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漠然としてすいません。
なぜ私たち人間は実物実際でない文字を読み続け、数えることのない数を計算するのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

ロマンだから。


遺跡を見て、実際には決して目にすることができない、いにしえの時代に思いを馳せたり、現実にはありえないものを絵画や彫刻とするのと似ているのではないでしょうか。
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質問を要約すると何故学ぶかということでしょうかね。


野生の動物は本を読むこともないし、計算などしないですね。ただ、日々、お天道様や気候次第、捕食者になるか逃れるか食べ物にありつけるか運次第で生死が決まるだけですね。
これ動物のことではありませんね。人間の歴史でも動物のように同じことをくり返してきたのですね。例えば、治水の知識がなければ旱魃・飢饉、飢饉による野垂れ死になど動物並みですね。
多くの方々が食べ物にも困らず、住む場所にも困らず哲学などができるのは野生の動物と違い学ぶことにより知識を得て、それを利用しているからですね。
ここは哲学カテですから要約するとより多くの方が哲学できるような環境を作るために学びがあるのですね。より高度な自分を創るためにあらゆる学問があるということですね。
例えば、高等数学を使って工学系のかたが電気や電子装置、乗り物をつくることによって一人一人の余暇を増やすことができるのですね。飲み歩くための余暇ではないですよ。勉強するための余暇が増えてるのですね。
逆に。人間が野生の動物にもどりたければ学びを放棄すればいいだけなんですね。
つまり、人間が学ぶ理由は野生の動物になりたくないからでしょうね。
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直立することによって大脳が大きくなり、記憶容量が飛躍的に伸びたために知能の一部としての抽象、想像能力が生じたということではないでしょうか。


これはやはり自然ではありませんね。知能の暴走とでもいうべきものでしょう。有史来様々の弊害も沢山出ています。
しかし、もう停めることはできません。
人間は抽象と想像という彼らだけの沃土、無限大の快楽空間を見てしまったのですから。
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これは、われわれの本能的思考方法によります。


たとえば、「みかん」という言葉を聞いたとき、そこにイメージ記憶としての、「みかんの総体、あるいは理想形」というものを描き出します。そして、このイメージにしたがって人間同士が伝達試合、情報を発展しあって生きているということになります。つまり、実物だけを論じていたのでは、決して人間としての発展はありえないのです。文明は開化しません。原始時代のまま未来永劫続きます。数も同様です。
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おもしろいご質問です。



ズバリ言うと、自己の展開の過程にあるからです。
自分と世界との関係性の中で、実は自分がそうすることで自己に内在する本当の世界を作りこんでいる過程にあるということになります。
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「つきあい」ということではないでしょうか?


時空を越えることができます。
はざまにあることができます。
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非常に面白い疑問だと思います。


答えを知っているわけではありません。
心はどこにあるか などといった疑問にもつながるように思います。
人間がなぜ「言葉」を使う(使える)のか、「言葉」の利点と欠陥
にもつながる疑問だと思います。
考え続けてね。
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記号という概念が使える能力を持っているからじゃないか と。



能力が高い者と低いものの例。
空間把握能力は男の方が勝っているらしいです。
例えば、男の人は車の運転が上手ですよね。
スピード出して、どんどん追い抜いていったりする。
女性の場合、何度も何度も後ろや周りを確認するので、もたもたするわ 縦列駐車は苦手だわ、地図を見るときグルグル回すわ、一日たっても迷路を抜けられないわ。


頭の中で空間を再構築するのが苦手だから。


漢字の多くは象形文字。
自然を記号化しているわけです。
実際山までいって「あれ」って示さなくても記号で相手に「あれ」を伝えられる。
「あれは山」って記号で表すと共通認識を使って記号でやりとりする。


「パリ行きの切符ください」と言うために、パリ行きの切符を持ってきませんよね?
共通了解でそれが何を表す記号か決定している両者の間では、実際のものを目の前に持ってこなくても、意思疎通ができる。


通貨なんてのもそう。
兌換紙幣だった頃、金を持ってこなくても、金の価格と同等ってことで、紙を相手に渡せば、物が買えた。

小切手もそう。
旅行する際に、重いお金を持ち歩かなくても、旅先でサインすれば、物が買える。
信用のある紙だから、通貨として通用している。
信用できない紙だと、札束積み上げないと食べ物買えない。


結局 自分が山と言ったとき、相手の頭に山がイメージされていると信用しているから、「えっとですね 今私が山っていったのは、実はこんなんです」と写真でいちいち現さないわけです。

共通言語じゃない者同士だと、相手の言う記号が意味をなしているとわからないので、言われても脳の中に記号が再構築されない虚像ができない。


こういう脳を人間が持つから、一応地球でのさばっていられるようになったんじゃないか と。
他の動物に比べて、視覚、聴覚、臭覚など あきらかにものすごく劣っていますが、こんな貧弱な生き物が生き延びることができたのは、言語を巧みに操る能力を発達させることに成功したか、もともと素質があったから じゃないか と。


 
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人が、脳の奴隷になってるからです。

言葉や数字は脳の分身、コピーです。人は神の子なので、テレパシーで神と交流してました。だから言葉なんか不要でした。しかし、今は、人は脳に心を支配されてしまってます。この世界は、地球は仏教では仮の世界といってます。つまり、自然と脳がぶつかり交わったらどうなるか?というシュミレーションの世界です。だから自然と脳は対立してるので、脳の科学が自然を破壊しました。今は、脳の分身の言葉が、コピーのパソコンのネットワークで、世界中に広がり、脳が領土を拡大して有頂天になっています。しかし、2012年、人は脳を分離して、神とのテレパシーを復活して、神の世界へ帰ります。
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ううー書きたいこと他の人に書かれてる~~



なのでだぶらないようにと。

言葉、数の概念ー形あるもの、絶対感覚のことだと捉えます。
それをどうしてやるかーー前世などの問題として捉えることもできるんでしょうが、僕はよく分からないので、
とりあえずそれは生きている間の遊び道具、という風な感じかと・・
実際でないものー空想に遊ぶのは、楽しいことですし、僕もよくやります。
問題は、それに依存しないこと、あるいは自分が依存してるのを自覚してること、と思ってます。
最終的に、遊んで感動を得て満足できれば、問題ないかと。
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