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かつて特急や急行の停車駅として栄えたのに今では普通列車しか停まらない一般駅に凋落してしまった駅と言えば、どこを思い浮かべますか?
(信)横川や田村など運転停車の要素が強い駅や柳井,宇部等優等列車そのものが廃止されてしまった区間の駅は除きます。

私が真っ先に思い浮かべるのは
 動橋(北陸本線)大聖寺と共に片山津,山代温泉の玄関口としてかつては北陸本線の優等列車の大半が停車。その後の北陸鉄道片山津線の廃止、昭和45年隣の小駅作見駅の加賀温泉駅への改称,統合、そして山代線の廃止により完全にローカル駅に転落。
現在は駅員無配置の時間帯も多く、広い構内や待合室,跨線橋に名残を留める。

 熱田(東海道本線)熱田神宮への玄関口として東海道新幹線開業前は急行一本及び準急全列車が停車。昭和47年まで急行停車、快速設定後も停車駅の一つだったが、平成11年金山総合駅の設置に伴い、快速停車駅の地位も失う。

A 回答 (13件中1~10件)

両国

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この回答へのお礼

かつての房総急行のターミナルですが、東京と錦糸町にその座を奪われてしまった感がありますね。
先日新聞輸送列車も廃止になり、発着列車がなくなりました。

お礼日時:2010/03/22 07:54
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この回答へのお礼

鹿児島駅は確かに酷い寂れようですね。

お礼日時:2010/03/22 07:55

>凋落した駅



     ↓
「予讃線:堀江駅」
個人的な思い出と感慨で恐縮ですが、良く出かけた貧乏旅行で、広島と四国を結ぶ仁堀航路の四国側の駅であり、鉄道から走って乗った記憶があります。
懐かしさで航路の廃止後に道後温泉に行く際に立ち寄りましたが、見る影も無く寂れたローカル駅でした。
停車の列車も少なく、乗降客は私が一人というチンチン電車よりも利用者の少ない状況に、かっての活況の思い出を懐かしみ隔世の観がひとしおの駅風景でした。
http://ekinavi.jp/s/ehime/JR%E4%BA%88%E8%AE%83%E …

「小松島線:小松島駅」
質問者様のルールに廃線の駅は除くと有りましたが、個人的に縁が深い駅ですので、鎮魂の意味も含め、我侭を申し上げ恐縮ですが、あえて記載させて頂きます。

和歌山から四国に旅行やお見合いに利用した思い出が深い駅です。
連絡線やフェリーの事も思い出に有りますが、やはり徳島県下で徳島と並ぶ賑わいと乗降客を誇っていた往時を知る私としては、現在の駅跡、街並みの衰退には、自身の老化と重ね合わせ、悲しさ寂しさを感じます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%BE% …
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この回答へのお礼

思い入れのあるレスをありがとうございます。
胸にグッと来ました。

私の先輩が廃止まえの仁掘航路に乗ったそうですが、乗客もまばらでおおよそ本四連絡ルートと言うには程遠かったようです。

フェリー乗り場がなくなり、小松島はすっかり寂れたと他の掲示板にも書かれていました。
小松島の先に(臨)小松島港と言う駅がが有りましたが、駅員の配置や乗降客の多寡はどうだったのでしょうか?

お礼日時:2010/03/22 08:03
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この回答へのお礼

JR難波はかつては名古屋までの直通急行や普通も走っていたそうですね。

門司港は関門トンネル開通後も昭和39年まで連絡船が走っていたそうですね。

お礼日時:2010/03/22 08:05

京成の千葉中央駅


かつては、繁華街の中に駅があり、国鉄より乗客が多かったそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89% …
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この回答へのお礼

昭和47年総武線快速の運転や複々線化によるスピードアップ等により、京成利用者が国鉄(後JR)に大量に流れたと聞いた事が有ります。

お礼日時:2010/03/22 08:07

肥薩おれんじ鉄道の水俣駅、佐敷駅、阿久根駅。


旧鹿児島本線時代は1時間に1本は博多と西鹿児島を結ぶ特急が停車していました。

しなの鉄道の小諸駅。
旧信越本線時代は東京への直通特急が停車して便利でした。

どの駅も広大な駅構内がいっそうの寂しさを感じさせてくれます。
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この回答へのお礼

小諸駅にはかつて「白山」12両編成が発着していた名残で大聖寺や動橋同様ホームも長いですね。

お礼日時:2010/03/22 08:09

「新幹線と並行する在来線」ネタは多いですね。

但し、これは在来線から優等列車そのものが消えてしまったものばかりです。

それ以外でどうしても外せないものとして、北海道の函館本線のうち通称「山線」区間(長万部・小樽間)を挙げます。かつては特急「北海」や急行「ニセコ」が走り、C62形蒸気機関車の最後の舞台として、SLファンには「聖地」としても知られた路線でした。

特に倶知安駅は、特急停車駅であると同時に胆振線が分岐し機関区もあって、広大な敷地を誇っていましたが、今ではすっかり‥です。スキー列車(ニセコエクスプレス)も、最近はあまり走らないようですし。

厳密には「山線を通る優等列車の廃止」なんでしょうけど、函館と札幌を結ぶ優等列車自体はむしろ増発されており、全ての優等列車を室蘭本線経由の「(スーパー)北斗」に変更(一本化)した、という解釈もできます。
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この回答へのお礼

函館本線の山線も衰退振りが酷いと思いますが、根室本線の滝川新得間の赤平,芦別両駅も炭鉱の閉山も相まって酷いようですね。

お礼日時:2010/03/22 08:15

#2追加


紀和は
昔は、県庁所在地の代表駅(中心駅)から無人駅に格下げ、これが一番と思います。
他の回答では、無人駅はないと思います。
北海道はわかりませんが、他は有人駅
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備後落合。

急行ちどりがスイッチバックしていた。
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みなさんの回答に水を差すようですが、多くの回答は質問にある



>柳井,宇部等優等列車そのものが廃止されてしまった区間の駅は除きます

とあるのに触れていませんか?

質問に忠実(まあそれほどこだわることでもないかも知れませんが)に考えると、鹿児島、門司港、両国くらいしか納得できませんねえ。
堀江も一時期、ほんの一部の急行が停車していましたが、もともとそんなに大きな駅ではなかったような。
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