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 タイトルの通りです。新書などもそうなのですが、「これはこうである」「こういう理由である」とはっきり書かれている分、まだわかるかな、という感じで、「本」ではなく「小説」に限定したいと思います。

 読み終えた時点で7割くらいが、その小説に対するぼんやりとしたイメージが残っているぐらいで、2割はあらすじだけは何とか追えたかな、という感じ、あとの1割は偶然なのか、この人物のこの行動、台詞、あの時の表情にはこういう意味があるのではないか? というようなところまで入っていけるようなことがある、という感じです。
 つまり、大抵の場合、「今読み終えた小説はどんな小説だった?」と訊かれても、絶句してしまうような感じで、理解できていないのです。

 現代小説?の場合、あらすじというか、出来事の連続は追えても、結局何だったのだろう? ということがよくあります。すごく高度で、微妙なことを扱っているのだろうか? という疑問があります。勧善懲悪よりも、両者に理由のある物語の方が高度であるとされるような感じで。

 マーキング、ライン引き、書き込みに興味があります。ライン引きに関しては実際にやっており、場面転換の初めに赤、その他気になるところには緑で引くようにしています。あらすじを追うことに関しては、このやり方でそれなりに効果を挙げていると感じていますが、もう少し細かくやりたい、という気持ちがあります。緑のラインを引くという部分です。

 以上のような悩みがあり、小説を読む際に、こういう部分に注目したらいいんじゃないか? こういう風に書き込みをしている、というようなアドバイスなどありましたら、教えて頂きたいと存じます。全体的にはぼんやりとしたイメージに輪郭を付けたい、もっと深く入って行きたい、というような質問です。本当に面白い本の場合、あるいは自分が(何故だか)集中できている場合は、時間も忘れてしまって、そういうことが自然とできていると思うのですが、そういう例は稀有で意識的にその状態に近づけられないものかな、と思うのです。どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (1件)

そういう、貴方の中にぼんやり残ったもの。


言葉にならないけど何か自分に響いてきたもの。
言葉の残照。気持ちの高まり。それ自体が読書の醍醐味なんです。
貴方はライン引きとかしっかり意図を掴んで~というストーリーの型に捉われすぎてる。だから自発的に貴方の中で膨らんでくる気持ちやイメージに対して素直になれてない。
もし読みおわって、これはなんだろう?という読後感があっても。
それも小説の醍醐味なんです。一回でつかめなかったらもう一度読んだって良い。あるいは自分の中の感情に対して論理や筋立てではなくシンプルに向かい合う。その中でハートが揺さぶられる、琴線に響く作品こそ貴方にとっては素敵な存在感のある小説なんです。
本当に良いなと思える小説や作品は簡単に言葉では定義できないんです。その出来ないものを貴方の中に貴方だけの形としてもち続けられるのが読書の醍醐味。もっとシンプルに自分の中に消化させていって良いんじゃない?読み方に正解なんて無いんだから☆

この回答への補足

回答がないようなので、これで締切にさせて頂きます。
blazinさん、ありがとうございました。

僕はやっぱり、例えば、ライン引きといったアプローチ、小説にストーリーの型を嵌めるというやり方にこだわりたいという思いがあるのですが、同時に、ラインを引かずに読んでもいいのだとわかりました。

自分の気持ちに素直に向き合う。わからなければ、わからないものとして、そのまま受け取る。あるいは、わからないから、もう一度読んでみる。方法論でなく、もっと自由に読んでいいのだと。

方法論を持って本を読むことも、方法論無しに本を読むことも、そのどちらもが読書なのだと。

補足日時:2009/06/25 04:57
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この回答へのお礼

 素敵なアドバイスありがとうございます。何か言葉を貰えるというのは、それだけでありがたいことです。
 確かに自分の固定観念?に捉われているのかも知れないと思いますし、自分はそういう傾向が強いのだろうなという認識もあります。頭が硬いというか。

 思い出してみれば、読書とかTVゲーム(今はやりませんけれども)が楽しかったのはその、体験、や、余韻、が心地良かったのだという記憶があります。そういうものに自分を委ねられればいいのかな、という気もします。

 しかし、でも、もしかしたら、これは読書以前の問題なのかも知れない、とも思うのですが、もう少し頭を明晰に働かせたい、というか、書かれていることを、書かれているままに理解したい、というか、上手く言えないのですが、それはあらすじなのかも知れないのですが、精読するということなのかも知れないのですが、そこに何か方法のようなものがないのだろうか、という気持ちを捨てられないのです。優柔不断な感じですが。
 紙の上に事実として落ちているものを、一つ一つ拾っていきたい、というような。落ちていた石にどんな意味があるのか、あるいは、それは落ちていたのではなく、置かれていたのか、また、それを拾って自分はどんな気持ちがしたのか、ということは、また別のフェーズとして、そもそも、落ちている沢山の石を拾うことなく、先へ先へ進んでしまうことに問題があると感じているのですが、こういう気持ちこそがこだわりなんでしょうか。あるいは、じゃあ、もっと丁寧に読め、という一言で解決する問題なんだろうかと思いつつ、それは俺の問題だなー、とか思います。読書に技法があるのなら、それに頼りたい、解決してもらいたいという気持ちで質問しました。

お礼日時:2009/06/20 19:03

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