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浄土真宗ではなぜ僧侶に肉食妻帯が許しているのですか。
また無戒であるのはなぜでしょうか。

A 回答 (4件)

 少しばかりお話をさせていただきます。


>>浄土真宗ではなぜ僧侶に肉食妻帯が許しているのですか。
>>また無戒であるのはなぜでしょうか。
 これは日本浄土教に通じる質問であると考えます。親鸞聖人のお師匠様である法然上人は、『禅勝房伝説の詞』のなかで

現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくは、なになりともよろずをいといすてて、こえおをとどむべし。いわく、ひじりで申されずば、めをもうけて申すべし。妻をもうけて申されずば、聖にて申すべし。住所にて申されずば、流行して申すべし。流行して申されずば、家にいて申すべし。自力衣食にて申されずば、他人に助けられて申すべし。他人に助けられて申されずば、自力衣食にて申すべし。一人にて申されずば、同朋とともに申すべし。共行して申されずば、一人籠居してもうすべし。衣食住の三は念仏の助業なり。これすなわち、自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、何事もみな念仏の助業なり。

と説いておられます。日常の生活を送る上で浄土教においては「お念仏を称えること」が第一義です。つまり、念仏を称えること以外の衣食住を含める遊行・独処・籠居、そして妻帯にいたる一切の行為が念仏を称えさせるための行為になります。このことは念仏によって日常生活の行為の統括しようとするものであり、阿弥陀仏の他力に浴して生活するということになります。「現世をすぐべき様は念仏の申されんようにすぐべし。」とあるように、現世において念仏するという生き方が価値あるものとする考えにおいて、社会人として行う道徳的社会的な行為も、仏教徒としての持戒や布施等の行為も、さらには浄土教の信者として行う経典読誦等の念仏以外のすべてが念仏する人を助けるものとして価値づけるのです。

 よく浄土真宗の僧侶の中でも、「法然上人は生涯戒律を守った半自力半他力で、親鸞聖人こそが初めて肉食妻帯・無戒に踏み切り他力の姿を表わされた。」という方がいらっしゃいますが、これは事実誤認といわざるを得ません。上記の引用文を読めば、法然上人が一生持戒僧の姿を通したことも念仏を称えるためであったと考えるべきです。『禅勝房伝説の詞』でいえば「妻をもうけて申されずば、聖にて申すべし。」にあたるといえるでしょう。
 それに対して親鸞聖人は、「もし仏道を行ずる者が、前世からの定めによって女とちぎらねばならぬ宿命ならば、私自身が 女の身となってめとられよう。そうして一生涯汝を荘厳して、臨終には導いて極楽に生れさせよう」という観世音菩薩からの夢告を受け結婚に踏み切ります。この夢告はまさに、妻帯を念仏を称えるたの行為として捉えたものであって、『禅勝房伝説の詞』でいえば「ひじりで申されずば、めをもうけて申すべし。」にあたる部分であるといえます。
 このように考えた時、法然の持戒も、親鸞の妻帯も、念仏を助けんが為のものであって、まったく同じ意味を持った行為と位置づけられます。
 ただし、法然は「念仏の助業と思わずして身を貪求するは、三悪道の業となる。」と説いて、念仏をするためと偽ってまったく念仏をするためでない行為を、自分勝手な解釈を持って悪行を追求することは、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落ちる原因になりかねないものと強く誡めておられます。
 つまり、浄土教の姿としては、結婚しようがしまいが、戒律を守ろうが守るまいが、どちらにしても、ただただお念仏を称えることを重視するものといえます。

 次はそれぞれの質問に対して個別に見て生きましょう。

>>浄土真宗ではなぜ僧侶に肉食妻帯が許しているのですか
 また、『親鸞聖人正明伝』等の伝記によれば、法然上人の熱心な信者である九条兼実(月輪殿下)に「阿弥陀様の本願が差別なく全てのものを救うというのであれば、御弟子の中より一人、一生不犯の僧を一人選び出して結婚させて末代の在家の者が、男も女も差別なく往生できることを姿で証明いしていただけませんか?」と問われ、観音菩薩より夢告を受けていた親鸞聖人に白羽の矢が立ったというお話があります。
 この物語は全て創作であるとする意見が強いのですが、それだけで切り捨ててしまえば身も蓋もありません。別に科学をやってるわけじゃないんですからねぇ。この物語はどのような思いで創作されたか、どのような教えを伝えようとしたかを、考えることをやめてしまうのも「つまんないなぁ」と私は思いますがね。
 話を戻しまして、この物語によれば親鸞聖人の肉食妻帯は「全てのものが救われることを証明するため」と言えます。
 諸説あるものの六世紀半ばに仏教が日本に伝来した当初は、戒律が整備されておらず鑑真和上が来日するまで日本仏教界は正式な戒律をもたない状態にあって、妻帯する仏教者も数多く存在したようです。その後も、公然ではないものの他宗の中にあっても妻帯するという伝統はありました。他宗で寺の奥さんを「寺庭婦人」「大黒様」と呼ばれるのはその名残です。また、住職の息子を「真弟子」と呼んだりしていました。しかし、江戸時代に入っても真宗僧侶の肉食妻帯に対する批判をするものは多く存在していました。
 さて、妻帯ということに関してですが、これは宗教的な非常に特殊な戒律です。五戒を見ても不邪淫戒 はある意味特殊な戒律です。他の不殺生戒(殺しちゃ駄目)・不偸盗戒(盗んじゃ駄目)・不妄語戒(嘘ついちゃ駄目)・不飲酒戒(お酒飲んじゃ駄目)は、一般的な常識にも通じる所があります。 しかし、不邪淫戒はそうではありません。確かに現在は「夫婦以外の人とエッチちゃ駄目」という意味で解釈されたりしますが、本来は「エッチ禁止」ですし、僧侶になるということはこちらの意味で捉えるべきでしょう。つまり、人間が動物としてもつ繁殖するという本能を否定しています。この「不邪淫戒」のような戒律は他宗教にも見出すことが出来、どうやら聖(宗教者)と俗(一般人)を分ける大きな要素といえるでしょう。つまり、妻帯しない(またはバレない)ということが宗教者としての権威を守ることになっていたわけです。
 どうしても、「宗教者は偉いから救われるけど、一般人は偉くないから救われない。」もしくは「自分達のできないことをするから聖職者なんだ。」という風潮は今の日本にも消えません。そんな中、真宗の僧は妻帯し続けた。それが、親鸞聖人の伝記の中に現れる九条兼実の願いとなるのです。「どんな者でも救われる」それを言葉ではなく、自分自身をもって示していくことに意味を見出していったわけです。

>>また無戒であるのはなぜでしょうか
 これは、「非本願だから」という事がいえるでしょう。中国浄土教の大成者善導大師の『観経疏』には
「一心に専ら弥陀の名号を念じて、行住坐臥、時節の久近を問わず、念々に捨てざるもの、これを正定の業と名づく。かの仏の願に順ずるが故に。」
と説かれ、「南無阿弥陀仏」を称えることが阿弥陀仏の本願に順ずると説かれます。では、なぜ阿弥陀仏はお念仏を本願に定めたかといえば、法然上人は『選択集』第三章の中で「聖意測り難し(仏の御心は、我々には到底測ることはできない)」としながらも、法然自身の試みとして念仏が選ばれた要因を説かれています。その中に、難易の義というのがあり、難易とは、どちらが修し難くどちらが修し易いかということです。ここでは念仏が易行であり、諸行は難行ということになります。
 法然上人は『選択集』第三章において「念仏は易き故に一切に通ず。諸行は難き故に諸機に通ぜず。」と説いておられます。念仏は簡単ですからいつでも・何処でも・誰でもできます。諸行は難しいことですからそれなりの才能やその人の置かれた環境、財力とうの特定の条件を満たした人しか修することはできません。もし本願の行が像造起塔(仏像を作ったり、仏塔・寺院を建立する)だったとしたら、貧乏な人たちは往生できないことになってします。金持ちの人は少ないけれど、貧乏な人はとても多くいます。もし、智慧高才(才能にも優れて智慧もすばらしい)ということが往生の行であったらば、愚鈍下智のものは絶対往生できなくなってしまいます。他に多聞他見(仏本人から教えを多く聞き、仏を近くで見ていた人)と少聞少見、持戒持律と無戒破戒の比較の例を挙げて、他の諸行も同じであるとして、阿弥陀仏は一切の衆生を平等に救済するために念仏という易行をもって本願に選択されたのです。ここで言う易行とは安易な行という意味ではなく「一切の人々ができる行」という意味で念仏行の普遍性を説くのです。
 阿弥陀仏は「造像起等」「智慧高才」「多聞多見」「持戒」ではなく「念仏」のみを本願に選ばれた。だから、「戒律を守らなければ、往生できない」などとは説けないのです。阿弥陀仏は全ての人を救うための本願だからこそ「念仏」をお選びになったのですから、その言葉を信じるほか我々にはないわけです。
 先ほど妻帯についての部分でも申したとおり、「どんな人でも救われる」ことを旨とする真宗僧は「無戒」でいることで、「私などでも救われるのですから、あなたが救われないわけがない」ということを体を持って表わしているわけです。

 まぁ、偉そうに長々述べましたが、私は好きな女性が出来たので結婚しましたし、また戒律は「守らない」のではなく「守れない」のです。けれども、こんなどうしようもない私を思ってくださる阿弥陀さんがいてくれる。なんかそれだけで嬉しいんですよ。
 読み返してみますとまとまりのない乱文どうぞお許しください。こんな文章でも参考にしていただければ幸いです。
 合掌 南無阿弥陀佛
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

>念仏を称えること以外の衣食住を含める遊行・独処・籠居、そして妻帯にいたる一切の行為が念仏を称えさせるための行為

ああ、そうなんですか。勉強になります。

>法然上人が一生持戒僧の姿を通したことも念仏を称えるためであったと考えるべきです。

ナルホド。

『親鸞聖人正明伝』の伝記は興味深いです。
「全てのものが救われること」を親鸞は身をもって証明しようとしたのかもしれませんね。

>阿弥陀仏は「造像起等」「智慧高才」「多聞多見」「持戒」ではなく「念仏」のみを本願に選ばれた。

ナットク、です。

>この物語は全て創作であるとする意見が強いのですが、それだけで切り捨ててしまえば身も蓋もありません。

いやー、そのとおりです。
物語や伝説がどのような思いで創作されたか、を考えることはとても科学的な態度だと思います♪

お礼日時:2009/12/11 08:57

「僧侶に」というご質問なのですが、まず、在家の人、「浄土真宗」というご質問ですが、先ず、法然を考えますと、



大雑把に、おそらく、法然は…

たとえば、仮に、お寺の敷地や伽藍、五重塔を寄進するといった善行を積まないと救われない(たとえば浄土に往生できない)となると、人口のごくわずかの人しか救われないことになってしまいます。全ての生きとし生けるものが、あるいは、全ての人が救われるはずだという信仰と実態が反してしまいます。

あるいは、朝から晩まで、なにやら、大変な修行をしないと×とか、経典をめちゃくちゃに勉強しないと…ならば、在家の生活者では、実際問題できない人が大半となって、それなら救われないのか?

ジャイナ教でしたか、虫を吸い込んで殺してしまってはいかんというのでマスクをして…という信仰の実践、信仰に生きる生活をされている人々がいると思います。が、では、武士(法然のお父さんは武士ではなかったかと思います)、猟師、漁師…だったら救われないのか…。あるいは、一般大衆で、肉や魚を食べるなとなると生きていけない人もいるのではないか…

仏様の願いに一番かなうものとして仏様が選ばれているものは何なのかというのを、比較検討して説明していくと、結局、称名念仏が本、他は、座禅とか、なんか修行とか、やったらやってかまわないし、やるなということではないですが、一番、仏様の願いにかなうとして、仏様が選んでいるのは、称名念仏。称名念仏以外のことは、やってもいいし、やらなくてもいい、どっちでもいい…。

親鸞は一宗派を興したつもりはなく、仏様のお導きで、法然さまに出遭えてよかったなぁ、法然さまのおっしゃることをただ信じるだけという、一独立個人のつもりではなかったでしょうか。

法然は独身の方が念仏しやすいなら独身で念仏しなさい、結婚した方が念仏しやすいなら結婚して念仏しなさい…というようなことを言われているはずなので、法然本人の場合は、独身の方が、念仏しやすかった、親鸞は、結婚した方が念仏しやすかった。

時代はくだって、浄土真宗教団は、門徒は、御同行、御同朋というわけで、一緒に念仏するサンガという伝統なのだと思います。

たとえば「一般の門徒の方はぁ~」という物言いは、多分、ちょっと違和感があって、その場合、一般の門徒と一般ではない門徒とはなんだ、となるような。

僧侶は出家した偉い人、檀家は自分は出家したいができないが、代わりにお布施という関係ではないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
返事が遅くなって申しわけありません。

やはり全ての人が救われるために、ということですね。

おっしゃられるように親鸞には一宗派を興そうという気はなかったのでしょう。
しかし、その後彼がカリスマとして教祖と崇められるようになったのはなぜでしょうか。

やはり堂々と妻帯した、ということのインパクトが大きかったのでしょうか。

お礼日時:2009/12/15 15:35

あくまでも素人の「こうなんじゃないの」という程度の話として聞いてください。



まず、宗祖の親鸞ですが、この人はそもそも僧侶としての戒(肉食をしない、妻帯をしないなど)を捨てた人です。それは何故かというと、他力本願=阿弥陀如来の本願に救ってもらう、だからです。僧侶として修行をして自力で極楽浄土へ行くという発想そのものが間違っている、阿弥陀如来は我々を救ってくれると言っているのだから、ただそれを感謝して「南無阿弥陀仏」と唱えれば良いのだ、ということなのでしょう。

ですから自分のことを「愚禿」(ただの、おろかなハゲ)と言っていますね。また、同じ浄土真宗を信仰する人達は「同朋同行」(同じ信仰の仲間)であるとも言っています。

つまり、浄土真宗はその出発からして、僧侶という特別な「地位」を持たない信仰集団で、言ってみれば信者の集まりだったわけです。親鸞自身の意識としては、自分が宗祖だの開祖だのという意識すらなかったのではないでしょうか?

ただ、信仰集団が「教団」となる過程で、どうしても「組織」が必要になりますし、組織にはリーダーも秩序も必要になってくる。ここで、教義を布教し、信者を統率するリーダーとしての専門職「僧呂」が生まれてくる。その辺を整備したのが、室町時代の蓮如という人です。

しかし、元々の親鸞の発想から敷衍すればその専門職はあくまでも信仰上のリーダーに過ぎないわけで、親鸞同様、普通の意味では僧侶ではありません。つまり戒を守る必要は無いわけです。大谷派の門主さんなんかは、皇室と縁組みしてますし、当然有髪です。そもそも門主の地位が代々親子で相続されている、ということが僧だったら(妻帯しないのだから)「あり得ない」話でしょう。

ものすごくざっくり言えば、キリスト教のプロテスタントの牧師さんに近いのではないでしょうか? 牧師さんは信仰集団のリーダーという位置付けで、カソリックの僧とは全然意味合いが違います。こちらも牧師さんは結婚できますよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

普通に人間としての生活をしていても
阿弥陀さまが救ってくださるという思いが親鸞さんにはあったということですね。

「愚禿」「同朋同行」というのは知りませんで、勉強になりました。

だけど親鸞さんって日野家の長男として生まれたのに
なぜ9歳で出家したんでしょうね。

そのあたりにも親鸞の思想をよみとくヒントがあるようにも思います。

たいへん、参考になりました。

お礼日時:2009/12/11 08:36

生身の人間である以上性欲を断てない



生身の人間である以上戒律を完璧に守る事は出来ない

それが人間の真実の姿であるから人間は自力で救われない

良いも悪いも阿弥陀に任せするしかない。


こんなところじゃないでしょうか。。
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この回答へのお礼

おー、シンプルだけどよくわかりました。
回答ありがとうございました!

お礼日時:2009/12/11 08:24

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