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そもそも「哲学」ってなに?
自分なりに考えてみたけど、多次元的な事象を1次元的な「言葉」に変換すること、もちろん事象を見る方位期間によって様々な「言葉」で表現できる、ていう。私の思考はここまでが限界です。
皆様の様々なご意見をお聞かせください。

A 回答 (9件)

環境認識において、それぞれ個別の対象や現象を有する


学問(物理学、生物学、社会学etc.)を除いた全て。

この回答への補足

なるほど。私の観察からすると「確かにそうだわ」と思いました。

ということは「学問でない」けど「哲学」て表現する、てことですね。
(特定の学問分野と思ってる人々が多い)

レスありがとうございます。

補足日時:2010/01/16 04:08
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ものの見方・考え方のことだと思います。

昔、「ものの見方、考え方」という哲学の本を読みました。
世界観・人生観(歴史観)といってもよいでしょう。
NHK高校講座の倫理の授業で、いろんな哲学者や思想家のことを学べます。
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_rinri/
自然観を組み立てるには、物理、化学、生物、地学、理科総合、数学などを学ぶことが必要です。
社会のことは、現代社会、倫理、政治経済、地理、日本史、世界史も学んでください。
論理、記述については、国語、数学を学ぶのでしょうか。
岩波書店から哲学講座が出版されています。1960年代の古い岩波講座「哲学」2,6を持っています。
2は、「現代の哲学」、6は、「自然の哲学」です。真下信一「哲学の現代的状況」や、坂田昌一「現代科学の現代性」など、今読んでも、新鮮です。坂田昌一博士は、名古屋大学理学部で理論物理学を研究、教育しておられました。一昨年、ノーベル物理学賞を受賞したお二人が、名古屋大学物理学科の出身でした。
NHK高校講座の国語の授業で、坂田昌一博士の「科学の現代的性格」という文章を学んだことがありました。
問題、課題をつかまえること。「核兵器の廃絶」でもよいでしょう。生きているうちに、実現できるかどうかわかりませんが、その運動に参加することです。
OtamaFJ さんの暮らしている都道府県に、課題があると思います。環境問題、政治の問題、暮らしの問題、農林漁業の問題。頭の中で解くことはできても、現実は変わりません。問題をつかんで、よくよく考えて、解決のために動くのです。坂本竜馬のように。直江兼続や前田慶次郎のように。
そのときに、横井小楠や、細井平洲、孟子、孔子、老子などの教えが役に立つと思います。
最近、「エントロピーの法則」という本を読みました。28年前の本ですが、見事に予見があたっています。祥伝社、ジェレミー・リフキン著、竹内均訳です。古本屋でさがしてみてください。
http://www.ruralnet.or.jp/zensyu/syoku2.htm

参考URL:http://www.nhk.or.jp/kokokoza/
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主観的な言葉は、1次元的です。



主観はどこまでいっても主観でしょう。
普通ならぼやき、最悪の場合、宗教的ドグマという形で社会に害悪を及ぼすようになる。

ところで
自分が有名な陶芸家であると仮定してください。
陶材にもいろいろあることを知るようになります。

最適な陶材を探している自分が、哲学する自分です。

ろくろを舞わす、ダイナミックな一体感が手通我苦体系です。

また自己の最高傑作が幸せと呼ばれるもの。哲学とはそういうものだと思います。

他者の最高傑作を一元的・一次元的・時系列的と「批判」することは出来ますが、
じつは
「自己の最高傑作」を作り出す為には、四命尊堯する心をもつことが早道なのです。

一方、

「1」という概念について考えてみてください。

「1」は、抽象的中立です。「一」は超越しています。「I」は、直感的客観です。
主観ではない。主観ではない概念は存在します。

「1」という言葉をもう一度、考えてみるべきではないでしょうか?

「いち」について考えることが正統な哲学です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。「言葉自体が1次元的」に思えて仕方ありません。
>「いち」について考えることが正統な哲学です。
様々な定義があるんですね。小生には難解です。

お礼日時:2010/01/16 11:17

こんばんわ。


そもそも「そもそも論」ほど難しい問いは無いですね。

そもそも人間ってなんだ?
そもそも世界ってなんだ?
そもそも何で生きてるんだ?

そもそも質問者様は何故このような問いを持ったんでしょう?
それを考える事もこの問いの回答になると思います。

この「そもそも論」を自分で考えるのではなく他人に聞くのはある種の思考停止だと思いますよ?失礼ながら。

「哲学」に限らず人間は「そもそも何?」と問います。何故問うのでしょうね。
「言葉に変換」と仰ってますが、それは「解釈」と言う意味でしょうか?実はそれが哲学的動機そのものだと思います。

生命・世界・人間・宇宙、これら得体の知れないものを人間は放っておけないんでしょう。だからあらやこれやと解釈してとりあえずホッとするのではないでしょうか。
人間は言語を操る存在ですからね。思考だって言語がなければできません。

では何故「解釈」すればホッとするのか。
ニーチェは「征服欲」だと言ってます。

この得体のしれない存在を言語化することで自己に取り込む、そのような意味だと思います。

では何故征服すれば安心するのか?
ここから先は私も良く分かりません。哲学的回答もあるかもしれませんが、恐らく生理的な分野に入ると思います。

思考や感情以前に、人間は生理的存在ですから。

失礼致しました。

この回答への補足

>他人に聞くのはある種の思考停止だと思いますよ

あくまで参考にしたいのです。よろしゅう。

レスありがとうございます。

補足日時:2010/01/16 04:06
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考えること。

この回答への補足

何の為に?

目的もなく考えるのは楽しい遊びみたいですね。

しかし、問題解決のために「考える」なら、目的もあっていいと思いますよ。考えて、創造する。これが自然な流れ。

補足日時:2010/01/16 04:18
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 こんにちは。



 ★ 多次元的な事象を1次元的な「言葉」に変換すること、
 ☆ たぶん そこに価値判断を容れると思います。容れないと言っても すでに《言葉に変換すること》は 一人ひとりの主観において為されます。
 たしかにそのときにも 価値判断とは言っても 倫理学のように善悪判断の範例や規範をそのまま出すというわけでもないでしょう。ないでしょうが 哲学としても ひとの志向性といった領域に首を突っ込んでいるでしょうから 価値判断のさまざまなあり方やそれらの形式をしっかりと考えておくことと思います。
 それに 信仰ないし神についても 哲学としての見方をしっかりと持つはずです。

 つまり《言葉に変換すること》には 主観とその判断のあり方がからまっていますし ほんの少し志向性として《その変換した内容を 自己の生活や社会の中でどう処理するか あるいはどう実現するか》といったまさに主観的な意志の問題をも扱うと考えます。
 つまりは このようなさまざまな主観の内容に関して そこに無論のこと 普遍性を問い求めていくはずです。

 ★ もちろん事象を見る方位期間によって様々な「言葉」で表現できる、ていう。
 ☆ ですから この《事象を見る方位や期間》の違いによっても変わらない普遍的な内容を問い求めると言ったほうがよいのではないでしょうか?

この回答への補足

あなたの言葉を読んでいると、正直あたまの悪い私には理解できません。
この世界が分断されていないように、学問も分断せず、環境認識学みたいな全方位で壁のないの学問を新たに作られることをお勧めいたします。

レスありがとう。

補足日時:2010/01/16 04:14
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#2です。連続投稿すみません。

ある哲学者は、
「哲学とは、知的エロスである」
と言っています。

僕は、この定義が気に入っています。
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この回答への補足

エロスは特定の学問じゃないから、上の方の意見にも似た感じがして好感をもちました。

レスありがとうございます。

補足日時:2010/01/16 04:55
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他でも、類似の回答をしましたが、OtamaFJ さんの思考は、どうも、短絡的な物を感じます。
自分で考える事は、大事ですが、それだけでは危ういと思います。
孔子が次ような事を言っています。

学んで思わざれば則ち罔し 思うて学ばざれば則ち殆し
http://meigen.shiawasehp.net/k/koushi04.html

哲学とは何か?
これは、多くの哲学書に、様々な定義が書かれています。
立ち読みでもいいです。ネット検索でもいいです。
これらを元に、考え、その上で質問されてはいかがでしょうか?
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この回答への補足

大卒でなく知能の低い私ですが、短絡的な思考でしょうか。

私の場合は直感的な右脳系で、環境認識する「左右脳」の連携が30代になってやっとできてきた次第ですので、思考については赤子同然かも。

補足日時:2010/01/16 04:59
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私は単純にしか答えられませんが…



考えることが好きな人のための、“玩具(がんぐ)”かな。

この回答への補足

そういう人が多いですね。
何か、認識を深める、という目的があれば、意味もあるのでしょうが。

補足日時:2010/01/16 04:53
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