映画「硫黄島からの手紙」では、西郷(一兵卒)が大宮でパン屋を経営していた頃、憲兵がやってきはパンをどんどん持っていったというエピソードが紹介されています。
最後には金属供出のためパンを焼く道具まで持ち去られたともありました。
憲兵がいかなる理由でパンをとりあげるのか?
代金を払わないのでしょうか。
また商売道具を金属供出させられる話は聞いたことがありません。
映画はアメリカ製で胡散臭いのですが、真実はどうだったでしょうか?

A 回答 (10件)

No6です。

細切れの回答で失礼します。
「硫黄島からの手紙」での憲兵の描写については、時代考証がメチャクチャだという質問が、劇場公開当時(2007年1月)に既に出ていました。(パン屋の話は出てきませんが)

映画「硫黄島からの手紙」の憲兵(少々ネタバレあり)
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2650328.html

多くの回答が寄せられ「時代考証の誤り」という結論になったようです。
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No6です。

DVDを確認して頂きありがとうございます。そのようなシーンがあったことはすっかり忘れていました。

他のサイトでも既に議論されているようですが
「憲兵の実情を無視した荒唐無稽な時代考証」
で落ち着きそうですね。

10年ほど前の映画「パールハーバー」で、連合艦隊の作戦会議が、なぜか草原に戦国時代のような幔幕を張り巡らした中で行われていたという話を思い出しました。
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 これは私の母から聞いた話しですが、金属供出は自治会でやったそうです。

自治会や隣組が中心となって『報国運動』の一環として各家庭から鉄の供出を求めました。私の母の家は風呂釜がターゲットになったようですが、供出拒否したと聞いてます。
 憲兵は軍隊の警察であって民間への介入は原則できません。民間人には警察内にある『経済統制局』が行いました。不正備蓄や非国民に対する摘発・拘束はここです。

 戦後、戦時下日本は軍部(特に陸軍)独裁だったような言われ方をしてますが、そんな事はありません。小磯内閣崩壊の原因は内務省(沖縄に対する戒厳令施行の拒否)、海軍省・外務省(陸軍が中心となって進めていた中国との講和妨害)の離反による内閣不一致です。
 また、有名な「かわいそうな象」は絵本では軍部の命令だったような書き方されていますが、軍部は猛獣処分は指示しておらず、内務省と東京都知事の方針で処分されました。つまり、戦時下で行なった国家運営などを全て陸軍が犯人としたいとするグループ(旧海軍は最たるグループ)が存在し、100の事例中1でも陸軍が関与していたら残り99も陸軍がやったにされているのです。
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No6です。


先の回答に添付した画像が、映画の公開当時に物議を呼んだ「栗林中将の変な軍装」です。

シンガポールを攻略した際の山下奉文将軍がイギリス軍のパーシバル将軍と会見したときの画像を添付しますが、これが正しい「南方の戦闘時の司令官の軍装」です。

この「栗林中将の軍装が明らかにおかしい」点以外は、「硫黄島からの手紙」で「明らかに時代考証が間違っている」点はなかったと思いますが。

昭和19年の硫黄島には、小笠原諸島で最大の集落と住民が存在し、栗林中将の指示で全て父島や内地に疎開させたということが映画で描写されており、その点は映画を見てから知って後で文献で確認しました。

なお、硫黄島での栗林中将は「アメリカ軍を感嘆させた名将」とされており、栗林中将のリーダーシップで構築した洞窟陣地に拠った日本軍が米軍に多大な損害を強いた、とされていますが、この見方に異議を呈する本が、「硫黄島からの手紙」の公開後に出版されました。

「英雄なき島―硫黄島戦生き残り 元海軍中尉の証言」
久山 忍 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4819110209

硫黄島で戦い、奇跡的に生還した学徒出身の海軍中尉の手記です。
* 栗林中将とは米軍侵攻前に何度か顔をあわせたが「典型的な頭の固い威張った陸軍将官」であった。作戦会議に陪席したが、栗林中将の発言は精神論的で非現実的であった。

* 硫黄島で日本軍が米軍に損害を与えられたのは上陸から数日間のみ。その後は、日本兵が米軍に一方的に掃討されるだけであった。

* 硫黄島の地下に縦横にトンネルが掘られていたわけではない。そんな大規模な工事が出来るわけがなかった。小規模な部隊が潜る地下壕が分散して掘られていただけ。

* 米軍にとって最も脅威であり、米軍に多大な死傷者を出させたのは、米軍が上陸から数日間砂浜に密集して野営している状況で、海軍守備隊が事前に準備していた「航空機用250キロ爆弾・60キロ爆弾を数百メートル投射するロケット砲」を米軍の集団の中に打ち込んだことによるもの。これが米軍に甚大な被害を与え、精神的ダメージを与えたことは、筆者(久山 忍 元海軍中尉)は戦後になって知った。

質問から離れますが、「硫黄島からの手紙」を観る参考にして下さい。
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映画「硫黄島からの手紙」は劇場で見ましたが、ご指摘のような「憲兵の横暴」を描くシーンは記憶にありませんが?



第一、憲兵というのは陸海軍人に対して警察権を持つのであって、市井のパン屋とは通常係わりありません。そのパン屋が敵国のスパイだとか脱走兵を匿っているというのなら別ですが。

憲兵といえども軍法に縛られており、軍法を執行する立場であるからこそ、軍法の遵守を他の軍人以上に求められていました。
「憲兵が、パン屋から商品であるパンを強請り取って行く」
「憲兵が、パン屋に有無を言わせずにパンを焼く道具を供出させ、生活手段を奪う」
いずれも「憲兵の権限外の行為、軍の威信を貶める行為」であり、発覚すればその憲兵が軍法会議にかけられ、陸軍刑務所で懲役となるでしょう。

そのような、中国の反日プロバガンダ映画、あるいは本多勝一の「中国の旅」にでもありそうな
「時代考証を欠いた荒唐無稽な憲兵の描写」
があればすぐに気づいてその時点でシラけたと思うのですが、そのような記憶はありません。
※ 硫黄島に赴任する栗林中将が、司令官であるのになぜか参謀飾緒を胸につけ、勲章は略綬をつけているのになぜか重い正章を胸一杯につけているという不思議なシーンはありましたが。

この映画は既に一年以上前の作品ですが、質問者さんはレンタルビデオでそのシーンをご覧になって質問されているのでしょうか?
もしビデオが手元にあれば、具体的にどういうシーンなのか補足して頂けませんでしょうか。
※添付画像が削除されました。

この回答への補足

今DVDが手元にありません。
主人公の西郷(二宮和也)の回想シーンでした。
パンをとられ続け、ついには道具を供出し、無職になります。ドアをノックする音がしたので憲兵と思い、「もう何もないといってやれ」と妻に言います。妻がドアを開けると召集令状の送達人でした。(このとき国防婦人会も一緒に来ているのもおかしいですが)
憲兵上がりの兵隊が入ってきて、彼を嫌悪する一因としての挿話です。
時代考証を議論しているサイトを見つけました。
「憲兵が、主人公のパン屋に出向き、製品を取り上げたり、パンを作る道具を鉄の供出と称して取り上げたりしたのでしょうか。また、夜遅く、国旗を掲げていない家(普通は日中だけ掲げ、夜には仕舞うはずなのに、なぜか夜各戸が掲げている)に憲兵が叱責し、更に吠え立てた犬を撃ち殺すなど、あり得たのでしょうか。街中でピストルを無闇に発砲するほど憲兵に権限があったとは思えません。」
http://www.jiyuu-shikan.org/rekishi140.html

補足日時:2009/05/11 20:12
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この回答へのお礼

DVD見つかりました。33分くらいのところです。
「おれは昔大宮でパン屋をやってたんだよ。女房と二人できりもりした小さなパン屋だったけど。砂糖が手に入ったころはアンパンとかカステラを作って売っていた。あいつら憲兵隊が来てちょくちょくいろんなもん持っていきやがった。戦争のため、お国のため、なんでパンなんだよ。ハムサンドを置いたとたん、やつらそれも持っていきやがった。肉がなくなってパンだけになってもまだ来やがった。それで最後に鉄の供出とかいって道具までもっていってそれで店は仕舞いだ」

お礼日時:2009/05/11 20:39

> 憲兵は軍の警察ですので、民事不介入のはず。



旧日本軍の憲兵は軍隊内だけでなく、軍隊外の国民生活も取り締まりました。主に治安に関してですが、戦時色が濃くなると、防諜や生産増強に関することまで取り締まりました。パン屋さんは食糧生産、食糧生産は「聖戦遂行」を縁の下で支えるとも言えるので、憲兵が介入する口実はあったと思われます。

〔解説〕

(1) 私も専門知識を持ってるわけではなく、以下の記述は類推を交えている。それでも、「憲兵は軍の警察ですので、民事不介入のはず」などというのは余りにも無知なので、回答してみたくなった。

(2) 佐木隆三の『復讐するは我にあり』(1975年直木賞受賞)の中に、管轄区域の有力者の家にちょくちょく立ち寄って酒を飲ませてもらうのが癖になってる、田舎の駐在がいたという話が出てくる。警察官がそんなことでいいのかよ……。小説だが、現実の事件に取材して書いてある。
これをもっと悪質にして考えてみよう。飲み屋の弱みを握り、タダ酒を常としている悪徳警官とか、いそうである。「パン屋にたかる憲兵なんてありえない」とは言えないだろう。

> 憲兵がいかなる理由でパンをとりあげるのか?

もちろん、正当な理由はない。「こいつなら反撃して来ない」と分かると、イジメは常習化し、たかられ続けるだろう。

> また商売道具を金属供出させられる話は聞いたことがありません。

検索するとすぐ見つかった。パン屋さんじゃなくて花火師であるが。

2尺、3尺に挑峨した西沢長蔵氏(長野)
http://japan-fireworks.com/news/newsback22.html# …
(引用開始)
長蔵氏の嗣子博氏が昭和49年に県に対して戦時中没収された3尺筒その他打揚筒の返還を求め、損害賠償の訴訟を起こしたことである。博氏は長蔵氏の手伝いをして花火製造に従事していたが応召中の19年5月に金属回収のために打揚筒54本が供出されてしまった。(中略)これらの商売道具を失って廃業においこまれた損害は大なるものがある(中略)とかくこの金属回収や、ダイヤモンド供出には不明朗なトラブルが多い
(引用終り)

金属類回収令(田村譲・松山大教授)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kinnzoku …
(引用開始)
法律的強制力のない任意の供出であったため、それでは需要をまかなえなかった。そこでとられたのが金属類回収令の制定であり、これにより、回収は、官公署(役所)・職場・家庭の別なく、子供の玩具を含め、金属類は根こそぎ回収の方向へと進んで行った。
(引用終り)

(3) この映画が良く出来た作品であることは、最初のほうのシーンからも分かる。主人公・栗林中将が「健康のために歩きましょう」と言う。まず、これにツッコミを入れた批評があった。

ユーザーレビュー 硫黄島からの手紙 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/review/movie/MOVCSTD9694/ …
(引用開始)
健康のために歩くなんて、それから50年も先の思想だぞ。
瑣末なツッコミを入れて、と思われるかもしれないが、映画というのは観ていてスイッチが入る瞬間がある。その逆でスイッチが切れる瞬間もある。この映画は早々にスイッチを切ってくれた。
(引用終り)

このかたは、1920年代の米国(いわゆる Roaring Twenties)で健康ブームが起こったことをご存知ないのだろう。繁栄を謳歌した米国では、富裕層だけでなく一般市民でも、栄養過多による肥満を恐れて、せっせと体を動かし始めていた。米国以外では、まだ「無駄に動くな、腹が減る」と言ってた時代である。
栗林の経歴を見ると、1927年に武官補佐官としてワシントンD.C.に駐在し、軍事研究のためハーバード大学にも学んでいる。なるほど、20年代のアメリカを肌で知っている人だった。
栗林の「人となり」や、アメリカとのつながりが、「健康のために歩きましょう」という一言で鮮やかに示されている。
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憲兵他所でも中国でも日本語で通じるといわれるほどですから


それだけ何かやらかしたんでしょうね
憲兵になると同じ階級でも給与が全然違うみたいですよ。
東郷さん曰く憲兵を使いすぎたとか
一般人は憲兵より特高警察 FBI 見たいなものが恐ろしかったといわれます
冤罪もたくさんあつたとか。
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憲兵に限った話ではありませんが、


越権行為や不法行為はしばしばあったようです。
日本軍というと士気の高い精鋭をイメージするかもしれませんが、
特に国内に残留している人々を中心にして
実際には組織は腐敗が蔓延していて、士気も低く、
配給品の横領やら横長しはよくあることだったらしいです。
またいわれなき暴力の横行と、権力の乱用は
典型的といえます。
パンを焼く機械については、小麦手に入らないので、
もともと営業はできない、
ずっとしてないという状況での供出だと思います。
「硫黄島からの手紙」はフィクションですが、
各エピソードはそれぞれ元ネタとなる話があるそうです。
いろんな話をくっつけ、脚色してあるわけ。
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憲兵が自ら民間のパンをとりあげる、というのは考えにくいです。

当時はパン屋さんも配給で物を作っており、その製品がまた「配給の品」になるからです。パンなら軍隊に納品していることも珍しくありません。それに、食料加工生産する側の道具をめしあげるのは、考えにくいです。
ストーブ、お寺などの鐘、しまい込んである指輪、時計、宝石、などが「供出」といわれて持って行かれたものの代表です。

あと、陸軍さんは地元のおなじみ、なので、それはますます考えにくいです。東京なら、麻布、赤坂、目黒ですが、同様に大宮なんて都会でなら、なおさらです。むしろ、そのような行為をする「非国民」を取り締まる側です。だいたい、一件のパン屋さんから持って行って、どうするのかと。

私の父は当時ティーンでして、東京にいました。小さいけど精密機器の軍需工場をやっていたので、ビールの配給券が余計にでます。
曾祖父のビールを銀座の配給所、戦前キリンビール・ビヤホールがあったところに取りにいき、4本の大瓶を荒縄で縛ったのを持って歩いていると、たまに憲兵から「もしもし」と声をかけられることがあったそうです。そういうときは軍需工場特別配給許可の証明があるのでそれをみせると、相手は「あ、これはすみません。時局下、お疲れさまです」と敬礼しながらお辞儀をし、父の方も「失礼いたします」で、おしまいです。

物事には例外があるのが常ですが、私も恨み節はきいていません。みんながやっていたから、とは聞いていますが。
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私の母はよく「あか=銅製品」の供出の話をしてくれました。

町内会のような人が「出せるものはありませんか?」とやって来て、洗面器その他があったので正直に協力したとのこと。代金はなくボランティア。不便したとは述懐しますが、憲兵への恨み節は聞きません。日本が一丸となったのだから、それが当たり前の時代だったのでしょう。

この回答への補足

憲兵は軍の警察ですので、民事不介入のはず。
それなのに映画では、町内を見回り、国旗を揚げていない家を非国民呼ばわりし、街中で犬を撃ち殺し、パンをもって行ったりしてました。
金属供出で商売道具をもっていかれた話も聞きません。

補足日時:2009/05/08 22:50
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