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武士が通称を使っていたとの事ですが、次男以降のものはどうだったのでしょうか?本家(長男)『○右衛門』だとすると次男以降も同じ通称だったのでしょうか?それとも『○之助』のようなものだったのでしょうか?

A 回答 (2件)

>武士が通称を使っていたとの事ですが、次男以降のものはどうだったのでしょうか?本家(長男)『○右衛門』だとすると次男以降も同じ通称だったのでしょうか?それとも『○之助』のようなものだったのでしょうか?



他の質問に答えるために「寛政重修諸家譜」と言う江戸幕府が編纂した大名・旗本の系譜集を見たのですが、結論を言えば長男および兄弟との共通性はほとんどありません。調べる前は少しは関連性がある(例えば上から○一郎、×次郎など)のではと思っていたのですが、笑ってしまうほどまったくと言っていいほどありませんでした。
例えば大岡直孝と言う旗本は通称を城二郎ですが、4名の子息は記載順に、長二郎・吉十郎・亀三郎・欣次郎です。以前、新潟奉行を務めた御庭番家筋の旗本の「川村修就」について記述された中公新書を読んだことがありますが、川村修就は受領名を名乗れるまでにいくどか通称を変えていたようですので、本人の意思により(幕府に届けていたようです)変えていたことも原因ではないかと思うのですが。

以上、参考まで。
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この回答へのお礼

ご教授ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2010/05/24 09:52

 通称に長男も次男もないですよ。

武士であればだれでも通称と諱を持っていたはずです。古本的に、兄弟で通称は異なります。
 例えば、伊達政宗の通称は藤次郎、弟の政道は小次郎です。
 ただ、親子で同じ通称を継承していく、ということはあります。伊達家の家臣だった片倉家の家長は代々小十郎を名乗っていました。
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この回答へのお礼

ご教授ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2010/05/24 09:52

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