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19歳の大学生です。
まだたった19年と言えばそうですが、タイトルの通り、
今までの生き方過ごし方があまりにも不本意だったような気がして、
後戻りできない悔しさやるせなさ、悲しさから、しばしば物凄く落ち込みます。

親の歪んだ躾の影響で、いわゆるAC(アダルトチルドレン)の症状に自ら悩まされてきました。
親は私に、理不尽に性格を否定して辱めてきたり(のろまで暗くていじめられる等)、
夫婦喧嘩を止めようともしてくれない、率先して思いやりのある行動をとらない酷い駄目な子だと言われたり、
子供心に悪気も無く言った言葉に対して、なんて酷い奴だ、一生許さないだのお前は信用できないだのと言われたりしました。

何が正しく何が間違っているのかの基準が全く分からず周りの人々や世界全てが理解できなかったり、
自分の発想や意見を表現することを知らなかったり、
自分が元々駄目な人間だと言うのが当たり前だと思っていたり、
そんな感覚を高校時代およそ中盤くらいまで引きずっていました。
自分自身が漠然とした不安や虚無感や絶望感に常に襲われ、
人間関係にも支障をきたし、誤解されたり嫌悪感を感じられたりして遠ざかっていく人もいました
高校も、親の意思で自分の肌に合わない高校に進学してしまい、散々苦しい思いをしてきました。

今は、高校時代に自己流でノートに気持ちをひたすら書いて認識の捉えなおしの作業を沢山して、
自分なりにかなり矯正できた感触があります。(ノート6冊も溜まりました)
そのお陰か大学では、自分の意思に沿った大学に進学でき、人間関係も良好で友人もいますし、楽しい日々を送っています。

しかしこれまではそんな感じであったため、中学も高校も上手く人間関係を築けなかったり遠ざけたりして、
結局今は中学や高校から続く友人関係がほぼありません。
周りの人達が、大学入学以前の友達と仲良くしているのを見たり聞いたりすると、
周りの子達に比べて物凄い不本意で台無しの人生を送ってきてしまったせいで、
折角の貴重な中学高校時代の友人を得ることもできなかったのではといつも考えてしまいます。
寂しがりな性格もあって、そのことを考えるだけで本当に悲しくなって人生に絶望してしまいます
そして、そうさせてしまった親に、自分でも恐ろしいほどの怒りや憎悪や恨みを感じてしまいます。
しばしば発作で、親が許せなくて堪らなくなり親に発狂してしまいます。

私のこれまでは、もう取り戻せない残念なものなのでしょうか。
これからどうにかしていけば良いと言われるのは分かっています。
しかし過去はどうにもならないという変えようにも無い事実が、今の私にとっては一番辛いのです。
これから例え良くなっていったとしても、折角の学生時代の大半が悲惨だったわけで、
それによく、高校時代に出来た友達は一生の宝で、大人になっていくにつれて友達は出来にくいとよく聞いたりします。

自分でも薄々思いますが、考えすぎの部分もあると思います。
年を重ねれば薄らいでいく問題でもある気もします。
しかし今の私には、この悩みが自身に重くのしかかってきて、とても辛く苦しいです。
どなたか、私の苦しみが少しでも和らぎ前向きになるような気付きとなる優しいお言葉をかけてくださる方、
どうか回答を宜しくお願い致します。
長文に付き合っていただきありがとうございました。

A 回答 (9件)

先刻、とある公共の場において、"人格障害について" ということで、


「人格障害は通院しないと、治ることはあり得ない」との声を聞きました。勿論これは間違いです。

そして、人格障害をお持ちの方がもしこれを聞いたら、こういう発言でどれほど心を痛めたことか、
どれほど不安を感じたことか、想像に難くありません。それが大変心配です。

質問者様は、まず決してご自分を「アダルトチルドレン」と決めているわけではありませんよね。
後に「?」が付いています。「いわゆるAC」と断り書きもされていらっしゃいます。

アダルトチルドレンと(境界性などの)人格障害は、元の学問が違うだけで、事実上殆ど同じものです。
「犬」と呼んだり「Dog」と呼んだりの違いであり、その対象たるモノは同じものです。

人格障害という言葉は、未だ世にそれほど知られていません。アダルトチルドレンの方がよく聞かれます。
これはマス・コミ等のせいもあるのです。
よって、決して質問者様が悪いのではありません。決してご自分を責める必要はありませんよ。

よって先々もし心の勉強をされる場合は、「人格障害的な性格」という範疇で捉えられるのも宜しいです。
パーソナリティ(人格)障害というのは、精神医学の正規の学問なのです。

まず、質問者様の心の傷は、痛い程分かるつもりでおります。私も経験者です。

質問者様の今までの人生は、決して「不本意」という言葉を使うべきものではありません。
「運命」という言葉に置き直しましょう。自分ではどうにもならないものが、運命です。
又、「もう取り戻せない残念なもの」でもありません。そういうことではないのです。

さて、質問者様はどうすれば宜しいのか。
まずはご自分を、本当の意味で愛することです。「自己愛」です。
これを、何年かけてでも、築き上げるのです。取り戻すのです。

病院になど行かず、一粒の薬も飲まないで、これをやり遂せた人を、私は大勢知っております。
話を聞けば、「貴方はいわゆるアダルトチルドレンじゃないか」~何人も見知っております。

そしてこの人達は、障害を克服したはおろか、一般の人よりも遥かに遥かに強くて優しい人なのです。

酷い親だった。特に幼児期。これは幼児は弱いので、自分の力ではどうしようもないのです。
だから自分のせいではありません。「運命」です。

しかし、しかしそれではどうして、この親はこのような子育てしかできなかったのか?
親の親のせいなのです。まず間違いなく、貴方の親御さんは自分の親に、
幼児期までに「自立した心」を築いて貰っていないのです。だから貴方をこのように育てることしかできなかった。

すると親の親、その又親の親と… キリがないのですよ。だから貴方で「切る」のです。「負の連鎖を切る」。
不本意と思う。残念なもの思う。…そういうものじゃないのです。これは貴方の「運命」なのです。
貴方にとってはどうしようもないものだったのです。だから貴方のせいではない。「私が悪いんじゃない」。
だから、だから貴方はまず、正々堂々と、自分で自分を好きになっていいのです。愛していいのです。

今までの人一倍の過酷な運命によって、人の何百倍も苦労して生きてきた自分を、まずは認めてあげて下さい。
自分で自分のために、泣いてあげて下さい。「不本意」だとか「残念だ」なんて言わないで!

幼児期の自分を、幼い自分を、今の貴方が膝の上にのせて抱っこしてあげるのです。そして抱きしめてあげる。
自分で自分を愛していいのです。「不本意」「残念」。それは自己嫌悪に繋がる悪しき言葉です。
これは貴方の運命なのです。受け入れるしかないのです。

受け入れることしかないのですよ、本当に。
これを受け入れることができて、「であるにもかかわらず」という生き方をして、自分で自分を愛して、
人と比べず、「誰のせいにも、何のせいにもしないで」生き続けていくこと。

これができたら、そしたら貴方は親を卒業したことになるのです。
その時初めて、親を超えるのです。
宜しいですか、厳しく申します。今の貴方には、親を憎む資格がないのです。
親の親、その又親… これをよくお考え下さい。…お分かりですよね。

誰のせいにもしない。勿論親も含めてです。誰(親)のせいにもしない。何のせいにもしない。
自分のハンデを自分が受け入れる。自分のために。

それができれば、本当に本当に強くて優しい人になれるはずです。
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アダルトチルドレンという言葉自体が嫌いです。


辛い過去を持っている人など、話さないだけで、いくらでもいるもんです。
なのに、自己憐憫に浸りきって克服の努力をしない人ほど、
「私はアダルトチルドレンだ、アダルトチルドレンだ」と騒ぐから。
そのニュアンスには
「私を特別扱いしてちょうだい!」という我が儘が入っているのが普通です。

質問者様は、日記を書くなど、きちんと努力されていらっしゃいますから違うことはわかりますが、
甘えて後ろ向きで自己中な人々と混同される可能性が高いので、
アダルトチルドレンなどというような、専門用語ではなくマスゴミ用語でしかない言葉を安易に使われないほうがよろしいかと思います。

本題に入りますが、自己像が家族によって歪められた以上は、軽く境界性パーソナリティ障害を起こしていると考えられます。
青年期にはよくあることなので、その治療の専門医が大学付属医療機関にいるのが普通のようです。学外と違い、相当長時間のカウンセリングを低料金で受けられますから、アドバイスを受けにぜひ行かれてみてください。

発狂は差別語、ヒステリーや激怒、激怒発作が正しいですよ。

日記よりさらにセルフカウンセリング効果の高い認知療法をお勧めします。
「こころが晴れるノート―うつと不安の認知療法自習帳」いいです。

自分を上手く主張できないでしょうから、アサーショントレーニングもお勧めします。
演劇療法もあります、演劇サークルなど入られてはいかがでしょうか。
動くことで友人も出来やすいです。

過去を吐き出す必要は確かにあります。
傷が膿んでいるのだから、膿みを出さないとね。
心の傷は、吐き出すことで相当気持ち的には楽になります。
ただし、膿みは所詮膿み。
膿みを誰にでも見せていいものではなく、嫌う人も多い。だから、相手を選んで話さないと。
新しく出来たご友人をなくさないように。

極論すれば、過去を振り返りこだわるかぎり、治りがたく、自己像や人格の歪みが矯正できないでしょう。

厳しいことを言っておりますが、確実に短期間で克服できるタイプだと思います。
親御さんとは極力距離を取り、必要以上に関わらないこと。
子どもにそこまでの精神的な負担を強いる人々が、境界例でないはずがない。
普通の人なら避けるタイプの人ですよ。
同居なら極力別居を。
親子の縁は大学卒業したら切るくらいのつもりでいたほうが無難です。
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過去を悔やむなら、瞬く間に「過去」となってしまう「今」を悔いの無いように生きて欲しいですね。



過去を悔やんで無意味に立ち止まっている「今」を将来悔やまないようにね。

まだ19歳。
これからですよ。
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共感したので。

私も19歳の大学生です。
自分はなんとか保てていますが、内心質問者様と同じような気持ちです。

>過去はどうにもならないという変えようにも無い事実が、今の私にとっては一番辛いのです。
わかります。同じこと考えてます。
そして考えれば考えるほど私は自分自身がみじめになり泣きたくなります…
んでも、こんな風にとても辛く落ち込むことはあっても結局治ってしまいます。
「悩むことなんか忘れちゃったよ~」なんてことじゃなく、今をやり抜くのに精一杯だからです。切羽詰ってます。
友達もいない大学生活は想像以上に厳しく、授業が解らなくても一人で解決し、休むわけにもいかないからです。

まぁ、何を伝えたいかというと
過去のことは変えられない、忘れることもない
かといって無理に前向きになる必要もない
今をやり抜くことが大事だと思います…

お互いがんばりましょう
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プロフィールをクリックしましたが、まだ、回答はしていないのですね。



大抵の方は、簡単な質問をして、回答を重ね、深い質問をするものだと思います。

自分の過去の真を語るのって辛くないですか。?

高校までは、自分の悪い過去も魅力的に話することがありますけど、大学生くらいになると、悪い過去、悲惨な過去って語りにくいと思います。

辛い苦しみって自分ではどうしようもできないですよね。なんとかしようとする度に、押しつぶされそうになる。目をつぶり、耳をふさぎ、寝て、意識まで消したくなる。

それでも朝がやってくる。

拘っているのですよね。一生の友達というものに。
世の中に本当に良い人なんてまれだと思います。

人の苦しみを理解してあげて、それを攻めることなく、助けようとする人、相手の限界や癖というものを理解してあげて、なんとかしようとすること、それができる人はそれほど多くないと思います。ただ、質問者が求めている友達ってそんな友達なんじゃないかな~と思います。

今は、無理をせず、できる限りのことをがんばるしかとない思います。(結局、無理し過ぎると、私は、この考えに戻ってしまいます。無理していくとどこかからか何かが壊れていきます)

親を憎むのは、今が辛いから。辛さをどこかにぶつけたい。それに妥当なのが親。

でも、世は地獄。良い人なんてほんの少し。良さそうな人は多いけど、困っている人に対し、効果的に何かをしてあげられる人なんてほとんどいない。

親だって、質問者さんがいてもたっても、辛さに耐えられないように、子供大切にすることが出来なかったのだと思います。それに対し、周りから何度か言われたことはあると思います。それに対しても向き合うほどの心がなかった。つつかれたくない程に。みんなそういったものを持っていると思います。

人は、コツコツ努力すれば、変わっていくことができるものだと私は思います。でも、急に努力して変わることはできないと思います。

100mを12秒で走る速さで1000mを走りきれないように。

心も、体も、頭も、コツコツ鍛えていくしかない。
コツコツ鍛えていたのが、振り返ってみると別人と思えるような時がくる。
コツコツなのは、「回復や充電」というもの時間がかかるから。まして、筋肉が強くなるような超回復はもっと時間がかかる。

人の人生って、絶望的ですよ。楽観的に考えればそうでもないですけど。
でも、その絶望に立ち向かい屈することなく、無視することのなく、克服した人は、必ず太陽みたいな人になります。だって、絶望と言う苦を知りながら、それを何とか出来た人ですから。

人はみんな弱いから、絶望に屈して、絶望的な事に肯定してしまう。それが原因で尊きものに価値を感じなくなって虚しい人生になってしまう。絶望を無視して、いつか、窮地に陥ったときにその絶望が自分に押しかぶさり身動きできなくなってしまう。

住宅地を散歩してみてください。いろいろな家があり、いろいろな庭があると思います。それにその絶望と向かい合った人の面影が少し見えてきますよ。暖かそうな家、きれいだけど寒い家、ごちゃごちゃしている家、自分が住んでいる場所からどんなものを受け取っているのか。

人は優しい心と醜い心を持っています。その醜い心をありながら、それは自分であってもそれと向き合え、それだけが自分だと思わず、優しい心で人接することができれば、心地が良いものです。

人に優しくなるには、自分に優しくなってあげてください。人に優しくなるというのは、母親が子供をあやすようなものです。母親がいなくなれば、寂しくなり、不安になり、きょろきょろして、母親を探すのが赤ちゃんです。

大人になれば冷静にこそ、なれますが、誰だって未来が見えないから不安です。誰だって、完璧であって、人に認められたいから、自分の欠点や嫌な過去を隠したいです。
でも、不安や隠したいごとに意識を使えば使うほど、それに対し、防御姿勢になり、気になってしまいます。

気にしないのではなく、向き合う。向き合い、そんな自分を認めてくれる人こそ、尊いものと感じれば、質問者さんは、その相手にとって、一生の友達になるのではないかと思います。

人の深さというのは、相手のことを良く思う、思わないの前に、人の苦しみの深さを知ってあげることだと思います。人が不安なんのは、人から攻め、責められることじゃないかと思います。

質問者以上の長文に付き合っていただきありがとうございます。
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高校時代に出来た友達は一生の宝で、大人になっていくにつれて友達は出来にくい。



高校時代にできた友達というのは、地元がちかくて盆、正月など、実家に変える時期に
集まりやすいっていうのはあると思います。
でも、なんとなくクラスが一緒だった中で、気の合う人ってかんじで、私はぼちぼちですね。
(小中学校は・・・普通に楽しんで遊んでましたが、誰とも連絡とってないくらいです)

大人になって・・・以前よりは新しい人に出会う機会も少なくなり、
きっかけもうまくいかなければ確かにできにくいのかもしれません友達。

でも、趣味で出会った人等、つながりがもっと深い友人に出会えることも
あるんですよ。

私は25歳ですが、ここ半年で知人が20人くらい増えました。
その中4人くらいはお家に行ったり、ランチ行ったりする友人もいます。
友人だけど、尊敬できる人もたくさんいて、とても楽しいです。


過去は後悔してもやり直せないのだから、今からその分楽しんでください。
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親の過度の躾によりトラウマになることはよくありますが、過ぎ去った過去は変わりません。


よく「子供は親を選んで生まれてくる」と言いますが、時間はかかりますが受け入れられる時が来ると思います。私がそうでしたから・・・

今は環境を変えるためにも友達を作ったらどうですか?
自分からどんどん話しかけて、相手の話をよく聞いて、相手を損得勘定で考えない。
ウマが合わなければすぐ判るし、いずれ心の通じ合える友達に巡り合えると思いますよ。

今は生きていくだけでも大変な時代です。
強く生きてください!
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私は33年間でした。


でもそれを払拭できるほど今が幸せなので、苦しかった時期の分も幸せになれたのだと思っています。
一番勿体無いのは、過去のことに捕らわれてしまって、現在とと未来の大事な時間をさらに失ってしまうことです。

人生には「幸せの扉」と「不幸の扉」があります。両方同時には開きません。幸せの扉を開くには、不幸の扉を閉めなければなりません。
幸せの扉を開けられる人の条件は何だと思いますか?それは「過去を語らないこと」です。過去を語ると、不幸の扉に閉じこもってしまうのです。それでは幸せの扉は開きません。

あなたは今、「幸せの扉」と「不幸の扉」の前に立っています。
どちらを開きますか?
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こんにちは。

19歳で、気付かれたとは、まだまだ早い方だと思います。

出来事は一つです。
それを良かったものにするか、後悔しか残らないものにするか、
それを決めるのは自分の心だという事、
それを常に忘れてはいけないと思います。

人は、ほとんどの人がネガティブな方向に考えてしまうそうです。
だから、そんな自分も受け入れてあげましょう。
でもね、そのまま流されるのではなくて、
やはり、良かったものに意識する、
感謝する気持ちをもつために、
どんなに辛い状況でも、ひたすら感謝の種を探すようにする、
これを習性化できれば、しめたものです。
時間はかかるでしょうが、あなたならきっと出来ます。

生まれ変わったあなたは、生まれ変わったあなたにふさわしい、
素敵な友人をこれからたくさん作る事が出来ると思います。
私も友人がたくさんいますが、高校時代の子もいるけれど、
圧倒的にその後の友人の方が関わりが多いです。

あなた言っている事は、世間一般の話かもしれませんが、
それに当てはまる必要性は全くないのです。

痛みを知らない人は、痛みのない恵みに感謝できないのです。

あなたは、感謝できる事がたくさんあるはず。
あなたはあなたの価値観を信じればいいと思うし、
それまでの過去も、それがあったからこそ、
今ある幸せに感謝出来るんだと思う事。

成功体験をたくさんして、少しづつでも前進。
自信をつけていきましょう。
数年経ってみれば、何であんな事を深刻に悩んでいたのかと、
自分を振り返る時が来ると思いますよ。応援してます!!
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