アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

忠臣蔵映画を見るのが好きです。その中の1シーンについて教えてください。

東映10周年の版で、大石が江戸に行こうとする後半での1シーンです。
大石はある宿場の陣屋に、別人の名をかたって投宿します。当の本人が宿場について、自分の名をかたった人物がいると知って激怒し、直談判することに。赤穂浪士一行はあせりますが、大石は会うといいます。
そして、やってきた相手がなにをしに江戸へ行くのか問いただすと、増上寺に寄付をしに、といい、相手は、ならば寄付の目録があるだろう、みせろといいます。
大石はあせらず、木の黒塗りの箱をだし、相手に書類を渡しますが、白紙。相手は一瞬激昂しますが、その時、大石が紙をだした箱に浅野(赤穂?)の紋所が描いてあるのに気づきます。
全てを悟った相手は、お役目ご苦労さまです、と引き下がり、大石は難を逃れます。

いくつか忠臣蔵映画をみたのですが、このシーンに出会ったのは初めてです。ちなみに、歌舞伎はみたことがありません。
いわれのあるシーンなのでしょうか? 委細ご存じの方、おいででしたらお教えください。

A 回答 (4件)

 この事で私も赤穂市に教えていただきました。



 2.垣見五郎兵衛について
 (1)大石内蔵助が東下りの道中で本物の垣見五郎兵衛と対面して腹芸でその場を見事に切り抜けるという話はもちろん創作です。
ただし、大石主税が近江の郷士垣見左内と名乗って、公事訴訟のためという名目で先に江戸に入り、その後見人の伯父五郎兵衛として江戸に入ったのは史実です。実際の道中は何事もなく、密かに下ったようで。
 (2)有名な大佛次郎の『赤穂浪士』をはじめ小説の中では、この創作話はあまり出てこないようですが、講談を活字にしたような本には出てくるようです。ただし、現在入手可能な本があるのかどうかはわかりません。

 つまり話は、本物の垣見さんが乗り込んできて、証拠を見せろといわれたとき、大石は泰然自若を装い、これにございますとさんぼうっていうのかな、切腹の脇差などをのせる台に浅野家の紋のある脇差を載せて出したら、垣見さんはしばらく絶句して、よくわかりました。正に正真正銘の垣見五郎兵衛に違いありません。
 当方こそ名をかたり真に申し訳ない。小道具の手形などを差し出しますので、ご免蒙りますと、引き取った。ということですね。
 そして隣室で左に大刀を抱え柄に手をかけていた、家中の同志はそっとでてきた。ということでした。
 こういう話は私も好きでして、山岡鉄太郎の西郷座敷への乗り込みとか。

 いろいろ教えてもらいましたが、後一つだけご参考に。
 3.泉岳寺の墓について
  (1)(2)このような話は初耳で、あくまでも俗説だと思います。
  (3)泉岳寺には46人ではなく、48人の墓があります。元禄16年(1703)2月4日に切腹したのは、討入り直後に行方を くらました寺坂吉右衛門を除く46人で、その墓碑が最初に建てられました。その後、明和4年(1767)に討入りに先がけて自刃した萱野三平の供養墓が建てられ、天寿を全うした寺坂吉右衛門の墓が 明治元年(1868)に建てられました。

    以下省略
    • good
    • 1

勧進帳のパクリでは?

    • good
    • 0

それは「内蔵助東下り」の節の中で、たしか駿府とか沼津とか、静岡県東部の宿場町で起こったと設定されているエピソードだと思います。



それが史実としての赤穂事件にからんで起こった事実だったのか、また歌舞伎の原作「仮名手本忠臣蔵」に出てくるのか、はたまた忠臣蔵という巨大な譚群が民間伝承までのみこんで徐々に膨れあがる過程で含まれていったのかは、残念ながら浅学な私には知る由もありません。

しかし仰せの東映10周年版以外でも、そのシーンは私は見たことがあります。
近年の記憶では、ここ4,5年以内の放送だったかと記憶もあいまいですが、テレビ朝日が、大石内蔵助に松平健を立てて、かなり力を入れて秋の連ドラでやっていたなかでも、そのシーンは出てきていました。

そこでは大石は、ある公家に使える別当の侍をかたらって、東国に何かを運ぶという名目で江戸へ移動中でした。そこへ別当本人(江守徹)があらわれて、「貴殿の通行手形をみせてもらおう」と迫るのです。

大石はおちついて白紙の紙を見せ、別当は状箱に浅野家の家紋を見て「すべて」を悟り、
「それがしのあやまりであった。おゆるしくだされえ」
と頭をさげ、大石は寛大に
「そのようなことは誰にでもあること。気にめさるな」
などと扱い、別当が引き下がったあとで大石ら赤穂浪士たちは後ろから平身低頭して別当を見送る、といったものでした。

それなりに感動的に作ってありました。
    • good
    • 1

史実に於いて【大石内蔵助】が、京都から江戸へ東下するのに


日野大納言(公家)の用人【垣見五郎兵衛】の名をかたり道中するのですが、
途中の陣屋で本人と鉢合わせはしておりません。
『勧進帳』の話を元にしたフィクション(創作)です。
 
1958年(昭和33年)の大映京都の作品の『忠臣蔵』にも
出てきます。
内蔵助【長谷川一夫】と五郎兵衛【中村鴈治郎 (2代目)】
ここでは、近衛家(公家)の用人【垣見五郎兵衛】と名乗ってます。
 
1985年(昭和60年)の日本TVの年末時代劇スペシャル『忠臣蔵』で、内蔵助【里見浩太郎】と五郎兵衛【西田敏行】でした。
 
一度、【垣見五郎兵衛】でググッてみましょう
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!