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日本人は原爆に特別な思いがあるとおもいますが以前テレビでアメリカは原爆の事件をとても誇らしくかたっていました  原爆の写真を服にプリントしたり絵画にしたり  それがまたたくさん売れているとか 
なぜこんなにも温度差があるんですか?またアメリカ人は原爆の事件についてどう思ってるんですか

A 回答 (9件)

一般的な見解は、#1さんがおっしゃっている通りなのでしょう。


#4の方の逸話も理解できる気がします。

能天気に見えるのは、
あまり原爆のことを知らないアメリカ人が多いからというのもあるんじゃないでしょうか。
米国人は日本人以上にバラつきがあるので、全体的に知識が豊かなわけではなさそうですよ。
あとは、軍人や兵士が戦うことは立派だ、我々が勝利することは素晴らしいという考え方が基本にあるので。

米国を擁護する気はさらさらありませんが、
思考回路の違いもあるんじゃないでしょうか。
日本人と米国人と根本的に何かが違うので、感覚的にお互い不思議に感じる、理解不能の部分があるんじゃないかと。

もし合衆国がどこかの国から(あるいはテロリストから)あんなものを落とされたら、あの人達はものすごく怒るはずですよ。
怒るなんてものじゃないでしょうね。
そういう人達だと思います。
別に個人的に米国人が嫌いなわけではないのですが。

もちろん個人差はあります、反核・反戦の米国人もいますし。
でも多数派ではなさそうです。
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 他の方が言及していない視点から参考までに。



 第二次世界大戦後もアメリカは戦争を続けています。
 戦闘の巻き添えで、民間人の死者を1000人以上出した戦いを上げても、朝鮮戦争・ベトナム戦争・イラク紛争・現在のアフガニスタン。

<大規模に軍を動かした例・核兵器がらみの軍事外交>
1946年:イラン
核による脅し:ソ連軍が北(イラニアン・アゼルバイジャン)を去るよう要求。
1946年:ユーゴスラビア
海軍:米国機撃墜への対応。
1947年:ウルグアイ
核による脅し:力の誇示のため爆撃機を配備。
1948-49年:中国
軍隊:海兵隊が、共産主義の勝利の前に米国人を撤退させる。
1948年:ドイツ
核による脅し:核兵器搭載可能爆撃機による、ベルリン空輸の護衛。
1950-53年:朝鮮
軍隊、海軍、爆撃、核による脅し:米国、韓国の中国、北朝鮮との戦争が行き詰まり。1950年に投下の脅し、1953年には中国への投下の脅し。いまだに基地を所有
1954年:ベトナム
核による脅し:仏に対し、包囲を破るため核の使用を提案。
1954年:グアテマラ
コマンドオペレーション、爆撃、核による脅し:新政府が米国企業を国有化した後CIAが亡命者の侵入を指揮
爆撃機をニカラグアに配備。
1956年:エジプト
核による脅し、軍隊:スエズ危機に関与しないようソ連に要求。海兵隊は外国人を退避させる。
1958年:レバノン
軍隊、海軍:反乱に対し海兵隊が占領。
1958年:イラク
核による脅し:クウェートへの侵入に対しイラクに警告
1958年:中国
核による脅し:台湾島で活動しないよう中国に要求。
1960-75年:ベトナム
軍隊、海軍、爆撃、核による脅し:南ベトナムの反乱および北ベトナムと戦争。米国最長の戦争で100~200万人が死亡。1968年と1969年には原爆使用の脅し。
核による脅し:ベルリンの壁の危機に際し核で警告。
1962年:キューバ
海軍:ミサイル危機の間海上封鎖。ソ連との戦争の一歩手前。
1964年:パナマ
軍隊:運河返還を主張したためにパナマ人を射殺。
1965-66年:ドミニカ共和国
軍隊、爆撃:海兵隊が選挙運動中に上陸。
1967年:デトロイト
軍隊:陸軍が黒人と戦闘、43人殺害。
1968年:アメリカ
軍隊:キング暗殺後都市に21,000人以上の兵士投入
1969-75年:カンボジア
爆撃、軍隊、海軍:爆撃、飢餓および政治的混乱の十年間を生み出す。
1971-73年:ラオス
爆撃:農村に「絨毯爆撃。」
1973年:中東
核による脅し:中東戦争の間世界的に警戒。
1980年:イラン
軍隊、核による脅し、中止された爆撃:大使館の人質を救出するための襲撃。8つの部隊がヘリコプターの墜落で死亡。ソ連は革命に関与しないよう警告された。
1982-84年:レバノン
海軍、爆撃、軍隊:海兵隊がPLOを追放し、ファランジストを支援海軍がイスラム教徒とシリアの位置を爆撃砲撃。
1983-84年:グレナダ
軍隊、爆撃:革命政権に対する攻撃。
1986年:リビア
爆撃、海軍:民族主義者の政府を倒すため空爆。
1987-88年:イラン
海軍、爆撃:米国が戦争中のイラク付近で干渉。
1989年:バージン諸島
軍隊:急襲後の聖Croix Black動乱。
1989-90年:パナマ侵攻
軍隊、爆撃:民族主義政府が27,000人の兵士によって排除され、指導者は逮捕、2000人以上が殺された。
1990-?年:イラク:湾岸戦争
爆撃軍隊海軍:イラクとヨルダンの港を封鎖空爆侵入の中で200,000人以上がイラクとクウェートで殺害された。北のクルド人地域、南のシーア派地域を飛行禁止区域に、イラク軍を大規模破壊。
1992年:ロサンゼルス
軍隊:陸軍と海兵隊が反警察暴動に対して展開。
1992-94年:ソマリア
軍隊、爆撃、海軍:内戦の間、米国に主導された国連が占領。モガディシオ派に対する急襲。
1992-94年:ユーゴスラビア
海軍:NATOがセルビアとモンテネグロを封鎖。
1993-95年:ボスニア
ジェット機、爆撃:内戦の間、飛行禁止区域をパトロール。ジェット機を撃墜、セルビア人を爆撃。
1994-96年:ハイチ
軍隊、海軍:軍政に対する封鎖。軍隊はクーデター3年後にアリスティド大統領を官邸に戻す。
1995年:クロアチア
爆撃:セルビアのクラジナ飛行場は、クロアチアの攻撃前に攻撃された。
1996-97年:ザイール(コンゴ)
軍隊:海兵隊が、コンゴの革命が始まった地域にあるルワンダのフツ族難民キャンプに駐留。
1998年:スーダン
ミサイル:製薬工場を「テロリスト」の神経ガス工場だとして攻撃。
1998年:アフガニスタン
ミサイル:大使館を攻撃したとして、イスラム原理主義者グループが使用する、かつてCIAが訓練していたキャンプを攻撃。
1998年:イラク
爆撃、ミサイル:武器査察官がイラクの妨害を主張した後、4日間の集中的な空爆。
1999年:ユーゴスラビア
爆撃、ミサイル:セルビアがコソボからの撤退を拒否した後、NATOの激しい空爆。
2000年:イエメン
海軍:米艦コールに対する自爆攻撃。
2001年:アフガニスタン
米国はタリバン、ビンラディンを攻撃するため大量の動員。

 アメリカの核・軍事外交に対して、日本はこの60年以上、インド洋の給油とソマリア沖海賊対策を除いて国連のPKO以外の軍事行動はしていません。(戦争後の自衛隊の支援も、イラクの機雷除去と復興支援だけです。)
 日本の自衛隊が海外の他国領土でその国の民間人を殺害した人数は、0ですが、アメリカは10万人は下りません。
 
 日常生活でも、アメリカ人は拳銃を保持が可能ですが、日本人は持っていません。

 軍事・武器に対して、これだけの感覚の違いがあります。
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 端的に言えば「戦争と大量虐殺の区別が出来ていない人が多い」


ということだと思います。
 アメリカ人のほとんど、そして、今までの回答を見ると、日本人の
多くは、原爆投下が戦争行為と思っている。

 軍事博物館は、世界では普通にあるものです。しかし、ナチスの
ホロコーストを象徴する写真を服にプリントしたり、絵画にしたら
大問題です。原爆についても同じことなのに、やはり温度差があります。
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勝者の論理と敗者の論理の違いがはっきりしていますね。


原爆に対する日本人の思い入れは確かに大きいものがありますが、これをmasscre(無抵抗者の虐殺)として抗議する世論の高まりがないから、勝者は平然と構えている。原爆記念日も「戦争を許すまじ」という自己反省に軸足があるように感じられるし。
南京事件は日本国内ではもいまだに論議が沸騰しているのに……
不思議な日本人心理ですね。だから自虐なんだね。
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「原爆投下によって戦争を早く終わらした」というのはアメリカ側の


言い訳であって、本当の理由はそれではありません。
それなら朝鮮戦争でもベトナム戦争でも、その他の戦争でも、原爆を
落として早く戦争を終わらせれば、よかったのではないでしょうか。
原爆をつくり、それを使用し、それを肯定する人間がいる。
愚か、としかいいようがありません。
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 ある時、アメリカのトーク・ショーというのか、視聴者が電話で意見を述べそれにパネルの人が返事をする、というものを見ていました。

話題は貿易赤字のことになり、日本からの輸入品が増えて、アメリカ人の失業率が上がっている、という話になり日本からの貿易攻勢は「まるで真珠湾攻撃のようだ」と誰かが言いました。

 「じゃあそろそろヒロシマだね」と司会者が言いました。この発言には原爆を落とした罪悪感はみじんも感じられず、日本がアメリカにまた危害を加えればそれに応じた復讐をする、という雰囲気に、温度差を感じました。
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私はニュースなどでアメリカ人の発言を見ることしかありませんが、それでも、反応はいくつかあります。


原爆について強く反発する人もいますし、現在でも原爆が必要だとする人もいます。

日本に原爆を使用したことについては、基本として、戦争を集結させたという事実があります。

ひとつには、戦争終結は全ての人にとって喜ぶべきことであって、大変な功績です。
もちろん、原爆と言う兵器について考察すべきですが、アメリカ国民にとって戦争終結を誇りに感じるのは当然のことです。

一方の日本人ですが、太平洋戦争には加害者としての要素を多く持っているはずです。
にもかかわらず、戦争の話になると、悲惨さばかり際立たせて、加害の反省はあまり聞かれません。

原爆の悲惨さを語ることはとても重要ですが、その原因の一端は、日本帝国軍にもあるということを考えるべきです。
日本人の中に、当時の軍部を追求する声が少ないことも、大きな問題です。

日本人も、大和ミュージアムを作って、大和グッズを販売しています。
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アメリカ人ではないのでどう思っているかについてはわかりません。


ですが、日本人でも温度差あると思います。
もう忘れてきている人多いですよね。
私は長崎出身、旦那は広島出身という被爆地夫婦なので、勿論原爆の日が何月何日か、何時何分だったかすぐに答えることが出来ます。
それは小さいころから学校で習ってきたし、毎年黙祷をその時間にやっていたからです。
多分、広島・長崎出身の人は皆そうだと思います。
しかし他県の方はこの何月何日か、何時何分だったか知らない人多いんです。ビックリしました。
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アメリカの一般的なコンセンサスは、


「原爆投下によって戦争終結が早まった。結果、原爆を投下せず本土決戦をした場合に喪われたであろう多くの連合軍将兵(主に米兵
)の命が救われた。よって原爆投下は正義である。」
です。ある意味全くの正論です。
戦争遂行に於いて、あらゆる手段を用いて、自軍の損耗を最小限にし、勝利すると言うのは極めて当然のことです。
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