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「鶏鳴」と聞いて咄嗟に連想する漢詩は?

ある人が朝の散歩から帰って
「今朝は寒い。一面、真っ白。霜、天に満つだ。」と言ったとしたら、念頭に張継の「楓橋夜泊」があるのだと推測します。

この人が回顧談の中で
「あの報せには実に勇気づけられた。鶏鳴を聞く思いがした。」と言ったとしたら、この人の念頭に何らかの漢詩が浮かんでいるのだと想像します。如何なる漢詩が浮かんでいたか、心当たりがありませんか。

「鶏鳴」と聞いたとき、咄嗟に連想する日本人好みの漢詩があるのだと思います。作者の名と標題を記して下されば内容は当方で調べます。
何か新しい事態の展開を予感する(夜明けの近いことを期待する)著名な漢詩がありそうに思います。

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

漢詩ではありませんが、鶏鳴狗盗の故事を踏まえての言葉ではないでしょうか。



http://orange.zero.jp/teru.oak/gakusyu/18/keimei …

「あの報せには実に勇気づけられた」という言葉は、秦王の追っ手が迫るという危地で、
函谷関が開くために不可欠な鶏の鳴き声を聞いた孟嘗君の、前途が開けたという気持ちに
通じるものがあるのではないかと思うのですが。

この回答への補足

締め切り予定を30日(金)19時に伸ばします。その経緯はNO.5のお礼欄の末尾にあります。ご納得下さいませ。

補足日時:2010/04/25 20:43
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この回答へのお礼

函谷関を前にした孟嘗君の逸話は、実によく当てはまると思います。
これで決まりみたいな気がしますが、他にも有りや無しや、念のために26日(月)、「鶏鳴暁を告げる」頃までは(!?)、締め切らずにおきます。
このご回答には鶏鳴を聞く思いがしました(!?)。
有り難うございました。

お礼日時:2010/04/24 06:14

これでしょうか。



鶏既鳴矣
朝既盈矣

匪鶏即鳴
蒼蝿之聲
 

東方明矣
朝既昌矣

匪東方即明
月出之光
 

蟲飛薨薨
甘與子同夢

會且帰矣
無庶予子憎

『詩経』
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この回答へのお礼

鶏既鳴矣
朝既盈矣

匪鶏即鳴
蒼蝿之聲

これによると鶏が鳴いて朝が来たから起きろという女性(妻)に対して、男性(夫)は鶏ではなく蝿の音だと述べていて、どうやら鶏鳴なんぞ聞きたくないようです。
ここでは、むしろ鶏鳴は邪魔な存在みたいですから、質問文が求めている詩ではなさそうです。

ずばり、「鶏鳴」と題する詩があるのが判って勉強になりました。
有り難うございました。

お礼日時:2010/04/25 07:11

 こんにちは。

日本語を勉強中の中国人です。

 漢詩ではありませんが、「聞鶏起舞」という四字熟語を思い浮かべました。それは中国故事です。内容は次のサイトをご参考にしてくださいませ。

参考URL:http://blog.goo.ne.jp/salesbridge/e/cc068eb500ad …
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この回答へのお礼

聞鶏起舞、この熟語は初めて知りました。怠け者の習性として、私は大抵のことを初めて知ることになります。
http://homepage2.nifty.com/m_maki/haha/haha_k.htm ・・・ここを読んでおきました。

「あの報せには実に勇気づけられた。鶏鳴を聞く思いがした。」、これが「『あの報せ』が切っ掛けになって、発奮する気持ちになったのだ」という意味だとすれば「あの報せ」が「鶏鳴」の役割をしたのでしょうから、この四文字熟語が念頭にあった可能性もありそうです。

有り難うございました。

お礼日時:2010/04/25 07:14

「鶏鳴」と聞いて咄嗟に連想したのは、漢詩ではありませんが、


孟嘗君の「鶏鳴狗盗」の故事と、聖書の「ペテロが三度イエスを知らないと言った後に鶏が鳴いた。ペテロは『鶏が鳴く前に三度私を知らないと言うであろう』と言ったイエスの言葉を思い出して泣いた。」という話です。
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この回答へのお礼

聖書とは意表を衝かれました。
しかし、朝晩(どころか日中も、ひょとすると夢の中でも)聖書を読む方々が居られるのでしょうから、不思議はありません。ましてや、強固な信仰集団が瓦解しようかという時期(こんな読み方でよいのか?)の話であれば尚の事、「鶏鳴」と聞いて例の箇所を連想するのは納得できます。

有り難うございました。

お礼日時:2010/04/25 07:43

#2の「お礼」欄は少しいかがかと思います。



>ここでは、むしろ鶏鳴は邪魔な存在みたいですから、質問文が求めている詩ではなさそうです。


この詩篇の序は次の通りです。

 鶏鳴思賢姫也。哀公荒淫怠慢。故陳賢姫貞女。夙夜警戒相成之道焉(「詩経 斉風鶏鳴序」)

であればこそ怠慢がちな夫を励ます「鶏鳴の助」と言われておりましょう。

一方、「史記 孟嘗君伝」の方も、「函谷の鶏鳴」といえばまだしも、「鶏鳴狗盗」や「鶏鳴狗吠」と呼んだらどうしても蔑みのトーンが混じってしまいます。

むしろ「あかとき」と読めば、天の岩戸の故事以来、あわやのタイムリミットで邪鬼から免れた日本の説話ものには事欠きません。

いずれにせよ「あの報せには実に勇気づけられた」と「鶏鳴を聞く思い」はコロケーションのレベルで繋がるものでしょうか。


 
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この回答へのお礼

拝読しました。

>>#2の「お礼」欄は少しいかがかと思います。<<
このご回答は少しいかがかと思います。論点は4つと読みました。

1.「鶏鳴」に関して(NO.2関連)

(ア)鶏既鳴矣
  朝既盈矣

  匪鶏即鳴
  蒼蝿之聲

夫は鶏鳴を蝿の声とすり替えようとしています。夫は朝がきたことを認めたくないのです。

(イ)東方明矣
  朝既昌矣

  匪東方即明
  月出之光

夫は曙光の明るさを月光の明るさにすり替えようとしています。夫は朝の来ることを望んでいません。

妻が夜明けを好ましく考えているか好ましくないと考えているかは、この詩だけでは判りません。妻は事実に従って発言し、事実に従って行動し、賢婦であろうとしているだけです。
一方、怠惰な夫にとって夜明けは好ましくありません。夜は明けない方が好ましいのです。よって曙光は射さず月光のままであることが好ましく、また鶏が時を告げない方が好ましいのです。
つまり、この詩に於ける「鶏鳴」は否定的意味しかもちません。NO.2のお礼文を改変しようとは思いません。

2.「史記 孟嘗君伝」に関して(NO.1関連)
言わんとする処は実によく分かります。
私も同じ懸念をもち、何度もNO.1を読み返しました。結論としてNO.1のご回答に思慮の不足は認めませんでした。NO.1は「鶏鳴狗盗の故事」を踏まえての発言だろうと言っているのであって、「鶏鳴狗盗の熟語」を踏まえての発言だろうと言っているのではありません。

以下、史記ではなく十八史略を資料として私見を述べます。
司馬遷が当該逸話を記したとき、「鶏鳴狗盗」や「鶏鳴狗吠」という熟語を作ろうとは思っていなかったと考えます。司馬遷は捕囚の身である孟嘗君が、如何にして自由を獲得し、斉へ帰還するために、如何にして函谷関を越えたかを記しただけではないでしょうか。これらの熟語を作ったのは当該逸話を読んだ後世の人びとだと推理します。よって「鶏鳴狗盗の故事」と「鶏鳴狗盗の熟語」とは似て非なる別物だと思います。

それにNO.1には
>>函谷関が開くために不可欠な鶏の鳴き声を聞いた孟嘗君の、前途が開けたという気持ち<<
とあって、ご回答がおっしゃる「函谷関の鶏鳴」と同じことを述べていると考えます。
また、お礼文も読み直し、「鶏鳴狗盗」の方に重心の乗った文章になっていないことを確かめたつもりですし、そうなっているとも考えます。

3. 質問文に登場した、ある人の念頭に漢詩があったと即断するのは危険なことに気づきました。神話や説話など日本産の作品の中に、ぴったりするものがあるかもしれないのはよく分かりました。
 
4.>>コロケーションのレベルで繋がるものでしょうか。<<
コロケーションの意味がよくは分かっていませんが、返答をしてしまいます。

コロケーションのレベルで繋がったからこそ、NO.1~NO.4まで質疑が成立したのだと思います。それに、何よりも、このNO.5自身が質問文を始め、NO.1~NO.4の全てと繋がっていると考えます。

以上は只今現在の考えです。考えは知識が増えれば変わるので、将来のことは判りません。
一つの観点からのご指摘をありがとうございました。

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締め切り予定を30日(金)19時に伸ばします。NO.1以外に回答はつかないだろうと予想していましたが、そうではないことが判りましたので、暫くこのままにしておきます。

お礼日時:2010/04/25 20:22

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