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全ては神にまかせるしかないのでしょうか?


説教が下手な牧師。そのおかげで、いつまでたっても救われる人が増えない。
しかし、説教は神が牧師の器を通して語っているのだから絶対に文句を言ってはいけないと牧師が言う。
それでは、何の努力もなしに、ただ祈っていればいいのですか?

教会にやって来た鬱の人。その人に対して、鬱は信仰で治る、治るという。
本人がやめてほしいと言っているので、それを牧師に伝えたら
愛があれば大丈夫。と言われる。

愛があれば、相手が辛い思いをしてもいいのか?
愛があれば、救われるまでのプロセスで、どんなにその人が傷ついてもいいのか?
もっと鬱について勉強して正しい知識を持って対応してほしいと、神とともにある牧師に言うのは間違い?

A 回答 (5件)

任せるときはかならず来るでしょうけど


最終的な判断はあなた自身です。

そうなってしまった結果は
あなたに理由があります。

なんでもかんでも
神に任せるのではなく
第三者の目線で
考えてみてはいかがでしょうか

私も鬱とパニック症候群を持っていますが
最近は
割り切っています。

しんどい時はしんどいと。

誰もあなたの症状についてわからないはずです

その苦しみはあなたにしか分からないんですから。

ならそれをプラスにする術をみつけてみませんか

毎日のほんの小さな出来事がやがて

大きなことに変わるはずです。

お互い少しずつ進んでいきましょう。

この回答への補足

全文を読んで回答してください。
よろしくお願いします。

補足日時:2010/05/22 19:51
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神はいないと信じるものですが、神を信仰する方々にとっては、鬱やパニック障害をお作りになったのも神様の思し召しではないですか?

この回答への補足

それはとても難しい質問です。
私たちが生きているのは、神が本来造られた世界から、堕落した世界だからです。

補足日時:2010/05/22 19:53
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あなたが教徒なら言われたことを全部受け入れるはずです。


宗教は理論なしで信じるのみだからです。
はっきり逆らっているのだから信仰を捨てることですね。

この回答への補足

>教徒なら言われたことを全部受け入れるはずです。

それは、キリスト教徒の最終的な目標です。
それができないことを、日々神に赦されて生きているのですから。

補足日時:2010/05/22 19:54
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もっと鬱について勉強して正しい知識を持って対応してほしいと、神とともにある牧師に言うのは間違い?



○ 至極当然な考えですね。あなたが正しいと思いますよ。
牧師とあなたの勘違いは、「神とともにある牧師」という考え方ですね。
「説教は神が牧師の器を通して語っているのだから絶対に文句を言ってはいけないと牧師が言う。」
これ間違いですね。本当の牧師であれば、神と悪霊の区別は付きますがほとんどの牧師は神と悪霊の区別さえ付かないのですから、言葉に頼っても悪くなることはあっても良くはなりませんね。
むしろ正しい知識を学んで、それに従ったお話のほうが神の御心に沿っているのですね。
鬱は心が内向的になりある領域に囚われている状態ですから、少しずつでも外向きの心に変えていけば直るものです。信仰というのは外向きの心への一つの方法なのですが、だめ牧師では悪化するだけですね。
また、パニック症候群の一つの原因は智恵の欠如からくるものですから、しっかり勉強して自信をつければ徐々に直るのもですね。

この回答への補足

>本当の牧師であれば、神と悪霊の区別は付きますがほとんどの牧師は神と悪霊の区別さえ付かない

これは事実だと思います。
しかし、ここでは本当の牧師だと仮定していただけますか?
『あなたは、神のことをおもわずに、人の事をおもっている』という聖書の言葉がひっかかっています。
良い説教をのぞむのは、神の事をおもわずに、人の事をおもっているからでしょうか?

補足日時:2010/05/22 20:00
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『あなたは、神のことをおもわずに、人の事をおもっている』という聖書の言葉がひっかかっています。


良い説教をのぞむのは、神の事をおもわずに、人の事をおもっているからでしょうか?

『あなたは、神のことをおもわずに、人の事をおもっている』この言葉の本当の意味ですね。それが判ればいいだけですかね。この言葉の意味を解く鍵はイエスが母、マリアに対して言ったきつい一言「あなたは私の肉体の親ではあるが魂の親ではない。」なんです。
つまり、神とは魂の親のことであって。人、つまり肉体の親ではないということなのです。魂が病めばイエスに救いを求めれば良い。肉体が病めば医者がイエスの力を借りて直せば良い。ということですね。
鬱病というのは、魂・精神と肉体の両方にかぶっていますので、どちらか一方というわけにはいかないところが悩ましいところなのです。かってイエスが病人を直したように牧師にもその力はあるのですが、それは牧師に医学知識があるというのが条件なのですね。医学知識がなければ聖霊も手助けのしようがないのですね。つまり、言葉なのですね。言葉に医療系の指導がはいらないということですね。
だから、まずは牧師も勉強しなさいということなのです。
イエスだって伝道に入る30歳までにあらゆることを学んでいたんですね。だから、パンも出し、病人を治し、神の国のことも話せたわけです。ただ旧約・聖書をそらんじていただけではありませんよ。
牧師はそれがいつまでたってもわからないだけですね。
・・・ということで「あなたの考えは正しいと思いますよ。」

この回答への補足

よくわかりました。
では、どうやって牧師に勉強してもらえばいいのでしょう?
これとは別に質問します。

補足日時:2010/05/22 23:13
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