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岡本一志氏という親鸞会の人の仏教通信講座を受講しているのですが、岡本氏は親鸞会の教え通りに善因善果、悪因悪果、自因自果の因果の道理には億の一つの例外もなく、被害にあう側には何の落ち度もない犯罪の被害にあうのも被害者自身の過去の悪業の報いだとしています。私は仏教については全くの素人ですので、その教義については正しいのか間違いなのか判断が付かない立場です。しかし私は30年以上前にどこかの図書館である原始仏典の中で、ブッダが「行いの正しい人が災難にあう場合もある」と説いた文章を読んだ記憶があります。それでその件について岡本氏に質問したいのですが、それがどの仏典のどこの個所に書かれているかということが分かりません。もしそのことについて知識のおありの方がおられればご教示いただきたいのですが。

A 回答 (5件)

まず、上座部仏教の経典に何が書かれていようと、岡本一志氏には関係無いと思いますよ。


浄土真宗と上座部仏教はその教義においてギャップがあるからです。
輪廻転生に関して、釈迦が話しているかどうかはあまり関係が無いんです。
因果応報を教義としているのならば、それを否定している経本が、浄土真宗の経典や親鸞の書の中に無ければ意味がありません。
多分、上座部仏教の経典にそれが書かれていても、その解釈が間違っていると、一刀両断されるだけだと思います。
ただし、浄土真宗でも、宗派によっては、そのような教義では無い場合もあります。
もし、納得できないのであれば、岡本一志氏の通信講座はやめられるのが、得策だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私も親鸞会の因果論原理主義には、実のところ大きな心の重しになっております。先日母の初盆の時に西本願寺の僧侶の方に光市母子殺害事件の被害者母娘も自業自得で殺されたのですかと質問したら本願寺派ではそのようには考えないとおっしゃってくれました。これからは岡本氏の話は参考程度に聞くだけにしたいと思います。

お礼日時:2016/08/14 18:42

『末燈抄』や『歎異抄』に:



 義無きを以って義とす。

という命題があります。

事実としての因果関係について 善悪の倫理観をもふくめて捉えよう
とする因果応報説。これについても そのような倫理の≪義 の無き
を以って 義とする≫というのが 親鸞の信仰観であると思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。親鸞聖人が親鸞会のような人間を縛り上げる因果論を説かなかったのであれば、とてもホッといたします。これからは岡本氏の話は参考程度に受け止めたいと思います。

お礼日時:2016/08/14 19:07

失礼しました。



No.11 の末尾の誤りです。
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この回答へのお礼

私も岩波文庫のスッタニパータは持っているのですが、該当する箇所が見当たらない様です。もっとよく読んでみます。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/08/14 15:43

岡本氏の因果説についての解釈は間違いです。


例外はないとしても、現れ方が千変万化だからです。
ブッダの言うことが正しいです。
直接には心に思う事自体が果であり、因となります。
心がそうした状態に成る、好ましい状態好ましくない状態に成る、成った、と言うことです。
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この回答へのお礼

私としては岡本氏の論に異議を申し立てるために「行いの正しい人でも災難にあう場合もあると」書かれてあるのがどのお経のどこかを知りたいのですが...。仏教って本当に難しいですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/08/14 15:29

この、かなり後半の回答に答えがあるように思います。



No14の答えの末尾近くに、かな?

違ったらごめんなさい。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7696557.html?pg=1&i …
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この回答へのお礼

私としましては因果論の例外を認めたブッダの言葉がどの仏典のどこにかかれているのかを知りたいのですが。

No.14によると例外はなしということみたいですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/08/14 15:21

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