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どうやって終わったんですか。
あのときわざとフセインを生かしておいたとか、逃げられてしまったとか正反対の表現がありますが。
米軍はどこまでせめいったんですか。イラク国内に陸軍がせめいるまでいってたんですか。
もしかしてイラク軍がクウェートから撤退+@で休戦協定がむすばれたとか。

A 回答 (4件)

国連決議678号はクウェートを奪回することが目的でした。

実際には地上部隊がサウジアラビアから侵攻し、クウェート国境の外側を時計回りに進軍しましたからイラク領内でも作戦を行いましたが、多国籍軍もここで手を打ったのです。結局サマーワとバスラを結ぶ線まで行きました。ちょうどユーフラテス側の河畔です。ここで停戦が成立し、クウェート内に引き上げたわけです。イラク軍の多くがイラク領内へ後退中に撃破されるか投降しましたが、かなりの部隊が撤退に成功したとされます。
国連決議に認められた目的と、これ以上の深追いは多国籍軍としても損害がでるということで手を打ったのでしょう。特に渡河作戦はそれなりにリスクがありますし、ここから先に進めば簡単に退けなくなるのでしょう。またアラブ系の軍隊はイラク領内の作戦には否定的だったこともあります。戦争目的が明確だったこともあり、イラク軍をクウェートから排除すれば勝利となるので止めたのだと思います。
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> どうやって終わったんですか。



このご質問への答えならば...

> もしかしてイラク軍がクウェートから撤退+@で休戦協定がむすばれたとか。

が正解に近いです。

湾岸戦争でのアメリカ側の表向きの目的、つまり大義名分は、クエートに侵攻したイラク軍を自国へ追い返すことでした。だから、イラク軍が自国へ逃げ帰った時点で、アメリカは戦争終結を宣言せざるを得ませんでした。

逃げ帰ったフセインに追い討ちをかけてクビを取る、というアイデアも当時はあったそうですが、結局アメリカはそうしませんでした。その最大の理由は、大義名分に反してまでフセインを討ち取りに行くと、イスラム社会全体を敵に回すことになり、テロを含めた収拾のつかない混乱を招きかねないと恐れたからです。
もともとイスラエル問題が根っこにあるので、アメリカもイスラム社会との対立には警戒心が強かったのです。
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*フセインを生かしておいた云々・・・。


湾岸戦争を行う上での安保理決議からして、イラクがクエートから駆逐された時点で言っても意味はありません。逃げられたのではなく、あの当時はフセイン政権を打倒するまでイラクに攻め込むというようものではありませんでしたので、フセイン政権がそのまま残ったと言うことです。

国連安保理決議678が対イラク(クエートに侵攻した)武力行使容認決議です。これの決議が米国を中心とした連合軍がクエート内のイラク軍を駆逐する法的根拠で、湾岸戦争といわれるのはイラク軍をクエートから追い出すことが第一目標であったということです。勿論、連合軍はイラク領内まで入り戦闘行為をしています。
この安保理決議678はイラク国内にまで連合軍が進入し、フセイン政権を倒すという決議ではありません。従って、所期の目的が達成されたところで停戦というのはある意味当然です。
この停戦を決めたのが国連決議687で、これが湾岸戦争停戦の決議です。この決議は停戦条件として「イラクが大量破壊兵器や弾道ミサイルの査察を無条件で受け入れること」などを条件にしています。
その後、報道等で言われている国連査察団がイラクに査察に入りました。しかし、イラク側の協力が得られないということで確か4,5年前にイラクから引き上げた状態になっていました。今回、米英がイラク攻撃をする可能性が出てきたことでイラク側は再度査察団を受け入れたと言うことになります。決議687には「・・無条件で査察を受け入れる・・・」という条件の筈がイラク側は協力せず、引き伸ばしや妨害をているだけであるというのが、米英の武力行使の理由の一つになっています。
日本「政府」が英米を支持した理由の一つも、イラクはこの687に違反していることを理由に挙げています。
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たしかイラクが休戦協定みたいなのを受諾して終わったと思います。

もちろんイラクはボロボロです。
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