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時の流れの恐怖
         
          私は、現在19歳で両親は50歳、おばあさんは74歳です。
         10年後⇒私、29歳 両親、60歳 おばあさん、84歳
         30年後⇒私、49歳 両親 80歳 おばあさん、104歳
   
こういう風に自分が年をとっていくにつれて、両親やおばあさんの死が近づいてしまうことが恐怖になっています。
どうすればこのような恐怖がなくなりますか?
今という時間を精いっぱい生きることを考えるしかないのでしょうか?

  ※おじいさんは亡くなっています。

A 回答 (4件)

死を恐怖する事は、極自然な在り方です。


死を恐怖するから愛おしく思え、防衛本能が働き、用心が出来るのです。
「今を精一杯生きることしかない」のではなく、今を精一杯に生きれる為に「限り」と「恐怖」があるのです。

しかし死を恐怖するあまり、今何をなすべきかとか、今を大切に生きることを忘れてしまって、死から逃れる事しか考えない、そんな本末転倒な人が居ます。中国の始皇帝や錬金術師の一部がそうです。
近年ではアンチエイジングなどと言っています。
でも、チョット考えてみてください。
古来より人は歳を経るに従い、自然にボケてきて、死への恐怖も薄れて行きます。準備をして悔いなく死出の旅立ちをするためです。
ところがチョット考えてみてください。アンチエイジングでボケもなく、明瞭な感覚で死を迎えたら、それこそ、その恐怖はどれほどの物でしょうか?
とは言っても、近年の人は信仰もなく、身近な人の死も目撃する事が殆どないままに育ってしまいます。だから死というものが認識できないので、自分も人も安易に傷つけてしまうのです。しかも罪の意識もなく。
だから死を恐怖する貴方は至極正常な感覚の持ち主です。

大丈夫、きちんと生きてさえ居れば、自然に死への恐怖も薄れてきます。更にきちんと悔いのない人生を送れば、その効果も倍増です。

私は一昨年、死の直前まで行きました。医者は奇跡的だと言います。
心筋梗塞で発症から手術まで3時間。よく生きていたものだ。
検査に行った病院で看護師が心臓の異常を医師に叫んだのを聞いて、私(歯科医)は朦朧とする中で覚悟を決めました。
しかし最後まで意識を失う事無く、私はせめて自分の心臓の止まる所を確認したいという一心で、モニターを見ようとして手術中の執刀医に叱られたほどです。でも、そのときには恐怖も何もありませんでした。
心臓と脳外科はココという病院に運良く搬送されて、その甲斐あって手術は成功。
「普通なら、搬送された段階で心肺停止でも不思議ではない」(担当医)からの復活でした。
もはや半世紀を越えているから恐怖も少なく、信仰を持っているから恐怖はなかった。私はそう考えています。
しかし(信仰は別にして)若い人が死を恐怖しない事は異常です。生きる力がなくては困ります。
生きる為に恐怖するのですから、多いに恐怖して生きるための努力をして下さい。怪我などしないように予防して下さい。
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この回答へのお礼

>大丈夫、きちんと生きてさえ居れば、自然に死への恐怖も薄れてきます。更にきちんと悔いのない人生を送れば、その効果も倍増です。
 安心しました。ありがとうございます。

また、michael-mさんの体験まで聞かせていただきありがとうございました。
とても心に響きました。

お礼日時:2010/02/19 14:17

 こんばんは。



 誰でも生きていれば歳をとります。そしてやがて天寿を全うします。

 人は老いて段々と自分のことや周囲のことも分からなくなってきます。いわゆるぼけとか痴呆症とかいわれますが、これは、自らの死への恐怖を自然と忘れさせるように体の仕組みが作られているからです。

 医学の進歩で、遺伝子研究で痴呆症を起こす遺伝子を除去するようなことまで行われていますが、ある意味人間の本来持つ生命の設計図を変えてしまうような、禁断の所作かもしれません。

 それと、死への恐怖から、来世へ旅立つのに、お釈迦様が迎えに来てくれると仏教は教えています。「釈迦来迎図」の考えかたです。

 亡くなって肉体は滅びても霊魂は来世で行き続け、再び誰かの命として生まれて来る「輪廻転生」という考え方もあります。

 宗教を信仰しなくても、仏陀やキリストなどの賢人達の考え方を学ぶことでも、人はなぜ生きて死ぬのかが少しずつ分かってくるものです。

 質問者さんが現在元気で生きているのも、おばあちゃんやお亡くなりになったおじいちゃん、そして質問者さんを生み育ててくれたご両親がいたからです。

 家族を日々大切にしながら、毎日健康で生活できることに感謝しましょう。

 そして、自分の命は自分だけのものではなく、祖先やお釈迦様などの見えない力で生かされているからだと思うと、毎日がとてもありがたいと感謝して大切に生きて行くことができます。そうすると、死への恐怖も少しずつ少なくなってきますがいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
私は、輪廻転生を信じています。
また、人に感謝することを忘れずに生きていきます。

お礼日時:2010/02/16 08:07

なんとなくね、そういうふうに考える理由みたいなものはわかる気がするけどね。



ひとつ言いたいのは「他人との関係を深くしないと」ということ。
いろいろ問題はありそうだけど、でも、両親たちがいなくなったときに頼らざるを得ないのは他人なんだから。
他人といっても色々な人がいるから。
その中には、あなたのことを理解しようとしてくれる人もいるだろう。
そういう人との出会いを、どこか気持ちの中で求めていかないとさ、先が不安になるだろうね。
恋人でも良いし、友人でも良いし。
心のよりどころを作る気持ちが無いと。
まずは気持ちを持つことから始めれば良いから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
他人との関係を深くできるように努力していきます。

お礼日時:2010/02/16 08:04

私も若い頃、老けていく両親を見て同じことを考えました。


年月がたち、今私は30代の後半。

不思議なことに、両親の死が近づいていることに恐怖は感じなくなっています。
恐怖が減る、というよりも自然と受け入れられるようになった、とでも言うのでしょうか?

自分も人生が半分終わり、体の衰えを感じ、どんどん死に近づいているんだと実感できます。
「それが自然の摂理、何も不思議じゃないんだ、そうなんだ」と思ったとき楽になりました。

そりゃ両親が将来絶対に亡くなるんだし、その時さみしい思いをするのは嫌です。
でもそれが普通で、それでいいことなんだと思えます。

誰かが言いましたが、時間には限りがあるからがんばれるんだ。
親孝行もそう考えて30代になってから、できる限り目一杯しています。

あと、話は逸れますが、私は死後の世界をなんとなく信じているので
あっちの世界に先に親が行くだけで
「向こうで待っててね、俺ももうちょっと先に行くから」って感じです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
少し気持ちが楽になりました。

お礼日時:2010/02/16 08:02

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