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京都市の道路整備について質問。どのようにして広い道が確保できたか?
江戸時代までは、京都の主管道路ですらも道幅が狭かったようです。たとえば「竜馬がゆく」
の一節でも「両手を広げたら両屋根に当たるくらいの幅」と記されている。
他の大都市でも都市整備事業があり、行政の力で狭い道沿い広げるため、強制撤去なども
行われたことと思います。しかし、京都は神社仏閣、遺跡、大名家、公家、あるいは被差別など
いろんなしがらみがあり、強引な都市計画が難しいと思います。
明治以降、どの時期に、どんな勢力が、どんな手法で、移転された方々はどこへ、撤去費用、
土地売買などどのように・・・等等が気になります。教えてください。

A 回答 (2件)

 天皇が東京へ移ったことにより,公家も東京へ移りましたし,京都にある藩邸(大名家)もその役目を終えたので,政府により召し上げられました。


 天皇が東京へ移ったことにより,京都が没落してしまうのではないかと危惧した町衆が積極的に資産を投げ出し,道路整備や学校整備など公共的なものを整備しました。
 神社仏閣の土地も削られました。境内地をぶち抜かれた神社仏閣もありますし,移転を余儀なくされた神社仏閣もあります。
 用地買収も行われましたし,西大路通などは区画整理事業により造られました。
 堀川通や御池通は,昭和初期に空襲で火事が広がらないよう強制疎開させた跡地です。
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平安京の時代では、次の道幅があります。


小路の道幅は約12m
大路の道幅は約24m
http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/r_miyahe …

時代を変わってもあまり、変化しないと思いますが。

現在の道路は、方道で約3mで、両方向で約6mです。
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