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憲法97条は、「基本的人権は」「現在及び将来の国民に対して」「信託されたもの」と規定しています。
この「信託」は誰からなされたと考えるのが妥当でしょうか?
憲法における「基本的人権」とは、人が生まれながらにして持っている自然権のことだと考えますが、そうだとすると神様から?
あるいは同条の「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」ということからすれば、過去の多くの人達、ということになるのでしょうか?

A 回答 (7件)

〔答〕



「この憲法」から信託された。

〔解説〕

私は素人に過ぎませんが、ご質問者も独学でしょうか。「下手(へた)の考え休むに似たり」と申します。「碁や将棋で、下手な者の長考は時間の浪費で何の効果もない」という意味です。この憲法のもとは英文なので(ただし日本側で一部修正した)、英文を参照しましょう。

日本国憲法第11条 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
(引用開始)
The fundamental human rights by this Constitution guaranteed to the people of Japan result from the age-old struggle of man to be free. They have survived the exacting test for durability in the crucible of time and experience, and are conferred upon this and future generations in sacred trust, to be held for all time inviolate.
(引用終り)

日本国憲法第97条 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
(引用開始)
The fundamental human rights by this Constitution guaranteed to the people of Japan are fruits of the age-old struggle of man to be free; they have survived the many exacting tests for durability and are conferred upon this and future generations in trust, to be held for all time inviolate.
(引用終り)

第97条は、第11条・12条のリフレインでもあります。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」。つまり、「国民よ、絶え間なく努力してこれを保持し続けるのだ。信用してまかせたぞ」。それが「信託」の意味です。したがって、ご質問の答は直接には「この憲法」です。間接的には……などと考える前に、そもそも日本国憲法はキリスト教の神のお出ましなど全く要請していないことを、想起すべきでしょう。

(ここから後は付け足しです)

sacred trust となっているので、一見宗教がかっているように錯覚する。しかし、sacred trust は前文でも用いられた。そちらは「厳粛な信託」と訳されている(「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、」)。つまり、人間が人間に信託したことを指している(国民が代表者に国政を信託した)。類語辞典によれば、trustとは「人・物に対する絶対の信頼.根拠や理由に基づくというより心からのもの」の意であり、神は人間をtrustしたりしないだろう。以上から分かるように、ここは神が人間に信託したのではない。
また、ご質問者は、啓蒙思想と関連する「理神論」などの考え方も知る必要があると思われる。いわば「脱色され抽象化されたキリスト教」である。大統領は聖書に手をついて就任の宣誓をするが、あれは聖書じゃなくてもいいそうだ。もちろん、啓蒙思想や天賦人権論の背景にはキリスト教があった。しかし、キリスト教の神ではなく「超越的な神聖な何か」に誓っているという解釈も成り立つように、「脱色」済みなのである。アメリカ人は案外賢く、世界をリードする知性があり、日本は教わることも多い。それに気づかない人が、70年前も今もいるけれども。

アメリカ合衆国憲法(在日米国大使館)
http://japan.usembassy.gov/j/amc/tamcj-071.html
アメリカの建国とキリスト教の理神論(内山敬康・広島大学教授)
http://home.hiroshima-u.ac.jp/utiyama/ISIS-6.9.W …
(引用開始)
合衆国憲法が宗教についての合意も枠組みも欠いているのはなぜか。憲法の中で唯一宗教に言及しているのは第6条3項で、「いかなる公職についても、その資格」について「宗教上の審査」を課すことを禁じた箇所だけ。
(中略)
アメリカ憲法が実質的に宗教にふれるのは修正第一条で、国教を禁止し「国教の樹立を規定し、信教の自由な行為を禁止する法律」の制定を連邦議会に禁じた箇所が最初である。
(引用終り)

アメリカ大統領の聖書への宣誓
http://okwave.jp/qa4646957.html
(米国)法廷内で聖書を片手に宣誓することについての疑問
http://okwave.jp/qa2403419.html
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございました。
原典に当たること、さかのぼって考えることの重要性を認識しました。
本当に下手な考え休むに似たりですね・・・

お礼日時:2009/05/16 16:39

 あなたが何が矛盾であると考えているのか、解説はまだでしょうか。



 補助線を引いておきますが、Aという命題と、非Aという命題が同時に成立してしまう状態を矛盾と呼ぶので、その形であなたの考えを示してください。
 例えば、「ソクラテスは人間である」という結論と、「ソクラテスは人間ではない」という結論とが、同一の情報源から導けてしまったら、その情報源が矛盾を抱いていることになります。今、同一の情報源とは日本国憲法ですが、矛盾を発生させているとあなたが認識している命題は何でしょう?

 無論、私からしたら矛盾は存在しませんから、あなたはどこかで命題の作り方を誤っていると、私は見ているわけです(万が一、私が気づいていない可能性もゼロではありませんが)。

 ともあれ、基本的な知識の欠如や、論理思考の訓練を備えていないとこうなるという事例が、わらわら出ていますよね。
 例えば、現実に生きている人が信託した記録なんて、どこにもありません。国民投票だって最近になってようやく法案を阿部元総理が通したくらいですし。憲法が信託なんてするわけもありません。「信託」という日本語単語の意味を分かっていないか、憲法というものを何か自我を持った何かだと勘違いしているのか。

 それくらい、人権という概念を現代日本人は誤って捉えているケースが多いわけです。民主主義国家としてはかなりダメな状態ですが、これは実は民主主義という政治制度が必然的に孕む欠陥でもあり、根絶できないので対症療法を続けるしかありません。
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No.1.2の方が仰るように、源流が「神から」だとしても


それだけでは、日本国憲法に至るまでの信託さえも
続かなかったのではないでしょうか。

参考URLの「法学館憲法研究所」の憲法97条の説明には…
【「信託されたもの」との表現がありますが、
これは次世代のために人権を保持し続ける責任があることの自覚を
国民に促すものといえます。
人権を主張することは今を生きる者の責任なのです。】

…とありますから、現在に生きる私達は
『神から信託されたと自覚した人達を含めた、過去の多くの人達から
信託された』ということに、なるのではないでしょうか、
、と同時に、次世代に対しての信託も、必要となるわけです。

参考URL:http://www.jicl.jp/itou/chikujyou.html#097
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> なるほど、キリスト教の「神」から信託されたものという理解ですか。



 理解、という人の都合でどうにでもなる代物ではなくて、人権というコンセプトはキリスト教と切り離しては意味が無いくらいの表裏一体の代物なんです。その辺の論理構造を理解できない人もいるようですけれど、そういう人には思考能力を成長してもらうしかないので、放置するしかありませんが。

> ただ、そうすると日本国憲法は20条1項において、「信教の自由」を
> 保証していることと矛盾することにはならないのでしょうか?

 別になりません。なんで矛盾などと考えるのか、そこを具体的に示してください。でないと、あなたがどこでつまづいているのかも分かりませんから。
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憲法前文に答が書いてありませんでした?

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今晩は。


キリスト教的考え方で、造物主つまり神から与えられた「天賦の人権」
をキリスト教信徒はみんな持っている、ということで、この考え方が発
展して定着し(宗教色がなくなり)、「基本的人権」の考え方として纏
まっていった様です。
日本国憲法の「基本的人権」に関して参考にしたのが、「ヴァージニア
権利章典」だと言われています。
その中に。
第1条 全ての人は生まれながらにして等しく自由で独立しており、あ
    る先天的な権利を持っている。
    それらの権利は、人々が社会のある状態に加わったときに、い
    かなる盟約によっても、人々の子孫に与えないでおいたり、彼
    らから奪うことはできない。
    すなわち、財産を獲得して所有し、幸福と安全を追及し獲得す
    る手段と共に生命と自由を教授する権利である。
第2条 あらゆる権力は人民に与えられそれ故に人民から得られる。
    行政官は人民の被信託者であり僕であって、常に人民に従うも
    のである。
憲法97条と似ていると思いませんか。
この中の「先天的な権利」が「天賦の人権」だと思います。

実は、私も質問者さんとは異なる疑問で興味を持ち、大学時代に少し調
べてみた事がありました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

キリスト教的な「天賦の人権」という思想が、宗教色がなくなって日本国憲法に取り込まれたという理解でよろしいでしょうか?
だとしても、なんで「信託」という言葉にしたのか、私にはまだすっきり納得できません。
というのは、No.1様へのお礼にも書いたのですが、20条で信教の自由を保障しておきながら、「信託」という言葉の背景に宗教的思想があることが矛盾してるのではないかと考えるからです。
「侵すことのできない永久の権利である」と断定してあれば、こうした疑問もわかないのですが。
まあ、この言葉自体の解釈は、憲法学においても特段論点にもなっていないようなので枝葉末節なことなのかもしれませんが、初学者なりに納得できなかったもので質問させていただきました。
また、わからない点が出てきた際にはご教授よろしくお願いいたします。

お礼日時:2009/05/13 06:50

 その通り、神ですよ。

それも、キリスト教の神。造物主のことです。
 そもそも人権という概念自体がキリスト教の産物なんですから。

 日本国憲法を起草したアメリカ人たちは、もちろんキリスト教徒です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど、キリスト教の「神」から信託されたものという理解ですか。
ただ、そうすると日本国憲法は20条1項において、「信教の自由」を保証していることと矛盾することにはならないのでしょうか?

お礼日時:2009/05/13 06:28

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