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キリスト教徒は原罪というものを信じているそうですが、イスラーム教徒は現在を信じていないそうです。
ところで同じ一神教といわれているユダヤ教徒は原罪というものを信じているのでしょうか。
詳しい方教えてください。

A 回答 (2件)

ユダヤ教にも、宗派によって原罪を規定しているところはあるようです。


原罪のイメージは、旧約聖書(ユダヤ教では『Tanakh(タナク、タナーク、タナハ、タナッハ)』と呼び、「旧約聖書」とはキリスト教での呼び方)の「アダムとイブの物語」に由来します。
神の命令を聞かずに、知恵の実を食べたことが「罪」とされ、アダムとイブの子孫である我々人間は、この「罪」の影響を未だに受けていると考えられています。

因みに、アダムとイブをそそのかした蛇について、キリスト教はサタンであると考え、ユダヤ教はサタンとは考えないようです。
どちらにせよ、人間は自由意志を不正に行使し、神の信頼を裏切った。
この行為により、人類の一体性から全ての人間は「原罪」を背負うことになった。・・・とが、原罪の意味です。

ユダヤ教では上記の自由意志を行使したのは、あくまでも人間でありサタンの誘惑は無かったとします。
また、それ以前のアダムとイブは不完全な人間であり、自由意志の行使によって完全な人間になったとし、神はそれを望んでいたと考えます。
ユダヤ教では、キリスト教ほど重要な意味ではなく、戒め程度であると考えているようです。

一方、キリスト教では、悪の誘惑に負け、不正に自由意志を行使した事によって、自らを貶める結果となった。
それによって、完全な聖である神との密接な関係を断ってしまったと考えます。
そして、人類はその罪を生まれながらに背負うことになります。
イエス・キリストは、神に対して生まれながらに人間に代わり、人間の「原罪」を自ら引きうけて、人間のために死んだと考えられています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/04/12 18:28

No.1さんと同じ回答になってしまいますが、宗派次第だし、重要視していません。



ユダヤ教はあくまで神の義 すなわち救いを信じているだけで、神の義 すなわち律法を守っているからユダヤ教徒。

キリスト教は神の義 救いである律法のほとんどを否定しています。
そして原罪は2千年ほど前にこの世から消えたことになっています。


つまりどちらも原罪に関してほとんど重要視していないんです。


ちなみにユダヤ教の神とキリスト教の神は厳密に言えば別物です。
キリスト教の神はユピテルと習合しており、ユダヤ教の神とはもはや別物だと思えます。

オウム真理教はキリスト教かというと違いますが、似ていますよね。
このくらい類似と違いがユダヤ教とキリスト教にはある。


キリスト教の考えは、断罪する神 すなわちイエスを支持しています。

三位一体があり、まるで司法のようなもの。

検事 弁護士 裁判官。
これが、イエス、マリア、神。

すなわちイエスは裁いて人の罪を重くする役割を持ち、マリアは人の罪を軽くする役割を持ち、その天秤の傾き加減で決定するわけです。
神は何もしないから神。
罪を重くするのも軽くするのも、検事と弁護士でやるわけですよね。

ユダヤ教はそういう概念が無い。


従ってユダヤ教とキリスト教の神は別です。概念が違う以上別物。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2007/04/12 18:28

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