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【仏教とキリスト教って起源はどっちが古いの?】


仏教ってキリスト教の教えから学んだのなら仏様には願い事(悩み)を聞いて貰うキリスト教の教えがいつから願い事(悩み)を叶えてくれるものに変化したのですか?


イスラム教の教えはキリスト教から学んだと言っている箇所を明白にしているのでイスラム教はキリスト教より起源が浅いことが分かるしイスラム教を願い事(悩み事)を叶えてくれる神様ではなく自分の人生は自分の力で生きるが生きるに当たっての先人たちの知恵の知見を与えるものでイザコザの解決に使える先人のイスラム教の知恵は医学から法律まで多岐に渡る知識本だった。

仏教はキリスト教より起源が新しいはず。なぜなら仏教の教えはキリスト教の教えのパクリ部分があるから。人を救う仏は願い事(悩み事)を聞く者だったはず。

それなのに今の仏教は願い事(悩み事)を解決してくれる願えば夢が叶うような神様の扱いになっている。

これは独自の進化だが正しい進化ではないと思う。

なぜ神仏に願い事をすれば叶うみたいな文化になったのか歴史を教えてください。

誰かが間違えて伝聞した所為だと思う。

どこにも神仏が願い事を叶える、叶えてくれる存在など教えていない。

A 回答 (4件)

メチャクチャな解釈ですね。



僕はサンジェルマンではありませんから、
仏教やキリスト教の期限を実際に見たわけではありませんが
「あたりまのじょうしき」として
仏教のほうがはるかに古い宗教です。

キリスト教はもともとユダヤ教からの派生みたいなもので
後発のイスラームとも同じ唯一無二の「神」です。
ただし解釈が全部違う。

仏教はそもそも「神」を崇めていません。
普通の一般人が悟りをひらいて人としての限界を超え
「それ以降の生き物としての人生などどうでもいい」
と思ったのだけど、
自身と同じ悟りをみんなにも広めて幸せになってもらおう
として始まったもの。

唯一無二の神は、人類の進化によって森林が荒廃し始めた地域で
心の拠り所みたいな感じで派生したと言われています。
虐げられた種族が「いつか救われる」と信じで始まった宗教。
一部種族の教えが万人の教えになり、
さらに進化した文化的ノウハウを加えて、
ユダヤ・キリスト・イスラームとなったと思います。

誰でも努力すれ「仏」になれるとする仏教は
もともとオカネモチの王子様が世捨て人になって始まったもの。
昔々は非常に豊かであったインド地域において
食べる事に不安を感じることもなく悟りの境地に達した。
それが、一般の悩める人にも伝承されたものと思います。

古代キリスト教と古代仏教で明確に違うところがあります。

キリスト教は布教に際し、必ず2名で行くように指示され
排他的な暴力に遭遇したら逃げるように指示されていました。
まずは布教者の安全が第一だったのです。

仏教の布教では必ず1名で行くように指示され
暴力に遭遇したらそこに留まり、暴力を受け入れ
なぜ暴力を振るのかを相手に悟らせろ、とされてました。
布教者は死んでも構わない、相手に尽くせ、としたのです。

物欲的なものが入っている今の宗教は
どちらもかなり変質していて
教祖の教えなどまった無いに等しいですが
上記のような違いがあります。

どちらも正しいし間違っています。
それを受け入れようとする人がどう考えるか、です。
願い事を叶えてくれるとか、
そういう俗世の思考は宗教比較には存在しませんが
何事も「信じれば救われる」とだけお伝えします。
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この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます

お礼日時:2017/04/08 13:34

>仏教とキリスト教って起源はどっちが古いの?



他の方も回答されている通り、仏教です。

仏教は、何を指して仏教というかと言えば、釈尊在世の時に釈尊自らが生涯を通じて説いた教えを指して
仏教と言います。今、日本の多くの“仏教”といわれる宗派の多くは、この釈尊の教えに基づいていないものが多い。
だから、日本の仏教の多くは、実は仏教ではない。これは事実です。

そもそも、キリスト教はイエス・キリストが創設したものではありません。
キリストはユダヤ教の原理主義者で、当時の形骸化したユダヤ教を否定したため、処刑された。
その後、弟子たちの手により、ヨーロッパの地で確立された。

>なぜ神仏に願い事をすれば叶うみたいな文化になったのか歴史を教えてください。
>誰かが間違えて伝聞した所為だと思う。
>どこにも神仏が願い事を叶える、叶えてくれる存在など教えていない。

そもそも、釈尊滅後に仏閣や仏像が多く建立される時代が来る事は、釈尊在世に予測されていたこと。
それによって、僧を始め信徒(最初は貴族階級)の祈祷が後々の願いに繋がる。
ともとも、日本の仏教が興隆していく背景にも、今の世の中のようにオカルトチックな要因を強く含んでいた。
呪いとか祟りとかの類。天災や飢饉などもそうした神仏の影響によるものとも考えられていた。
今のように、個人が祈るという事ではなくて、国家を上げて祭壇を設けて祈祷するようなスタイルでした。

これが、大衆に降りてくるのは鎌倉時代の法然の浄土宗が最初で、武士階級から農民に至るまで、念仏により
死んだら極楽浄土の阿弥陀仏のもとに行けると行った思想の元、個人的な崇拝が広まった。しかし、これがそもそもの
間違いであるという事は、現在でも否定されていない。そんなことで極楽なんて行けるはずがない。

また、質問者様仰る通り、自身の生命の中に仏性をもとめる以外に、何の変化もないし、神仏に自身の悩みを祈ったとて
叶うはずはなかろう。この点は、もはや仏教ではなくて外道(神仏に原因があるように、事の解決を祈りとして自分自身以外に
求めてしまう事)に成り下がってしまっている。
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日本の歴史


・神道の場合
 神社に祈願する事は、古くから行われています。特に平安時代後期には、宇佐八幡宮が源氏の氏神となった事により、『吾妻鏡』や『太平記』に見られるように、多くの武士によって神に祈願が為されました。
・仏教の場合
 飛鳥時代に日本に伝来した仏教は、その後、国家の統制下に置かれ、寺院も国家や有力氏族によって建立されるようになりました。その経緯から寺院では国家の発展、疫病防除、万民の健康を祈念するようになりました。
 平安時代になると、仏教信仰が貴族の間にも広まり、一部では奈良時代から既に行われてきましたが、各氏族で個々に寺院を建立するようになり、そこで氏族の繁栄を祈念しました。
 鎌倉時代になると、仏教信仰が武士にも広まり、各武士の所領に当主や一族の繁栄や無事を祈る祈願寺が建立され、やがて戦死した一族を祀る菩提寺と一体化しました。
 室町時代になると、仏教信仰が庶民の間にも広まり、各地の寺院に願い事を行うのが一般的となり、願い事を書いた祈願文が奉納されるようになりまた。
 江戸時代になると、旅行が大衆化し、それまでは近隣の寺社にのみ参詣していましたが、善光寺や四国八十八箇所のように、遠隔地の寺社へも参詣するようになり、様々な祈願が各地の寺社になされるようになりました。
 ちなみに、近代以前の祈願とは、例えば「~の願い事を叶えて頂いた暁には、燈籠を奉納します」のように神仏との契約であり、現代のように、願い事を行うだけの一方的な関係ではありませんでした。これらの契約によって行われた施設の補修や調度品の奉納などを、2005年現在も見る事が出来ます。
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仏教にキリスト教の影響が見られる、という話なのか起源の話なのか頭のなかを整理しましょう。



起源で言えば二千年ちょっとのキリスト教に対して仏教はその五百年前に発祥と考えられていますね。

これを覆す根拠を提示するのは難しいですよ。

ちなみにキリスト教の元になった(というのはちょっと乱暴ですが)ユダヤ教の歴史はキリスト教より八百年ほど古いということになっています。
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