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本の正しい、悪い読み方はあるんですか?友人に、本を読むとき全てに批判的な目でもって本を読むことが正しい、私の本の読み方は間違っている、と言われました。著者の意見と同じ考え方でも、その本を読むことでいろんな視点から物事を捉えることができるようになることもあるし、またその人を尊敬しているから読むことがあります。が、それがダメなんでしょうか?私達はメディアに対しては批判的な目で見ることは必要と言われてきました。ただ、何事に対しても批判的な目で見ることが果たして、良いのでしょうか?全てに対して疑うことが、相手の意見に対して疑うことが。そのことで友達と言い合いになりました。どちらも意見を譲らないので、終わらないままです。

A 回答 (7件)

こんにちは。



他の回答者さまと同じ意見もありますが、私の場合ということで、主に批判読書について回答します。
批判的に読むか読まないか、これは本の種類によります。
もちろん、楽しむ読み方、著者の考えを尊敬して血肉にしていくというのもあります。ですから私は、本を読む際は「その種類や目的」によって読み方を変えています。

「批判的な目でもって本を読むこと」これは複眼的な見方や考え方をするということで、要するに「読書によって考える力(見極める力)を養う」ということです。
批判は文字通り否定とは違います。根拠は何か、その情報が正しいか正しくないかを検討するということです。
もう少し言うと、書いてあることを頭から鵜呑みにしない、例え尊敬する人でも間違いはあるのだから、という意味合いです。受け入れる前にその信憑性・他の可能性などを多角的に見極めるわけです。(※なぜ尊敬する人でも鵜呑みにしない必要があるのかについて:別記1)

>何事に対しても批判的な目で見ることが果たして、良いのでしょうか?全てに対して疑うことが、相手の意見に対して疑うことが。

質問者さまが疑問に思っているこの疑うということについては、色々な情報が氾濫している現代ではとても大事なことだと私は思います。
というのは、自分が認識している世界が正しいとは限らないからです。(※自分が認識している世界が正しいとは限らないことについて:別記1)
信じていたものや価値のあると信じられていたことなど、突然世界がひっくり返ってしまうような先行き不透明なこの時代、また色々な情報が氾濫しているのですから、多角的に物事を見極めて選択していくことは大事です。それも自分自身の力で。
そんな現代人に必要な能力「考える力(見極める力)」「選択する力」を養うには、読書はもってこいの具体的な訓練になります。

このように批判読書は、冷静で客観的な視点を身につける訓練です。なので批判読書は悪いことだとは思っていません。著者の意見を頭から否定するのではないのだから。まずは検討し、そして熟考した後、やっぱり著者の意見に賛成するという選択肢もあります。ここが頭から否定するという意味合いとは違うところです。
著者に考える機会を与えてもらっているのだし、批判読書をすることが本をないがしろにしている行為とは違うと思いますよ。

このように、私は本の種類や、この本を読むことによって何を知りたいか何をしたいかという目的によって色々と読み方を変えています。
どちらが正しい正しくないというのは極端な二分化です。なので、どちらの読み方が正しいというのは、他の回答者さまもおっしゃるとおり、ないと思います。

※ 機会があれば図書館でとうぞ ※

(別記:1)なぜ鵜呑みにしない必要があるのか、自分の認識している世界とはどういうものかについては、苫米地英人氏の『脳と心の洗い方 「なりたい自分」になれるプライミングの技術』の中での話、「chapter1と2」が詳しくて分かりやすいです。洗脳という切り口で書かれています。他は読まなくてもいいので、この部分だけでも機会があればどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/%E8%84%B3%E3%81%A8%E5%BF …

(別記:2)本の読み方については『本を読む本』が名著で、とても参考になります。批判読書のやり方も詳しいです。
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC%E3%82%92%E8%AA …

(別記:3)なぜ多角的なモノの見方・考えかたが必要なのか、また具体的なやりかたについては『知的複眼思考法』がとても参考になります。
http://www.amazon.co.jp/%E7%9F%A5%E7%9A%84%E8%A4 …
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私が批判的に本を読むケースとしては、知らない著者のノーハウ本や情報をそこから知りたい本の最初の数ページでしょうか。

それでも面白いなと思ったらもうすっかり心身を任せて読みふけってしまいますね。最初数ページで批判するのに疲れたら大抵それ以上読まずあっさり投げ出してしまいます。
小説など娯楽本も大体同じですが、最初から身を任せて耽溺してしまう本が殆どです。そんな本しか選ばないといったほうがいいかもです。古典的なものは先入観があるのか余り批判的には読みません。批判するだけの能力がないと諦めているのかもです。
常に頭を働かせて読めと誰かに言われたような記憶があります。ご友人のおっしゃることはこれなのかとも思いますが、当然のことであるともとれ、批判とはちょっと違うような気がします。
質問者様のご趣旨と似たようになってしまった私の個人的な感想です。
ご参考まで。
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えらく次元の高い議論をされているようですね(笑)。


個人的には No.2 や No.3 の方の回答が簡潔に要点をついている気がします (もちろん、他の回答もすぐれたものです)。
特に No.3 の方のご指摘に感心いたしました。
何の本が問題になったのか、ということ。これは重要なポイントに思えます。
たとえば、ある思想家の著書であるとか・・・
仮にマルクス主義者の書いた本であれば、反マルクス主義の立場にある人からすれば、「読むまでもなく」批判の対象になるかもしれません。
宗教的なものであれば、宗教の違いが問題をこじらせることがあるかもしれません。
小説でも、宗教や道徳観の違いから、批判の対象にもなり得ます。
Aさんの愛読書がBさんにとっては鼻持ちならない内容かもしれません。
自分の気に入らない本(あるいは、立場の異なる著者の書いた本)を気に入っている人を見ると、「批判的に読んでない」という「批判」をする人がいるかもしれない。
それは、「見解の相違」という範囲ではないでしょうか。
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質問者さんもご友人もすこし混乱しているように見受けられます。



書物には、この世界の「写し絵」的な側面と「思いを伝える」機能を持つ側面があります。
「写し絵」から人は世界のなんたるかを学びます。読者の力量の違いにより書かれてある内容が「優れているか劣っているか」が分かります。また「写し方」の巧拙は同じく読者の「批評眼」の高低によって判断されます。これは何も批判的に読まなくても「読書は著者との対話」であれば「読書」の行為中に不断に生起することです。
また「思いを伝える」側面つまり創作の場合は、「伝え方の巧拙」「物語創出の出来不出来」が問題になりますが、端的に読んで「面白いか面白くないか」で判断できます(Aという人にはとびきり面白くてもBという人には退屈極まるという場合もあります)。

おそらくご友人は、「書物に書いてあるからといって正しいとは限らない、だから批判的な眼が必要だ」と思われるのでしょう。それはある意味正しいと思います。書物に書いてあることを何でも鵜呑みにしてはダメでしょうね。鵜呑みにする(=正しいと思う)と間違ったことでも自分の行動指針になったり、また間違ったことを(本人は正しいと思っている)他人に伝え押し付けて信用をなくしたりします。
だから、批判的に読むことは必要でしょう。
しかし、あくまで「必要」なのであって
>本を読むとき全てに批判的な目でもって本を読むことが正しい
は極論です(まるで子供の議論ですね)。これはときどきいる「正しい教」信者ですね。
世の中は複雑ですしその中にいる人間の価値観は多様です。ある人の「正しい」は他の人には「正しくない」こともあります。アナーキーなままでは混乱するだけですから社会集団は一定の取り決めをし、それを法律として成文化し、それを遵守するのが「正しい」と決めています。
しかし、本の読み方を規制する「法」は今の日本ではありません。枕に使おうが鍋敷きに使おうが所有者の勝手です。さらに本を読んで騙されてしまうのも勝手です。(もっとも明らかな盗用や著作権の侵害は法によって裁かれますが)
ご友人の「正しい教」信者の方のエネルギーは「善意」ですから始末に悪いですね。でも意見が合わないだけで友達でいられないというのもおかしな話ですから、ここは広い心を持っていただいて、「そうだよね。批判的な視点は大事だよね」と受容してあげてみてはどうでしょう。
だって「正しい」とか「正しくない」とか決める内容ではないですからね。
「こだわりのある困ったさん」にはカウンセリングマインドで接しましょう。
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自然科学、社会科学、数学の本の読み方は、大学で学びます。

それ以外の本の読み方に、正しいも悪いもないでしょう。小説は、虚構です。10年後、20年後に、まだ読むに値する本に出合えたら、幸せです。
一般的な本などありません。著者がいて、作品があり、読者がいます。具体的な本の名前がわかると、回答がたくさんもらえるでしょう。
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本の正しい読み方


 「椅子に座り机に向い、背を伸ばし、本から目を30センチ離して読む。」

なんて。

 「寝転がって読んでもよし。」

正しい読み方、悪い読み方 というのはないのだと思います。

本に向う体の姿勢同様、心の姿勢も、自由です。
 
  
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こんにちは。



本の読み方に正しいも悪いもありませんよ。
質問者さまが自由に読めばいいんです。
小難しい本ばかり読まなくたっていい。
乱読して、思いっきりのめりこんで、結末で味わった感想を自分の心の糧にすればいいんです。
私自身はその本が面白ければ、1回読んだ本でも何度も読んでしまうたちですが、そのたびに視点が変わったり、「あのときはこうだったんだ」みたいな発見もあります。

>私達はメディアに対しては批判的な目で見ることは必要と言われてきました。
これは間違ってはいないけれど、たとえば今大騒ぎになっているインフルエンザの情報の間違いを大きくしてしまうマスメディアの体制とかに批判の目を向けるべきであって、「なぜインフルエンザがこの時期に流行ったのか」みたいなことを本で調べて読んで得た知識などは、それは批判とはつながらないでしょ?
お友達はお友達の価値観で本を読めばいいし、質問者さまは質問者さまでいいんですよ。何でも疑ってかかってたら、世の中生きていけなくなちゃうと、私は思うんですけど、どうでしょう?
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