質問タイトルはポール・ゴーギャンの絵画に同じです。
ゴーギャン展の開催にあたって、予てより私の胸の片隅で引っ掛かりのあった、意味深なこの言葉について皆さんのご考察を伺います。
【Q-1】 われわれはどこから来たのか?
【Q-2】 われわれは何者か?
【Q-3】 われわれはどこへ行くのか?
【Q-4】 この絵画のご感想をお聞かせ願います
【Q-5】 ゴーギャンがこの絵画にこのタイトルをつけた背景をお教え願います
なお【Q-4】、【Q-5】に関しましては任意にご回答願います。
以上、よろしくお願い致します。
A 回答 (73件中1~10件)
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No.73
- 回答日時:
●リトルキッスさんのご投稿も、ともに吹き飛びました。
パルプティノンには、暗喩が理解できないようです。まあ、リトルキッスさんは鋭いのですが、示唆された内容を一切説明されないので、難解なところはあります。これをお読みになったら、復活していただければうれしいです。↑
Ψ(◎◎)Ψ ゲッ?!えらこっちゃ=☆
【QNo.4692152 芸術(美術)は人の心を表す?】
http://oshiete1.watch.impress.co.jp/qa4692152.html
People say that man thinks with the head, woman with the heart.
リトルキッスさん、ご回答をいただきありがとうございます。
なぜか時々、あなたが本当に存在しているのかどうか、わけがわからなくなります。いろいろと教えていただいたことが飲み込めていないかもしれませんね。
そうですね、「女は子宮で考える」とも言いますね。必ずしも、頭で考えたことが真実に近いとはかぎらず、直観が本質をよく捉えていることは珍しくありませんね。まさにおっしゃるとおりです。
No.72
- 回答日時:
pokoperopo様、おはようございます!
>私には、マシュマロさんの表現がピンと来なかっただけで、マシュマロさんの意を十分に汲んではいませんでした。
でしょう?
わたくしはね、文章の下手さと生来の八方美人的性格が仇となって、ソーカルも真っ青なくらい混迷を極めておりますから。
もうもう、自業自得です。こちらに非があるのですよ。
明晰でないものは哲学にあらず、芸術と学問とを厳然と分けるという理由のもと、『知の欺瞞』におけるナンセンスなテクストは糾弾されてしかるべき、だと本当に思います。 全く相違ありません。
(で、ここから先は≪個人的な興味対象として≫「心理学のこのような生理学的段階にあっては─その段階はすでに始まっているが─細胞、分子、原子、場などを使って記述されるミクロな状態についての定量的な概念や定量的な法則が、ますます重要な役割を果たすようになるだろう。そして究極的には、ミクロ生理学は、ミクロ物理学を基礎とすることができるだろう。究極的に心理学を含むあらゆる科学を、物理学の基礎の上にうちたて、あらゆる理論用語を物理学の理論用語で定義可能にし、あらゆる法則を物理学の諸法則から演繹可能にすることが、果たして可能か、という場合に、可能であるという答えは、”物理主義”のテーゼで言いたてられていることである。(カルナップ)」というような奇異な主張もあるにはあるのだなあ、などと秘かにびっくり仰天する余地くらいは許されるのでしょうね。)
いずれにせよ、難解過ぎて実証も理解も容易でない思想はインテリを惹きつけやすく、その信奉者の中からしかるべき解明が為されなければ単なる≪物語的範疇≫におさまってしまっても仕方ないのです。当然です。
今後は時代を遡って他の哲学思想に触れていきつつも、個人的な趣味として、ポストモダン・ポスト構造主義の瑕疵の由来を楽しむことに致します。
ここにあらためて、この書を御紹介して下さったpokoperopo様に心から感謝申し上げます。
どうもありがとうございます。 元は十分取れましたよ!
>(ホモセクシュアルに関しては)どのようにお考えになるのでしょうか?したがって、私の偏見もしくは謬見ではないと思います。
これも立派な比較文化でフーコの思想にも繋がりますから、パノプティコンの教育的見地から逸脱するものではないかと思います。お願いします。
また「偏見による差別」ではなくとも、わたくしたちはやはり当事者でない限り、ホモセクシュアルに限らず何事も何らかのバイアスに囚われてしまうものではないでしょうかね。
決してあなたに偏見がある、という意図ではなかったのです。
これは本当に信じて下さい。
「フーコのあの発言」に関しましては、当時それを公言させるだけの世知辛い社会的抑圧が相応にあったのだろうと推察したのですが、一方pokoperopo様の彼らの突出した研ぎ澄まされた感覚に対する考察も大変興味深かったです。
イチローと松坂、どちらが気になりますか。
我が家は夫婦揃って松坂です。
>フーコーはかまいませんが、皆が生殖を行われなければ、『われわれは・・』どころじゃないもんね。
んま。
わたくしチラ見しましたのよ。
5歳年上と飲みに行き云々、その一週間前には一回り年下の女性と云々って。
「皆が生殖を行わなければ・・・」なんて、よくまあ、質問をお考えになりますわね、って(笑)
ああ! 二回目の「ここからは辛口になります。」が来そうな予感。
どうかお手柔らかに~♪
この回答への補足
せっかくマシュマロさんにご回答をいただいているので、それにふさわしい切り口に変えましょう。
もし、本拙問を美術カテで質問したら、どのようなご回答が寄せられるのでしょうか?
私は、類型的で凡庸なご回答がほとんどで、参加されるご回答者も少なく、回答数が多くても、マシュマロさんばかりになったような気がします。皆さんが様々な切り口をされるのは、哲学カテならではでしょう。
よろしければお答え願います。お礼はのちほどお送りします。
マシュマロさん、ご回答をいただきありがとうございます。風のいたずらか、テクストが大量に吹き飛び、プロフィールが一時消えていたので、もしや強制仮死状態になられたのではと、気が気ではありませんでした。今のうちに、3号にご転生を図られてもよろしいかと存じます。何らかのワリを食われて、どうやら的にされていらっしゃるようなので、くれぐれもご用心を。私は常に崖っぷちですが。
リトルキッスさんのご投稿も、ともに吹き飛びました。パルプティノンには、暗喩が理解できないようです。まあ、リトルキッスさんは鋭いのですが、示唆された内容を一切説明されないので、難解なところはあります。これをお読みになったら、復活していただければうれしいです。
私も、パルプティノンを刺激したくないので、深いコメントは当面は控えます。よろしければ、美術カテの拙問にも、そろそろ健筆を奮っていただきたいものです。
No.71
- 回答日時:
>マシュマロさんが感情的になっているので、一部に批判的な回答がついたのだと思います。
「わたくしが感情的になっている」ので、「一部に批判的な回答がついた」とpokoperopo様にご指摘を受けた以上は、該当者の方に対して真摯に対し、改めて自らの非を詫びたいと切に願っております。
ですので、大変恐縮かつ厚かましいお願いではありますが、なにとぞできるだけ具体的な該当箇所のご指摘をよろしくお願い申し上げます。
自らのあまりの愚鈍さにホトホト嫌気がさしております。
>ここからは辛口になります。そろそろ、芸術と科学を分けてお考えになってください。実利がないものにも価値はあります。それに実利性を持たせようとすると、その価値すら失われます。簡単な逆説ですから、やはりご自身が認めたくないのだと思います。
先の質問「知の欺瞞」におけるポイントを差し上げた結果同様、わたくしはchototu様のご主張に大いに賛同致しますし、mmky様の読み手側の一筋の真理を究める真摯な態度にも心より共感を得ました。
その上で、「芸術と科学を分けて考える場合」と「芸術と科学を分けて考えない場合があるとすればいかなる場合があるのか、その背景としての文化的土壌があるとすればどのようなものか」に関心が向いているだけに過ぎません。
これをpokoperopo様をはじめとする方々が「マシュマロは認めたくないのだろう。」とお考えになるところのように推察致しております。
わたくしはあくまでも「傍観者的立場」のつもりでおります。
今は自らの信条以前に、世の中にはいかなる思想哲学が存在し、どのような形成過程から生じてきたのか独学中です。
ですが、何やらわたくしの態度が曖昧でそこを訝しがるご意見があるとするならば、もしくはそうみなされないとするのであれば、かねてより懸案の拙文の拙さ以外の何物でもありません。
そしてこれが「一片の真理の希求にあらず」というのであれば、更なる厳しいご指導を是非ともお願い申し上げます。
>ユートピア的な仮定(批判ではない分類です)ではなく、生物学的な帰結を問うているのです。ジェンダーとは無関係です。すべての男性が、女性とのセックスを拒んだら、この世はどうなるのでしょうか?
あらゆる社会システムの機能がマヒしてしまうかもしれません。
男女の性差に基づく全ての価値観が根本的に覆されるわけですから、現実的なライフスタイルはもとより、宗教哲学の思想によっては、根本的に見直されるものも出てくることでしょう。
余談をお許し下さいませ。
わたくしはかつて「質疑以上」の論戦まがいの回答をして周囲から大いに顰蹙を買った経験があり、この轍を踏まない覚悟でおります。
恐らく別サイトからのストーカーもその名残ですし、それはひとえにわたくしの不徳の致すところに他ならないので甘んじて受けないといけないと考えているのです。
ですので、今のわたくしは一定以上の対話以上のものに対し、これを最大限に避ける傾向にありますし、出来得る限りあらゆる多様な価値観と考えの存在を認めていきたいと願っております(程度問題ではありますが)。
この点につきまして、なにとぞご容赦いただけましたら、この上なく幸いに存じます。
本当にpokoperopo様ないし該当者の方々におかれましては失礼なことを致しました。
大変申し訳ありません。
この回答への補足
ホモセクシャルについて申し上げます。すべての男性がホモセクシャルである場合、どのような社会的な混乱があるかはわかりません。最終的には生殖が行われなくなるため、その代で人類は絶滅します。難しくないでしょ?これについては、どのようにお考えになるのでしょうか?したがって、私の偏見もしくは謬見ではないと思います。フーコーはかまいませんが、皆が生殖を行われなければ、『われわれは・・』どころじゃないもんね。よろしければお答え願います。心よりお待ちしておりまーす。
補足日時:2009/07/07 14:43マシュマロさん、ご回答をいただきありがとうございます。
誰が連絡したのか、こんなふうになってしまいましたが、パルプティノンに嘆願をしましたので、お休みになられているのなら、お気が向かれたときに再回答をお願いします。質疑応答の主な責任は、質問者である私にありますから、何とぞおゆるしください。
私には、マシュマロさんの表現がピンと来なかっただけで、マシュマロさんの意を十分に汲んではいませんでした。深くお詫び申し上げます。
私も気をつけますので、よろしければ今後ともご投稿を願います。
No.70
- 回答日時:
pokoperopo様、いつもお付き合いくださりまして、本当にありがとうございます。
明日はお仕事なので、今のうちに。
>あの例えですが、ポストモダニストたちの哲学と数学の"melange"と似て非なるごった煮に、ソーカルが火を点け"flamber"たと言いたかったのですよ。
>フランス現代思想は重要ですので、これを軽視するものではありません。
んま。何て完璧で美味しい言い回しなのでしょう!
これは「知の欺瞞」どころか、これは「読み手の怠慢」以外の何物でもありません、大変失礼致しました。
ソーカル達の主張を見事に表現なさっていらっしゃいますね。
真面目にpokoperopo様に弟子入りしようかしら^^
フランス現代思想は重要、もしくは軽視するものではないのですか?
どうなのでしょうね、わたくしはこれに対しては「重要」とか「軽視」とかといった価値判断を置いていないのです。
いずれは栄枯盛衰の必定でサルトルのような運命を辿るのかもしれません。
さて以下の長文ですが、「ホモセクシュアルつながり」ということで、どうかご勘弁を。ちょっとご一読下さいますようお願い申し上げます。
「しかし、実を言えば、この小論の趣旨は、「未来」「人類」「普遍」といった大文字の観念の安易な援用に戦後の折口の言説の衰弱の兆候を見た上で、それと対照をなす「民族史観における他界観念」の、ほとんど彼の遺言とさえ言える周密な論述とともに最晩年の折口が辛うじて「持ち直した」などといった、予定調和な物語を提出するところにあるわけではない。われわれはむしろ、逡巡に満ちた右往左往の挙句の果て、「未来詩語・未来文体」などというわけのわからぬことを持ち出すに至るこのやや”すかすかの”折口の文章を、それ自体、文学現象としてきわめて面白いものと考えるものである。「新国学」の泰斗が外国語の翻訳文体に「未来詩語」の夢を託すなどといきなり言い出したとき、そこにはたとえば志賀直哉の「フランス語国語採用論」にも似た奇怪な錯乱が感知されるかのようであるが、大上段に構えた「当為」と過剰に生真面目な「予言」を無理やり重ね合わせた折口の論述には、志賀のあっけらかんとした放言の爽快さも無根拠な自身もなく、むしろこの時期の折口の心弱りが透けて見えるばかりだ。・・・・
・・・・だが、戦後の一時期に書かれた、ないし語られたこれらのテクスト群を、地的巨人の低迷期の一挿話へと貶めて事足れりとするのではなく、それらが浸り込んでいるこの弱弱しさを、たとえば「ポストモダン」的な言説携帯の模索と捉えてみたらどうだろうか。 彼がここで想像している「未来」とは、いずれ訪れる現実のことではなく、「裸虫」である自分を救ってくれるものへのあてどない呼びかけにすぎない。・・・・
・・・・歴史の終わりの彼岸に想定されるにふさわしい「未来」「人類」「普遍」といった「ポストモダン」的諸観念が、折口にとっても誰にとっても新たな「殻」として機能し得ないのは言わずもがなのことであり、彼自身にもそれはよくわかっていたに違いない。しかし彼が選んだのは、とりあえずそうしたフェイクでしかない観念をちりばめた冗漫な文章を綴りつつ、この時期を何とか曖昧にやり過ごそうとする途だった。ところで「ポストモダン」とはまさに、確信の不在と猶予状態の引き延ばしによって定義される言説形態と、それが孕んでいる奸計のことではなかったか。露出した歴史的現実を前に自分をますます無力な新生児のように感じた折口は、図らずもそうした「ポストモダン」的言説の中に入ってゆく。勝利はなくても少なくとも決して負けることだけはないといったそうした空虚な言説を実践することで、彼は「裸虫」の状態のままとりあえず過渡期をしのごうとしたのだろうか。」『折口信夫論』松浦寿輝 ちくま学芸文庫(p227-230)
「ポストモダン」が【奸計】という語彙と共に、絶妙に≪用いられている≫大変ユニークな考察だと思うのですが、いかがでしょうか。
わたくしの立場としましては、ソーカル達の主張は至極当然で非難は一考に値すれど、単にそれまでに過ぎない、と思っているのです。
つまり、「事件の本質」として何を見出すか、ではないでしょうか。
難ありやナンセンスな眉唾テクストの非を糾弾して全て無意味なものとみなす考えももちろんあるでしょうが、短所を充分認め本質的な真理を見出そうとする努力の姿勢をもってすれば、まだまだ「使える」ように思えるのです。
マグリットの絵画論もそれほど悪くはないでしょう?
この「真理を見出そうとする努力の姿勢」はね、「知の欺瞞」の質問で頂戴した得難いものの一つなのです!
>フランスは、私のイメージではとんがりすぎなのです。何かしら新機軸を打ち出さないと気が済まない。その定義を曖昧にすることを許さない、論理性を重んじる文化と重なって、狭義性に固執しているような気がするのです。
はい、概して何気にうんちく好きではありますよね、そこの頑固なこだわりがおっしゃるところの「狭義性に固執」しているように映ることがあるのかもしれませんし。
>霊を信じることと、心霊現象を恰も客観的事実として取り上げるのは、話が違うでしょう。
はい、そうですね。
もしよろしければかなり薄っぺらいので『近代科学を超えて』村上陽一郎 講談社学術文庫 を推薦してもよろしいでしょうか。
一意的法則によって、時間・空間のなかに事象を記述する現代科学の抱えるある種の飽和状態を解くカギとはいったい何でしょう?という内容です。
夏休みにご推薦いただいた小説をゆるゆると読ませていただきますね。
あと、ゴーギャンのコメントは美術カテの方へ書かせていただきます。
もう少々お待ち下さいませ~zzz
マシュマロさん、ご回答をいただきありがとうございます。
村上陽一郎はなぜか読んでいませんでした。科学オンチが避けていたのだと思います。ご推薦をありがとうございます。皆さんに多くの本(他の拙問と合わせると数十冊)を、お薦めいただいているので、早いところ消化してまいります。
ここからは辛口になります。そろそろ、芸術と科学を分けてお考えになってください。実利がないものにも価値はあります。それに実利性を持たせようとすると、その価値すら失われます。簡単な逆説ですから、やはりご自身が認めたくないのだと思います。マシュマロさんが感情的になっているので、一部に批判的な回答がついたのだと思います。私がポストモダニストであれば、ソーカルの告訴を考え、それもままならなかったら首を吊るでしょう。それくらい惨いプライドを傷つける批判です。しかし、それとこれとは関係がないのです。私には、猪突さんのような学術的な説明や、適切な抽象表現ができませんから、作話的な例示をします。
概ね水平な巨大なオブジェが、街のシンボルとして好評を博していたとします。しかし、その作者が「これは椅子としての機能に価値がある」と説明します。そうなれば、市民はそこに腰掛けて価値を確かめようとします。しかし、その作者は「これは象徴にすぎないから腰掛けてはならない」と待ったをかけます。それを聞いた市会議員が「そのようなご説明をなさるなら、作品の椅子としての機能を検証した上で、高機能のベンチの設置ならびに作品の撤去を諮問いたします」と宣言しました。撤去とはならなかったものの、作品の評価はガタ落ちです。さて、この議員はえげつないでしょうか?
最初からオブジェとしての芸術性のみを語っていれば、このような問題は起きなかったのです。機能性が求められるのはベンチです。オブジェに権威づけをしようと、機能性を持ち出すことが《ナンセンス》なのです。オブジェにはオブジェとしての価値しかなければ、オブジェたりえません。その作者は、余計な説明で墓穴を掘ったのです。ポストモダニズムにオブジェのメタファを用いるのは、あながち的外れだとは思いません。よく原題を思い出してください。これがあまねく見受けられたなら《ファッション》です。
とはいえ、フランス原題思想再評価の気運が高まらないとも限りません。これを機に勉強します。
No.69
- 回答日時:
急ぎ訂正致します。
ゴーギャン展は、上野ではありません。
正しくは、竹橋にある東京国立近代美術館です。ごめんなさい。
>彼らの援用する数式が、空疎なことが問題なのです。数式によってそれらしく見せようとするトリックです。
これにつきましては、ちょっとお時間を頂けますでしょうか。
元来、占いやオカルト、超常現象、などいわゆる「似非科学」の類には興味が皆無であっただけに(つまり愚鈍)、逆にひっかかるところがあるのです。
また現在の量子力学をどうみなすかにもよるのかもしれません。
「単なる数式による難解さによる誇張、虚勢、空疎でしかなかったのかどうか」といったあたりは、いずれにしても「表舞台」には出てきそうもないですし、こちらのカテで賛同もとれそうもないですね。
心理学の類は本当に訳わからないから避けたいのですが、やはりバタイユの元妻繋がりでラカンを調べてみるべきか。う~ん。
それにもっと他の思想哲学も知りたいから、いつまでもこのあたりにいるのも何だか…。
>ホモセクシャルの強制により、人類滅亡を目論む大悪党と敬遠していた(貴族のくせに)のですが、
お言葉ではありますが、ゲイの外国人と長らく友人だったことがあります。
彼は元々NYC在住で(今はどうだか)、嗜好の許容度もあるし、女性としても相談する分にはなかなかに信頼できる誠実な男性でした。
ですから大真面目に偏見はないのです。
でもだからといってpokoperopo様を非難してるわけではありません。
>『これはパイプではない』哲学書房
>ルネ・マグリットの作品を題材に、『言葉と物』にも繋がる、言説と表象について述べています。
はい、マネに関する考察よりはよろしいのかもしれませんね。
といいますか、わたくしは別にフーコの応援団長を名乗り出ているわけでも何でもありませぬ。
そうそう、「『アナロジーの罠 フランス現代思想批判』ジャック・ブーヴレス」こそ、pokoperopo様を是非見習って、図書館で借りたいと思っております。
内容は似ているのでしょうか。
ところで、近所の古本屋さんで旧いゴーギャンの本を安価でもとめたのですが、そこに「われわれは~」に関するゴーギャン自身のコメントが記してあるのです。
ご興味がもしおありでしたら、次回にでも書き込みますがいかがでしょうか。
この回答への補足
フーコー本人が、ホモセクシャルであることは問題にしていません。私は、ホモセクシャルに偏見を持つわけでもありません。お知り合いのように、素敵な方もいらっしゃるでしょう。フーコーは「男は皆、ホモセクシャルであるべき」と発言しています。もし、世の男性がすべてホモセクシャルであるなら、どうなるのでしょうか?よろしければお答え願います。
補足日時:2009/07/05 14:11マシュマロさん、ご回答をいただきありがとうございます。東京国立近代美術館は、上野ではなくて竹橋なのですね。名古屋人なもので知りませんでした。わざわざ教えていただきありがとうございます。
あの例えですが、ポストモダニストたちの哲学と数学の"melange"と似て非なるごった煮に、ソーカルが火を点け"flamber"たと言いたかったのですよ。回りくどいメタファは、やはり忌むべきものですね。フランス語はよく知らないので、変な例えとなりました。これも『「知」の欺瞞』ですね。
私は、数学は苦手ですから、もし指摘がなければ、うっかり信じてしまいます。似非科学は、マニアがいてトンデモなくすごいんですよ。まあ、その中から真贋がはっきりすればよいのですがね。霊を信じることと、心霊現象を恰も客観的事実として取り上げるのは、話が違うでしょう。アメリカ人は、宇宙人が地球に潜伏していると考える人も少なくないそうですから、サブリミナル効果を検証するとか、副次的な意味合いは否定できませんけどね。
フランスは、私のイメージではとんがりすぎなのです。何かしら新機軸を打ち出さないと気が済まない。その定義を曖昧にすることを許さない、論理性を重んじる文化と重なって、狭義性に固執しているような気がするのです。この点において、誤った認識はご教示賜りたく存じます。もちろん、フランス現代思想は重要ですので、これを軽視するものではありません。
ゴーギャン展で、ゴーギャン自身による、絵の解説を読みました。マシュマロさんのおっしゃるものとは、違っているかもしれないので、是非ともご紹介ください。『ノアノア』を読み終えたら、感想をお話しします。風邪は治り際が肝心です。ご無理をなさらぬようご自愛ください。
No.68
- 回答日時:
こんばんは、pokoperopoさん。
●血の海ってやつはいかがですか?あっ、まずいですね。しかし、人間の体はほとんど水分でできていますね。涙が海になるほどにないたことはありますか?よろしければお答え願います。
【水】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4
【水部】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%83%A8
【サンズイ】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9A%E8%81%B7% …
『桃色吐息』
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/momoiro_t …
流れ出たお金の行方~通貨発行権
この回答への補足
私もおかねには泣いています。ところで、次の選挙はどうなるのでしょうか?われわれはどこへ行くのか?ってとこですね。よろしければお答え願います。
補足日時:2009/07/01 13:10リトルキッスさん、ご回答をいただきありがとうございます。お返事が遅れて申し訳ありません。
おかねは涙なくして語れませんね。高橋真理子、懐かしいですね。『ごめんね・・』♪消えない過ちを言い訳する前に、あなたに・・。なぜか懐メロ大会になりますね。これも、われわれは昭和から来たからかもしれませんね。
No.67
- 回答日時:
早速のご連絡、ありがとうございます。
ご確認いただきたく思いまして、念の書かせて戴きます。『真っ向から神の存在を否定されているわけでもなく』につきまして。
神であれ絶対的存在であれ、現状ではその存在について否定も肯定もできないため、否定も肯定も現状ではしていないだけです。いずれ興味を持った人が立証されるでしょうが、私は興味はありません。
この質問にかかわった理由ですが、「未だ存在が証明されていない神(絶対者)の存在を、既に証明されたかの如く偽って(乱暴な表現で申し訳ありません)入信を勧める方が確かにおられますので、勧誘を受けた方がたとえ入信されるとしても、神(絶対者)の存在というものは未証明で仮定の存在であることを納得された上にしていただくことが、神(絶対者)の存在を信ずる方たちにとっても長期的にはプラスであると思います。それは、そのような立場の方の中から、きっと神(絶対者)の存在を探求する方が現れると思うからです。神(絶対者)の存在を信じない方から、神(絶対者)の存在を探求する方が現れるとは思えませんから。
pokoperopo様の質問が、どのような意図のもとに発せられたのかはわかりませんでしたが、神(絶対者)の存在というものは未証明で仮定の存在であることだけは納得いていただいたほうがよいという、おせっかい心から、ついいいらぬ関与をしてしまっただけですので、ご理解ください。
『われわれは、どこかの宇宙的物質が地球に居着いて、進化したのかもしれないと思うことがあります。時の始まりがわからないことには、この話も難しいのですが、この地球に生命が生まれたのは、なぜでしょうか?どうしてそういう環境になったのでしょうか?こうしたお膳立てがあっての人間の誕生があり、ここから始めましょう。別の切り口からでもかまいません。ご自由にお考えをおっしゃってください。』につきまして。
『人間は何のために存在するのか。』ですが、私の浅薄な考え方では、生命の存在は宇宙におけるごくありふれて出来事であり、地球以外に多くの生命体がいると考えており、生命の誕生に目的はないと考えておりますし、そこに『神(絶対者)の存在』を必要としない解を求めております。ですから、個人の存在意義は各個人で見つけるものと考えております(このようなおせっかいも、私が私の存在意義の一つとして、個人的に思い込んだものの一つです)。
しかし、これはすでに科学的証明の範囲を逸脱しており、現状との整合性がとれる範囲であるならば許される推論・仮定の一つです。
そして、pokoperopo様がおっしゃる通り、『形而上的な追求』も、現状との整合性がとれる範囲であるならば許される『推論・仮定の一つ』です。ただし、必要であるかどうかは各個人の立場によると思います。
人間の存在理由についての対話につきましては、『結果が得られない未証明な命題を持ち出してお互いに推論を提示し合うことに時間を費やすよりも、未証明な命題を証明することに時間を使うことを選びます。』ので、人間の存在理由について『神(絶対者)の存在』を必要とされる方は、私のような変人を相手に対話をされる事を選ぶよりも、まず、是非その立証に邁進していただきたいと思います。『神(絶対者)の存在』が立証されますれば、なによりも信者の方々に、盤石な信仰の土台を与えることができると思います。そして、めでたくも立証されました暁には、私もぜひ対話する事すらなく入信させていただきたく存じます。繰り返しますが、『神(絶対者)の存在』の立証に邁進してください。これは、pokoperopo様のような立場の方々にしか、決して成しえないことですので。
pokoperopo様におかれましては、私の考え方を御理解いただけたと思いましたうえで、pokoperopo様の『神(絶対者)の存在』の立証へのご活躍を、改めて応援させていただきたいと存じます。
ご回答をいただきありがとうございます。
様々な角度からのご回答が寄せられています。ゴーギャンの絵画について、彼を取り巻く環境について、形而上学的、科学的、文学的、人文学的、ありとあらゆるご考察です。あなたのご回答を含めて、すべて質問趣旨に概ね沿ったものですから、どうかお気になさらないでください。
理科の授業に臨むに当たって、信仰を捨てる必要はありませんが、その解に「神の為せる業」と書いたら落第します。要は、主題から外れて、論旨をはぐらかすために、別物を持ち出すのがいけない、これは逃げである考えます。あなたのおっしゃるような、証明不能な神を持ち出して、これぞ神の証明と事象を指す。これでは、話はそこで終わりますね。
ですから、私は宗教の勧誘などとは無縁ですから、どうか気兼ねなく、拙問を目に留められた当初の、ご興味をお好きなようにお話ください。私もいろいろと教わりたいのです。よろしくお願いいたします。
No.66
- 回答日時:
pokoperopo様、こんにちは!
海(海水、水)といえば、「Earth Wind & Fire」の土、風(空気)、火のエレメントと共に古代以来の哲学命題であり、かつ「われわれは~」の背景的モチーフとしても不可欠です。
ある種の「原風景」の所以なのか、この絵画に関しては特に、鑑賞していくほどに不思議な魅力を増していくように思えます。
>ゴーギャンは写実は苦手なのでしょうかね?
はい、ピカソなどとは異なり彼が一貫してストイックなまでに究めた手法、つまり奇抜で独創的な原色の使用や伝統的絵画構図からの逸脱・誇張といった箇所に着眼するかぎりにおいて、ゴーギャンは「写実は苦手」とのイメージが拭えないのだと思われます。
目指すところのものが違っていたとしか言いようがないのでは。
>キリコの『ヘクトールとアンドロマケの別れ』
これですね。
http://wahooart.com/A55A04/w.nsf/Opra/BRUE-5ZKCF …
黄色い地平線、光源と陰影、高さの測り知れない茶色の物体、二体のプロポーションのアンバランスな点による「不安の喚起」もさることながら。
二体の「足の部分」だけが実に写実的であり、妙な人間臭を醸し出すその「華奢さ、不完全さ」が、当時台頭しつつあった前衛的な機械的未来志向への反逆精神を暗喩しているように映ります。
人間の脆さや哀切を帯びたアンドロイド、ってところでしょうか。
pokoperopo様はどのようにお考えになられますでしょうか??
Victoria Albert@LDNのセルフなランチ・ルームとして使用されている大変美しいモリスの部屋があります。
何てことはないカジュアルなパンとコーヒーもこちらの部屋でいただくと、何とも不思議な気分というか…つまり、食べた心地がしません(笑)
http://www.vam.ac.uk/images/image/21677-popup.html
この回答への補足
どちらも好きですが、私はEW&Fの中では、'fantasy'が一番好きですね。それはそうと、“BRIAN ENO/THURSDAY AFTERNOON”は、もうお聴きになりましたでしょうか?創作活動にはもってこいのBGMであると思います。好き嫌いが分かれそうなだけに、マシュマロさん向けでしょう。もし、お聴きになりましたら、ぜひご感想をお聞かせ願います。
補足日時:2009/06/10 19:41マシュマロさん、ご回答いただきありがとうございます。いつも励ましをいただいて、照れるやらうれしいやらで、何と言ったらよいのかわかりません。
愛車のフィアットで海まで走るのも、時期的には季節はずれが好きなのですが、梅雨に入った今は、雨上がりなどがよさそうですね。主にボサノヴァを聴きながら、クルマを走らせるのですが、30分もしないうちに帰ってしまいます。
子供の頃、ミロのドヘタな絵を観て、なんぢゃこれと思ったのですが、中学の時にピカソの写実画を観て、ミロもピカソも何らかの意図があって、あんな絵を描くのだとわかって以来、考え方が変わりました。敢えてアンバランスさを強調した絵や、抽象画からもデッサン力は推し量れるのでしょうか?ゴーギャンはキャリアも浅いので、その点はイマイチではなかったかと、勝手に推測しています。
キリコは、敢えて風景や顔面を描かないことにより、観る者を試しますね。影の長さも不自然、二対の釣り合いもとれていないことから、ヘクトールとアンドロマケーの想いのすれ違いや、男女の相反する事象への対処が伺えます。のっぺらぼうは無個性化を推進する現代社会へのひはんでしょうか?しかし、キリコが自らの作品を否定的に語ったこと、そのシリーズは何作もあり、意図的に創作年を偽ったことからして、詳しいことは謎のままです。
モリスは社会主義者としても有名ですね。彼はイギリスの中産階級の文化を押し上げ、階級社会の大仰性から離れさせたことは評価できますね。当時は、その社会状況からも、脳天気な社会主義思想が流行っていましたが、彼をファンタジー作家、生活芸術家と捉えれば、生産効率を追求する社会に疲れたときは、程よい癒しとなりますね。
イギリスは飯はまずいといいますが、紅茶とウヰスキーのこだわりは相当なものです。私は、バーでシングルモルトウヰスキーをストレートで飲むのが好きです。マシュマロさんには、紅茶とクロワッサンがよく似合いそうですね。私には、そんなふうに感じられます。
No.65
- 回答日時:
長い間お返事いたしませんで、申し訳ありませんでした。
この相談室は、回答に必要な自分のブログのURLすら、個人特定可能情報として処理され、その情報だけでなくその情報を含むすべてを、何の相談・確認も無く削除してしまいますので、あまり覗くことがなくなってしまいました。ところで、純然たる私的考察でも可とのことですのでお答えします。人間存在の一般化・普遍化の流れについて
昔々、人間は宇宙の中心的存在だった。観察結果から導き出された、科学的な考察です。何しろどう見たって、止まっている自分達(地球)の周りを、空の世界が回っているように見えるのですから。この科学的考察に基づいて出来上がったのが天動説ですね。
そして、この考え方は、仮想の神を頂点とする自らが属するヒエラルキーの構築・擁護をする立場の人々に、実に都合のよい根拠を与えてくれ、より神に近い人物への無条件の尊敬・服従を得ることができることになるわけです。
長い間、天動説以上に空(天体)の動きをよりよく説明できる考え方は表れませんでした。いえ、あったのかもしれません。しかし、たとえあったとしても「異端」とされ、歴史に残ることさえ許されなかったでしょう。
人間解放ともいわれるルネッサンスの頃、天動説に比較しうる地動説が現れます。人間の精神的自由を求めるうねりの中で、やっと歴史的存在を認められたのかもしれません。
しかし、それでも天動説のほうが優勢でした。天動説のほうが観察結果から導き出される惑星の位置の予測をより良く説明できたからです。
その後、望遠鏡などの観測装置が発達し、その精度を上げていく中で、例えばガリレオ衛星の発見によって、地球を中心としない天体の存在があることが知られ、天動説の根拠が崩れるなど、徐々に地動説が認められていくことになります。
さらに人類の知識は広がり、今では私たちの地球を含む太陽系は、さしわたし約10万光年とされる天の川銀河の中で、その中心から約3万光年ほど離れたオリオンの腕にある、辺境の一恒星系にすぎないことがわかってきました。
この時点で言えることは、少なくとも人間(人類)も地球も太陽も、何ら特別な存在ではなく、ごく一般的な存在なのではないか?ということです。なにしろ、太陽系を含む銀河系すら宇宙の中心ではなさそうだということになってますから。
さらに、私たちの宇宙が生まれたビッグバン宇宙の外側には、別のビッグバン宇宙があるのではないのか?などと、SFのテーマにすらならないことを私は考えています。10年以上前に雑誌「ニュートン」のとじ込みはがきに書いたことがありますが、届いたかどうか不明です。私の宇宙は広大ですので。
このように、人間の存在は、特別なものからありふれたものになってきたと思われるのですが、ここまできて人類・地球の存在の特別性を提唱するのには、かなりの無理があると思います。それこそ「神の存在」が必要でしょう。
さて、われわれは微生物と同じく、何らかの要因があって存在するわけですが、これも、神の存在同様何も証明されてません。
どうも宇宙には均質化に向かう傾向があるらしく、いずれは星も生命も存在しないことのなるそうです。
ということは、完全な均質化の前は不均質ということでは? どうもこのあたりに物質の集積原因があり、均質化への対抗現象として、進化というものがありそうです。
しかし、人間だけが、この質問主題のような問い掛けをする知性を得たのはなぜか?
人間という知的生命体の存在を、私たちが存在する宇宙の中で、唯一無二のものとする考え方からすると、なぜ私たちだけが?となるのでしょうが、知的生命体がありふれた存在であると考えるならば、宇宙の進化の中でのごく普通の出来事で、私としては不確定性や揺らぎなどに答えを求めたくなります。
封印された『「地球が存在するのが、神のいる証拠」と言ってしまいたくなることがあります。しかし、この言辞は有神論者間でしか通じず』なのですが、それまで神の存在の考察を行ったことがないような人たちに、「地球が存在するのが、神のいる証拠」論を突き付けている方をTVで見たことがあります。有神論者の方たちにとっても立場を悪くすることになるのでは?などと心配しております。
わからない事(物)に何らかの解釈を求めることには大賛成ですが、証明もされないうちに、その解釈が既定の事実でもあるかのようにされることには反対です。
「今はまだ分からない」。とても魅力的な言葉だと思いませんか? 未知の世界が私たちを待っているのですから。
削除対策で私のブログに転載させていただきます。
この回答への補足
人間という存在は、その営みにおいて、知的な問い掛けをします。われわれは、どうして存在するのでしょうか?それは、何の意味もない偶然の出来事なのでしょうか?あるいは、『利己的遺伝子』の為せる業なのでしょうか?よろしければお答え願います。
補足日時:2009/06/10 17:14ご回答いただきありがとうございます。お久しぶりというほどでもありませんが、ご回答を見つけたときは、うれしく思いました。いろいろご事情もおありでしょうから、いつでもお好きなときにお寄りください。
それにしても、いろいろと深くお考えになっていますね。天動説から地動説へ、地球は太陽を中心に回る惑星にすぎないこと、太陽系は銀河系の一部にすぎず、銀河系もまた、宇宙の一部にすぎず、われわれは中心世界に住んでいるわけではないことが解明されました。そもそもが、われわれが宇宙の中心でないからといって、何の問題もありません。ここにも人間の傲慢さがありますが、われわれの存在原因が科学で解明できない以上、形而上的な追求は必要であると考えます。
もちろん、これは神がどうのという話ではありませんし、皆さんがおっしゃる神とは、絶対的存在と置き換えていただければ、さほど気にならないと思います。あなたは、真っ向から神の存在を否定されているわけでもなく、違うお考えの方にも十分な配慮をされたうえでのご発言ですので、どうか率直なご意見をおっしゃってください。あなたのお申し出は、天文学的、物理学的、生物学的、地学的、形而上学的、社会学的、さまざまな見地からの対話を促進する、絶好の契機だと思います。大いに仮説を楽しみましょう。
われわれは、どこかの宇宙的物質が地球に居着いて、進化したのかもしれないと思うことがあります。時の始まりがわからないことには、この話も難しいのですが、この地球に生命が生まれたのは、なぜでしょうか?どうしてそういう環境になったのでしょうか?こうしたお膳立てがあっての人間の誕生があり、人間は何のために存在するのか。ここから始めましょう。別の切り口からでもかまいません。ご自由にお考えをおっしゃってください。
あなたのブログが拝見できないのは残念ですが、いつかは拝見できることを願います。しばらくは、ここでおつきあい願えればうれしく思います。
No.64
- 回答日時:
No.64を受け継ぎます。
★ (No.64お礼欄)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「まあ、いいや」と言われては、「ああ、そうか」と言う他にはありません。◆ 私には信仰がないのですから、キリスト者ではありません。・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 記号(◆)の前と後とは 文章(つまりご判断=意志表示)が切れています。そう受け取りました。
わたしは
★ 「まあ、いいや」
☆ というように 可能性がなおあるかも知れないと匂わす表現ではなく
☆☆ 〔敵対的な言い草を意図してはいませんが そう取られても〕 もういいや
☆ と――もしその節には――最後のことばとして 言ったのですが もうそれはどうでもよいですから 記号(◆)の前のご発言を受けて 投稿をすべてあきらめました。では。
ご回答いただきありがとうございます。私の言葉で誤解を招いてしまって申し訳ありません。私としましては、反論もできないということです。その資格もないように思われますので。私に非があることですから、どうかお気を悪くなさらないでください。
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