プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

死後の世界について

死んだ後に自分の歩んだ人生を閻魔様かなにかに審判されるというのは仏教の考えからきているのですか?
このとき、殺人や自殺による死は重罪というのは本当ですか?
また、死後の世界についての見解は宗教によってどのようになっていますか?

自分のいま持ってる意識や魂みたいなものが死後どうなるものと考えられてるのか気になっています。お願いします。

A 回答 (5件)

各宗教で解釈は異なりますよ。


イスラム教では聖戦のための自殺(自爆攻撃ですね)であれば、死後の世界は約束され天国(というのか分からないが)にいけます。だから、進んで自殺していくのです。また一部解釈では自爆攻撃で巻き添えになった被害者も天国にいけるという話も聞きます。
キリスト教では洗礼を受けていれば問題ないという話も聞きます。
仏教は六道の概念があるため、一概に天国だけがいいわけではないでしょう。よく言うのが、親より早く死ぬと賽の河原で石積をさせられたりして地獄すらいけません。
神道では天国地獄という概念はなく、死んだら神様になります。

自分は、神道ですが、一概に神になるではなく、無にかえる。もしくは生まれた時点に戻る。という考え方をしています。次元並行世界という考え方をしているためでしょう。
    • good
    • 0

>自分のいま持ってる意識や魂みたいなものが死後どうなるものと考えられてるのか気になっています



・・・どうなるもこうなるも単純に、生まれる前に戻るだけと思えば別に気になりません。
つまり永久の無の世界=日本式には永眠

誰に聞いたところで、生まれる以前のことなど知るよしもありませんよね なので 
あまりこういうことは小難しく生真面目に考え過ぎることは、賢明ではないような気がします。

どこかで自分なりにサラリと割り切って開き直ることが肝要です。

その自分なりにが出来ないのであれば、あなたが共感納得するだけの死生観の教義をもつ、何かの宗教を探し入信して心の安らぎを得て下さい。それを否定するつもりはありません。
    • good
    • 0

閻魔ってのはyamaですね。


いわゆる日本でいうならイザナギみたいなもの。
エジプトだとマアトで、最後の審判でマアトの羽と釣り合いが取れた場合、最初に死んだオシリスが治める国に行くとされる。

http://www.moonover.jp/bekkan/sisya/op1.htm


>このとき、殺人や自殺による死は重罪というのは本当ですか?

死者の書をチェックしてきましたけど、告白否定の中の「殺人を犯さなかった」に自殺が該当するかどうかですね。


中世の日本の場合、汚職をした人は穢れたとして切腹をすることで、穢れを断ち切るとされていた。
つまり自殺は美とされたわけです。


>自分のいま持ってる意識や魂みたいなものが死後どうなるものと考えられてるのか気になっています。

感覚器官が無いと、冷たいものに触れても冷たいって感じないじゃないですか。
例えば歯医者で麻酔打たれたあと、ういーーんってやられても痛いって感じないでしょ?

死ぬと肉体も死にますから、喜怒哀楽も感じることは無い。
金縛りとか 脳内で痛いというイメージを持てば、実際肉体はドアに手をはさんでいなくても痛いと感じる。
でも、その脳もシナプス回路が切断されて消えたら、そういう幻も起こらない。
つまり死んだら意識は起こせないわけです。
魂というか自我も起こせない。
まあ 死んだら自分は死んだとわからないというか、その前に意識が消えますから、生きていていて意識があるときだけ、死んだ後のことを考えることができるわけです。
    • good
    • 0

生死(命)は、形がないので、本当に難しい問題ですよね・・。



仏教の始まり(約3千年前)、釈迦が仮導の教えで「地獄」や「閻魔」などを説きましたが、それは実在する場所や人物ではなく、「方便(比喩)」です。

釈迦は説法50年間のうち、まず42年間かけて「爾前教(現在の真言・浄土宗など法華経以外の仏教)」を説き、後の8年間で、爾前教を仮の教えとして、釈迦自身が否定し、「法華経28品」を説きます。

しかし、その「法華経」も、釈迦の死後2000年(正法・像法)で効力を失い、現在の「末法」という時代では、釈迦仏法を信仰しても「何の効力もない」と、釈迦自身が仏典の最後に記しています。

結論から言うと、釈迦が「文底秘沈」した(明らかにしなかった)「法華経文底独一本門」(唯一の無神論の信仰)が末法で信仰すべき仏法だと教えています。死時は「冥伏」といい、生時は「顕現」といいます。

簡単に言うと「起きている状態が生」、「寝ている状態が死」です。つまり「無始無終」といい「生命は永遠」ということです。

「地獄」という場所は、どこにも存在しませんが、例えば、来世は戦地に生まれるなどの境涯を「地獄」に例えているのです。

それと同様、「閻魔」という人物は存在しませんが、自分自身の中の悪い生命境涯や、自分の境涯を狂わす働きのことを「閻魔」に例えているのです。

簡単に例えると、テロリストの子として生まれ、出生時から洗脳され、自分もテロリストになって、人殺しをしてしまう、等々が、これにあたります。

私事で恐縮ですが、私はその「法華経文底独一本門(無神論)」を信仰をしています。
これは、10年間かけて勉強と経験を積み重ねて出した結論です。

私は前半は、外道(キリスト教や神道などの神論)や、仏教「爾前教」(日本人が仏教だと思っている教え)を学び、後半で法華経を学び、最終的に文底独一本門(無神論)にたどりつきました。そして、邪宗や占い師など、(もちろんカルトも)信じたり、それらにお金を出すのも誤りだと気づきました。

10年かけてしっかり宗教比較学を勉強してきたので、他の人より少しは詳しいです(まだまだ勉強不足ですが)少しでもお役に立てれば嬉しいです。

ここで詳しく説明したいのですが、理解するのに早い人でも2~3年かかる事なので、ここでは省略します。申し訳ございません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2010/03/21 11:32

人の生き様や死後の世界については非常に奥深い、人間の思考の広さと深さがあります。


人に聞くより自分で調べてください。僅かでも伸展があれば実に成ります。

私など40年も考えても結論など出ていないのですから。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す