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戦国時代、戦国武将に詳しい方、教えてください。

小説を読んでいて「真田信繁(幸村)が子供の頃人を殺した(という記録がある)」という記述が出てきました。
真田信繁にはよく小説に出てくる人なので、エピソードは大抵どこかで読んだことがあるものが多いのですが、このエピソードは初めて目にしたため、興味を覚えました。どなたか、出典、または、詳しい話をご存じないでしょうか。

因みに小説の中の記述は以下のようなものでした。

「真田信之」志木沢郁 学研M文庫(2009/4/28)P81より、以下引用。

>ずっと昔、ほんの少年の頃、信繁は人を殺している。
>(中略)
>それは忘れがたい光景であり、後に信之はそのことを幾度か口にし、記録にも残っている。

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

江戸時代に真田家の藩士が編集した、歴代藩主のことなどを書いたものに載っています。

○○殿御事蹟とかいうような題名のものだと思います。事実かどうかはわからないが、作家の創作ではないようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
参考文献のトップに載っていました。

「長国寺殿御事蹟稿」「大鋒院御事蹟稿」「左右衛門佐君伝記稿」 等
(新編信濃史料業(原文は旧字)書 第十五~十八巻 信濃史料刊行会)

お礼日時:2009/06/07 21:17

No1です。


もう一度言いますが小説はフィクションです。
それ以外でも何者でもありません。
小説中に「記録にも残ってる」と書かれていたから言って事実であったなんて思うのは愚かしい事です。
ダビンチ・コードでもシオン修道会は実在の秘密結社であると冒頭に書かれています。しかしシオン修道会が昔、存在してたのは事実でも秘密結社であった事実は何処にも見当たりません。飽くまで読者に興味を持たすための良い意味での捏造です。

それと信繁の元服が遅かったのは単に次男だからで、別に不思議な事ではないです。真田の後継者は兄 信幸ですでに元服していたわけですから特に急ぐ事がなかっただけと思われます。この時代では元服して初陣という事が多かったので信繁にはそれまで機会がなかったと思われます。
あと信繁の名乗りを憚ったわけではないしょう。元々武田信玄の弟 武田信繁に肖って付けたくらいですから何を憚ることがあるのですか?
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この回答へのお礼

No.1さん、重ねてのアドバイスありがとうございます。
なかなか伝わらないようで、説明がまずくてすみません。
事実だったのだろうか?という趣旨の質問ではなく、「記録に残っている」のであれば、なんという記録なのだろうと思ったのです。記録といっても、正しいものも、誤っているものも、始めから創作のものもあるでしょうし、場合によっては代々の口伝かもしれませんが、それで構わないんです。どういった性質の記録で、どういった文脈で紹介されているのかに興味がありました。記録に残っているという小説内の記述自体が創作なら勿論それまでのことなのですが、なにか元ネタがあるなら、それはどういうネタだったのかなと。

ところで、次男であるから元服が遅くても不思議はないものなのですね。これは全く知りませんでした。ご指摘ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/02 23:02

No1の方が言ってる通り、小説は所詮フィクションですからね~


あえて考えてみるとすれば、まず”少年”という表現が現代の少年と当時の少年の考え方は全く違うわけで、”少年”の頃に人を殺したかどうかは私もちょっとわかりません・・・
ただここからは自分の推測ですが、信繁の正確な元服年は分かっていませんが、信繁が上杉家に人質にとられる年1585年天正13年彼は19歳であるにも関わらず今だ幼名で元服していません。
天正19年の小田原征伐では信繁を名乗っているので天正14年~18年の間に元服したと思われますが、年で言うと20~23歳
当時にすれば彼の元服は遅いとは言え、元服するまでは幼名であることを考えれば,当時の考え方が元服までは(質問者の方の言い方を使えば)少年であったということが考えられます。
だとすると、20歳くらいまでの間に当時の状況からすれば一人や二人殺したことはあるんじゃないかな?と勝手に予想してみますw
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

「少年」という言葉が現在使っている意味とは違うかも、ということについては、何にも考えていませんでした。確かにこの言葉の意味を厳密に解釈していけば、ご指摘の意味になるのかも知れません。
信繁とちょうど同世代人である伊達政宗が後に「馬上少年過ぐ」と詠んだことを思えば、この時代の「少年」期は元服までどころか、もっと広がって若い頃全般のことを指していたとしても不思議ではありませんね。今でも「少年よ大志を抱け」のように、若者全般を指して使うこともありますし。

ただ、創作されたものであれ、もしくはひょっとして事実を伝えているものであれ、この手のエピソードには「えっそんな子供がそんな大胆な!」という意外性が無ければ、話をつくる意味も伝える意味も無いようにも思います。ここは当時の状況からしても幼い子供であったと読むのが自然ではないでしょうか。
なんだって彼の元服があんなに遅かったのか、もしくは何か「信繁」を名乗るにはばかる理由があったのか、というところも確かに気になりますが、どちらにせよ、<当時の状況からすれば、そんなのあっても全然不思議じゃないよね>という話ではエピソードとして成立しないように思うのです。

子供の頃に人を殺した、という逸話が残る武将としては、12歳だか14歳だかのころにやらかしたとされる福島正則なんかが有名ですね。これも真偽の程はさておき、正則がそういう性格の人だと思われていたのだろうと想像できるという点でおもしろいエピソードだなと思います。

興味からの質問で、特に急ぐものでもありませんし、引き続き興味深い回答をお待ちしております。

お礼日時:2009/05/31 23:06

小説を鵜呑みにするのはやめましょう。


小説は所詮作り物です。
作家側が自分の作品の流れに合わせて書いています。

まぁ真田信繁が生きたのは戦国の世ですから、遠い昔です。
何かの弾みで人を殺すこともあったかも知れません。
それは飽くまで想像の域です。

真田信繁について悪評はなかったようなので、そのような事はなかったのでは?
まぁこれも想像の域をでませんがね。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

悪評ではなく、当時のことだから将としての資質を示すエピソードである、との記述でした。
「記録にも残っている」という書き方で、ストーリーの中で肝心のシーンが出てきたという訳でもあらすじ上の必然があったわけでもないので、まあ事実だったかどうかはさておき、そういう史料が存在するのかなと思ったのです。

引き続き、詳しい方の回答をお待ちしております。

お礼日時:2009/05/31 11:14

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