてうれしいです。

後ヅケは必ず「あり」のルールでしかやったことがない者としては、やはりちょっと違和感がありますよね。

>後ヅケのルールの発祥は、セオリーに反するからじゃないでしょうか?
セオリーに反するとは、ちょっと思えないのですが。むしろ、あがれない方がでたら当然にあがれないし、役が付く方がでたらあがれる、というそれだけの気がしてしまいます。ツモってきたときも、そういった手作りなんだから自業自得ですし、そこからフリテンにして受けるか、手を変えるかも戦略ではないかと・・・。

>後ヅケでアタられると腹立ちますよね?通常アガリより悔しいものです。
この感覚も正直言ってわかりません。後ヅケ「なし」のルールでやられている方々ならではの感覚なんでしょうね。うーん、とても不思議な感じ。

いずれにしても、そのような感覚はこのルールでやられている方ならではの感覚だと思います。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/07 12:29

手作りを限定して読みやすくするというのが基本的には目的です。


だから、さらした牌は必ず役に関係していると考えられるなら、
上がり牌は推測しやすくなりますからね...

そのためのルールです。

だから、どこまで許すかもその人たちの裁量になります。
ただそこまで読んで、打つ人たちかどうかはふめいですが....
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
推測ですか?
でも、おっしゃるように、どこまで許すかなんですよね。読みにくいのもまたゲームという気がしちゃいますが・・・。

お礼日時:2003/03/08 01:51

本来、麻雀とは美しいものであり、頭と度胸と運を使って勝負を行うものです。


完先のルールでは、役が確定しているという前提の下で皆が打つということで、他家の手を読むということの正確性やその作業の比重が後ヅケありの場合に比べて上がってきますよね。
ご存知の通り、後ヅケありだと仕掛けが比較的早くなり勝負が単調になる傾向があります。顕著な例だと、オタ風のドラが対子で役牌が1枚あればとりあえずないておくという人たちのなんと多いことか。「絵合わせ」的な麻雀の跋扈の温床となっていると言われても仕方ないのかもしれません。完先の場合は副露した時点で自分の手牌の方向性やヒントを確実に与えてしまう為に、その局を長い目で見た戦略をとることになり、そこに技術や経験が顕れるのが楽しいのです。
また、完先で打っている人たちは自分のツモの流れを前述のケースの様に必然性もなく簡単に変えられことを嫌う人たちが多いと思います。自分のツモこそが誰のものよりも勝っていると思っているからです。
後ヅケありは、初心者から女性、年配の方まで幅広く麻雀が普及することに寄与したことは認めますが、その弊害は私には耐え難いものがあります。
その人がどのような麻雀を打ちたいのか、求めるのかにより当然違ってきますが、お互いが他家の手を読み、麻雀本来の楽しさを堪能するという意味では完先の方が勝っていると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
ご意見をお読みして、まさに後ヅケ「なし」でやっておられる方のご意見だとよくわかりました。
確かに、ドラがあれば、結構簡単に鳴いてしまうのは多いでしょうね。
でも、食いタンも似たような性格のモノのような気もしますけど。

おっしゃるように、読みの正確性が高まるんでしょうし、単調なマージャンが多くなるってのも、そうなんだろうという気がします。
でも、流れについては、逆に硬直的になりすぎる(運の良し悪しに左右されやすい)という気もして、臨機応変に変えられるルールの方が戦術的に広がっていい気がするんですけどね。「マージャン本来の楽しさ」ってのも、私としてはそういった軽い流れの中にありつつ、偶に重い上がり方をするときがある、ってのがいいんですが。

最後は、おっしゃるとおり、どのようなマージャンを打ちたいかによるんでしょうね。
今回はいろいろ教えていただきありがとうございました。

お礼日時:2003/03/08 01:59

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