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京都東寺の近くに六孫王神社という神社があります。清和源氏(陽成源氏?)の祖といわれる経基縁の神社らしいのですが、詳しい縁起やそこにまつわる伝説などご存知の方がいらっしゃいましたらお教えください。

A 回答 (4件)

あんまり詳しくはありませんが、少しは参考になるかもしれません・・・。


ちなみにご利益は・・・、出世開運・家運隆盛のようですよ。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/gyoudou/kikou.htm
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興味を持ったので検索したら出てきました。


詳しい人じゃなくてごめんなさい。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/gyoudou/kikou.htm
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この回答へのお礼

有難うございます。参照させていただきました。しかし歴史とは奥の深いものですね一つの謎から多くの謎に導かれるわけですねもっともっと勉強していつかはは誰かのお役に立てるようになりたいな・・・と思いました。

お礼日時:2001/04/02 22:33

宝永4年(1707年)、徳川綱吉と源氏の流れを汲む大名達が再興した際、祝祭を行ったのが起源になっています。

徳川家寄進の巨大な神輿が迫力!その神幸列では、赤・青・白・黒の鬼を先頭に、浄衣裃、子供、信者が行列。神輿が続きます。金銀幣、盾弓矢、太刀なども珍しいものです。

一説には、こんな記事もありました。
経基の邸宅跡とも、墓所とも伝えられている神社。

経基の父は、清和天皇の第6皇子の貞純親王であった。
これにより経基王は「六孫王」と称されたと言う。
が、
経基の父は、陽成天皇の皇子の元平親王ではないか、という説がある。
元平親王は第2皇子。となると「六孫王」とはならない。

経基の出生には疑問が多い。
『尊卑分脈』は天徳5年(961)11月10日に45歳で卒去とする。
となると、延喜17年(917)の誕生となる。
だが、長男の満仲は延喜12年(912)に生まれている。

「六孫王」という称も、いつから付いたものか。
源経基という人物がいたことは間違いない。
はっきり言って、現存の史料では結論を出すことは不可能! 何とでも言える。
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この回答へのお礼

実に詳しくてよく判りました。有難うございます。不勉強なのでこれからもお世話になるかもしれませんのでよろしくお願いします。

お礼日時:2001/04/02 22:12

以下の参考URLサイトは参考になりますでしょうか?


「恋のかけ橋」
「子宝祈願・縁結び・安産守護」

ご参考まで。

参考URL:http://www18.freeweb.ne.jp/travel/i_hatada/jinja … http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kajyu/gorieki …
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